ルピナスは荒れ狂う。荒れた地獄のように。こんなルピナスを見たのは初めてだ。魔界にいる時はいつも穏やかで、さっきまでも。荒れる感情とは無縁の女なのだと思っていた。しかし今は――。
「巻き戻る前の、魔界にいたルピナスには本当に申し訳ないと心から思っている。そしてそなたが十八となるその時まで、あの時とは違う、変わった我をみてほしい」
ルピナスは冷めた目をしていた。
もう駄目か。
やはり結ばれぬ、今回もルピナスとは離れる運命なのか――。
「本当に花は嫌……ではなくて、苦手なんだ。花を見ていると特に目に痒みが、時には全身もムズ痒くイライラしてきて……」
冷たい目をして我を見ていたルピナスの表情が急に、はっとした表情に変わる。
「それって、もしかして……あなたの症状は、人界でいう『花粉症』なのかもしれません」
冷静になったルピナスは言った。
「なんだそれは?」
「……もう、ヴェルゼ様、酷いです。話を訊かずにわたくしをモフモフに変え、しかも攻撃なさろうと……わたくしがヴェルゼ様をお裏切りになるわけがないじゃないですか」
モフモフからいつもの姿に戻ったエアリーがルピナスの話を遮る。
「だまれ、エアリー。今はルピナスの話を聞いておる」
「も、申し訳ございません」
「簡潔に申しますと、花の近くで呼吸をすると、痒くなったりムズムズする症状などが出るのです。私は当てはまらなく未経験なのですが、その症状になられる方はもう近くに花があるだけでイライラしてしまう時もあるのだとか。でも症状が強く出る花の種類は限られていて、私が花魔法で出している花は、そんなに影響ないと思うのですが……」
「なるほど。影響が少ない花でも症状が現れる程ヴェルゼ様は敏感なのか。それとも、疲れが溜まると免疫力が弱まり敏感になるとかは人界の風邪などでもありますが、その類かもしれませんね。ルピナス様、その症状を解決する方法などはございませんか?」
「……あります。実は私、花粉症の研究をしておりまして、症状をなくす花が、あちらの方角にあると噂が。どうやらその花は、妖精が特殊な粉を花にかけて育てた『妖精の花』という名前なのだとか……」
ルピナスが東の方を指さすと、我とエアリーも同じ方角をみる。
「私たちはあちらに行ってみましょう」
ルピナスに一緒にいたくないと、完全に拒絶されなくて安堵した。
それにしても花粉症、だと?
でも今の話は、辻褄があう。確かにルピナスが魔界に来たあたりからイライラする時が増え、痒みも増した。ルピナスが花魔法を使い、花が目の前にあった時に強い症状を感じていた気もする。
もしもそれが原因で、その症状が消えれば、我らの間に障害はなくなり、一緒にいられるのか。
いや、もしももう一度ルピナスに拒絶されれば、それはもう叶わぬだろう――。
エアリーが場所を調べはじめた。詳しく特定すると、それはこの位置から割と近い場所にあった。飛ぶとすぐに妖精の花があるという森に着く。
「この辺りですね。それでは、ふたてに分かれましょうか。ヴェルゼ様とルピナス様はあちらを。そしてわたくしは逆側を探しましょう」
「人界での噂によれば、その妖精の花は小さくて白い花だそうです」
「承知いたしました。それでは後ほどお会いしましょう」
ふたてに分かれた。
「花で……。毒は毒をもって制す、か」
「敵ではなく、実は味方だったと体内に思わせればいいのです」
我が呟くとルピナスはそう言った。
ヴェルゼと組み、妖精の花を探す。
さっき観た映像の余韻は残ったままで、距離を開けてヴェルゼの後ろを歩いていた。森の中は段々と霧が濃くなってゆく。そして、花を探しながら歩き、よそ見をしているうちにヴェルゼの姿を見失った。
どうすればいいの?
