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嘘告白をされたあの日から、同級生の男子に対しての不信感にまみれたわたしは、彼らといっさい口を利かなくなった。彼らに同調して歪な笑いを隠しきれずにいた女子たちに対しても同様で、当時のわたしが言葉を交わせたのはごく限られた女子の友人だけだった。
わたしに嘘告白をした今井という男子に片想いをしていた、いわゆるカースト上位の女子とその仲またちからは、わかりやすい嫌がらせを受けることになった。上履きがなかったり、教科書やペンケースがごみ箱に捨てられていたりするのは日常の景色になった。これみよがしに陰口を叩かれたりさめざめと泣いているところを見せつけられるのは何度もあったけれど、幸いなことに直接暴力を振るわれることはなかったので、わたしはなにも言い返さずにそれらをスルーし、幸いなことに直接暴力を振るわれることはなかったので、わたしはなにも言い返さずに淡々と物を回収して日々を過ごしていた。仲が良かった友人たちは心配して何かと話しかけてくれたけれど、表立ってその嫌がらせを止めるようなことはなかった。けして気が大きくない、弱い女子だ。当然のことだったし、それに対してどんな感情も湧かなかった。
崩れかけた日常は、ぎりぎりのところでとどまっていた。それが完全に崩壊したのは、その年の12月、翌週の天気予報に雪だるまのマークがついた頃だった。
冷たい雨が降っていた。ビニール傘の水滴越しに、わたしのことを気にかけてくれていた友人のひとり、千尋を見つけた。声をかけようとして、直後に体が硬直した。
彼女は、若林くんと手を繋いでいた。
嘘告白から救われたと思ったわたしを、逆に奈落の底に突き落とした張本人。ふたりでひとつの傘に入って、お互い外側の肩を雨に濡らしながら、目を合わせて笑い合っている。
なんで、と掠れた声が喉から漏れた。雨音にかき消されて、きっとふたりには聞こえてなんかいない。
雨を避けているはずの頬を一筋、雫が伝い落ちた。
翌日、千尋からおはようと挨拶されて、咄嗟に立ち上がった。その勢いにおののいた彼女は、だけどすぐにわたしが話したいことに気がついたようだった。話がしたいと言うと、二つ返事で承諾された。
「話って?」
朝は誰も使わない空き教室で向かい合っても、千尋は表情を変えなかった。わかっているはずなのに、昨日までとまったく同じ顔をしている。それがかえって怖くて、背中に嫌な汗が滲むのを感じた。
「若林……くんと、仲良いの」
「ああ。うん、付き合うことになったの。初彼なんだ」
悪びれる様子もなく、あっさりと千尋はそう言った。あまりにも当然のことのように言われて二の句が継げなくなったわたしに対して、彼女は楽しそうに語り始めた。
「2週間くらい前かな? 告白したら、即オッケーでね。俺も好きだったんだって言われたんだ、ふふ。まだあんまり周りには話してなかったんだけど、気づかれちゃったかあ」
「昨日、一緒に歩いてるの見たよ。……わたしがあいつからされたことも、わたしがそれまであいつのこと好きだったことも、知ってたよね」
「え? うん。全部香帆が話してくれたからね」
「なんで……なんでそれをわかってて、告白できるの」
「そんなの、わたしの自由でしょ。香帆がからかわれたこととわたしの好きな気持ちに、関係はないじゃん。ていうか、香帆が先にカミングアウトしたからわたしは言わなかっただけで、ずっと片想いしてたんだよ」
言っていることは、一見筋が通っている。確かにわたしが若林くんからされたことと、千尋が若林くんに告白したことは、別の話だ。
でもそれは、千尋がわたしの友達じゃなかったら、の話じゃないのか。
わたしは千尋にとって、友達じゃなかった?
「……わたしだったら、友達にひどいことした相手になんか告白できない」
「だから、それは香帆の話でしょ。わたしは違うの。そろそろそうやって悲劇のヒロインぶるのやめてくれない? 鬱陶しいんだけど。友達、友達って言うけどさ、友達だったらなんでも同じように考えてなきゃいけないの? わたしの恋心まであんたに指図されたくない」
「指図……って、そんなつもりじゃ……千尋だってわたしのこと慰めてくれたのに」
「馬鹿じゃない? そりゃ目の前に落ち込んでる人間がいて、それがちょっと親しい相手だったら一応声はかけるでしょ。義務なの、義務。それに甘えてずっとめそめそしてるから、あんたが友達だと思っている相手から友達だと思われなくなっただけ。もういい?」
わたしが返事をする前に、千尋は空き教室を出て行った。予鈴が鳴っても動けなくて、わたしはその日、教室に行くことができなかった。
他に仲良くしていた友人から心配のメッセージが来ていたけれど、返信を打つことはできなかった。その言葉が本心なのか“義務”なのか、わからない。
両親に余計な心配をかけることはしたくなかったので、学校には行った。翌日からは教室にちゃんと入れたけれど、必要なこと以外はいっさい話をしないようにした。
3年生に進級する時はクラス替えがなかったので、年度が変わってもわたしはずっと教室の片隅でひっそりと息をしていた。担任の教師からは遠回しに探りを入れられたけれど、言ってもどうしようもないことなので何も話さなかった。志望校をわざと遠方にしたことで悟ったかもしれないが。
言葉にして事実を見てみると、くだらなくてしょうもないことだ。わたしが思っているよりも、世界はもっと単純なのかもしれないけど、だとしてもわたしがダメージを受けたことに変わりはない。その事実すら矮小化されるリスクを負ってまで、誰かに話してわかってもらいたいとは思わなかった。