球技大会当日は滞りなく進行した。生徒会執行部と各学年の委員たちでの連携がうまくいき、執行部の顧問の教師からも驚かれたほどだった。そして、2年生の委員たちは口を揃えて言う。

「香帆がたくさん頑張ってくれましたから」
「執行部とも細かくやりとりしてくれて、そのおかげですよ」

そんなことないよと笑うと、生徒会長も学級委員たちも謙遜しなくていいとわたしを四方八方から抱きしめてきた。
本当に誉められるような話ではない。ぐだぐだして一般生徒や他の人たちから文句を言われたくないから、先回りして動いただけだ。第1体育館の倉庫の施錠を確認してくると言って、わたしはその場を抜けた。

案の定、倉庫の鍵はかかっていなかった。念のため中に誰もいないことを確認し、シリンダーを回す。立て付けが悪いのか、なかなかかからなかった。
何度もがちゃがちゃと試してみるが、回ったと思っても実際には施錠されていない、という状態になってしまう。あーもう、と誰もいないのをいいことに声に出しながら、ドアを引いたり押したりしていると、ふいに後ろから腕が伸びてきた。

「これね、ほんのちょっとだけ左にずらしてあげるとかかると思うよ。はい、これで回してみて」

状況を把握する前に右手が反射で動く。かちりと音がして、ドアが動かなくなった。

「あ、ありがとうございます」
「いいえ。こんなところでどうしたの」
「球技大会の片付けしたあとに鍵をかけた覚えがなくて。それで見に来たんですけど――」

顔を上げると、腕の持ち主は高い位置からわたしをまっすぐに見下ろしていた。見覚えがある。確か、隣のクラスの渡部諒太くんだ。彼の黒い瞳に映った自分が見えて、思わず視線を逸らした。

「同じ2年なんだから、敬語はいらないけど。学級委員って大変だね」
「……誰かがやらないといけないことだから」

にっこり、笑って見せる。渡部くんは表情を変えずに数秒黙ったあと、おもむろに口を開いた。

「俺、柳井さんのこと好きなんだ。付き合ってくれないかな」

――あまりに唐突すぎて、作った笑顔が一瞬で解けた。
黒い記憶が、化け物みたいに膨れ上がる。また、おもちゃにされているのだろうか。数秒経って、ようやくひきつった喉の奥から掠れた声が出た。

「……は、いや、なんで」
「なんでって……好きだから付き合ってって、特になんの飛躍もない話だと思うんだけど」
「そうじゃなくて……なんで、急に? わたし、渡部くんとそんなに話したこと、ないよね」
「ああ、まあそうだね。去年も今年もクラスは違ったし。でもほら、選択科目とか体育とか、たまに一緒だったじゃん」

彼の他にも多くが該当するような些細な共通点を述べられても納得いかない。きっと周りに誰かいるのだ。わたしがこうやって狼狽えるのを、嬉々として眺めているかもしれない。みっともない姿は見られたくない。
いつも笑顔で穏やかな柳井香帆でいなくては。

頬の筋肉を気合いでぎゅっと引き上げる。すう、と小さく深呼吸をして、渡部くんに笑顔を向けた。

「ありがとう。でもわたし、渡部くんのことはよく知らなくて。それに今は誰とも付き合うつもりはなくて、だから――」
「指先が震えてるよ」

わたしの言葉を遮って、彼はぎゅっと手を掴んできた。脳内に蘇る絶望の記憶が、膨らむ勢いを増して、それから逃げるようにわたしは彼の手を振り払った。

「あ、ご、ごめん――」
「……いや、そんなに嫌がられると思わなくて。触るなんて軽率だった、ごめん」
「違うの。渡部くんを嫌いなわけじゃなくて……」

説明はできない。そんなこととまた笑われるかもしれない。あの頃、従兄弟に話したら「言ったほうはすぐ忘れるんだから、あんたもいつまでもうじうじしたって意味ないよ」と言われた。それ以降、わたしのトラウマは誰にも打ち明けていない。本当は聞いてほしいのに。

「嫌いじゃない、って言葉は、信じてもいい?」
「え? うん、それはもちろん……」
「そっか、よかった。じゃあさ、まずは俺と仲良くなってよ。それでもっと俺のことを知ってほしいし、俺も柳井さんのこと、たくさん知りたい」

それならいいでしょと、彼の中では既に確定したことのようだ。ため息が出そうになったのをなんとか飲みこんでいいよと頷くと、早速渡部くんは連絡先を交換しようとスマホを出してきた。

「……ドッキリ、とかじゃないよね?」
「そんなわけないでしょ」

当然といったトーンで一蹴されたので、それ以上探るのはやめにした。