この森に来たのは初めてだ。まして霧が濃く……。完全に道に迷った。何も見えない道の中で聴覚が研ぎ澄まされる。獣のような声が聞こえてきた。そんなには遠くない場所に、いる。ひとまず木に背中を任せ気配を消した。目の前に突然、霧で正体が分からないがとても大きな影が現れた。直感で敵だと悟る。死を覚悟しながらも、ヴェルゼから預かった鈴を鳴らした。
影がひとつ増え、ふたつの影が揺れる。
ひとつ消えた。
「ルピナス、大丈夫か?」
「……本当に助けに来てくださるとは思いませんでした」
「ルピナスが危険な時は、必ず助ける」
ヴェルゼの頬には傷が――。
「今怪我されたのですか?」
「いや、たいしたことはない。ルピナスが無傷ならそれでいい」
「でも……」
「気にするな。霧で花が見えぬだろう。こうしよう」
ヴェルゼは魔法で霧を消した。
「離れるな、絶対に。そなたがいなくなったらもう我の生きる意味がなくなる」
映像の中での冷たいヴェルゼと言動が全く違う。ずっと繰り返し頭の中に流れていた、冷たいヴェルゼの映像画面が乱れ出し、一瞬砂嵐になる。
私の全てを、今のヴェルゼになら委ねてもいいのだろうか――。
「あっ、白い花とはこれのことか?」
ヴェルゼは目の前にある白い花を指さした。
「これが、そなたの言っていた妖精の花か」
「きっと、そうです。でもその花は、花を愛する者しか抜くことが出来ないと」
私で大丈夫だろうか。
「そなたなら大丈夫だな」
ヴェルゼに背中を押され、私はその花を抜いてみる。すんなりと抜けた。
抜いた場所には、花魔法の花を代わりに植えた。
「よかった……これが妖精の花」
「我のために、ありがとう」
そうだ。これはヴェルゼのために探した花。ヴェルゼの花粉症の症状をなくすためにこの森に来たけれど――。
私は小さい頃に森で獣達に会った。モフモフなヴェルゼを助けた時に。あの時は必死でモフモフを助けていたけれど、とても怖かった。
あの日以来大人と一緒でも、いつ現れるか分からない獣達が怖くて、森に行くたびに森の中でひっそりと怯えていた。今回はヴェルゼのために森の中に入ったけれど、ヴェルゼと一緒だと安心した気持ちで森に来れて、森の中に入れる。ヴェルゼのお陰。
「ヴェルゼ様、ありがとうございます」
「……そ、そなた、我の名を今、呼んでくれたのか?」
無意識に私は今、ヴェルゼの名前を呼んだ。言われてから気が付き、ヴェルゼに対して変に意識し、急に目を合わせられなくなる。ヴェルゼの反対側を向きながら話をそらした。
「その、今は痒みとかありますか?」
「正直言うと、少し痒い」
「では、早く戻りましょう。早急にお薬を飲んでいただきたいです」
ヴェルゼの後ろを歩いていたけれど、行く時よりも私は、ヴェルゼの近くにいた。
帰る途中、エアリーに花を見つけたと念で伝えた。花の小屋に戻るとエアリーが妖精の花に混ぜる粉を準備して、小屋の入口で待っていた。
「ヴェルゼ様、ルピナス様、おかえりなさいませ」
花の小屋に入るとくしゃみが出てきた。
「ヴェルゼ様、完成しましたらすぐにお渡ししますので、ここから離れていた方がよいと思われます」
「いや、大丈夫だ」
「……離れていてください」
エアリーの後に続き、ルピナスが強めにそう言ってきた。
「わ、分かった」
ルピナスには逆らえない。
逆らいたくない。
嫌われたくない。
我は離れて待つことにした。
悪魔は耳がいい。もちろん我もだ。ふたりの会話も聞こえてくる。薬の話をしているルピナスとエアリー。その後、気になる話をしだした。
「森の中でのヴェルゼ様、如何でしたか?」
「……優しくて、獣からも守ってくださいました」
「そうでしたか……実はヴェルゼ様は三界の全ての者たちに冷たいと言われておりますが、本来はそうではない気がするのです」
「私も、実は思いました」
「ヴェルゼ様は魔界では一番力があり、魔界の頂点にいらっしゃる方でしたが、それ故に裏切りにも何回もあい、そういうのも含め、あんな風になってしまったのかと」
「……」
「けれどもルピナス様のお陰で、ヴェルゼ様の優しさも見られるようになりました」
「私のお陰ですか?」
「はい。以前ヴェルゼ様も説明されていましたが、ヴェルゼ様はルピナス様のために禁を犯しました。天界、魔界、そして人界の三界では、時間を操作することは固く禁じられていました。ヴェルゼ様は魔界でお亡くなりになったルピナス様に、もう一度会いたいがために時間を操作し、三界を統べる神の罰を受け、権力も魔力も全て失い人間界に堕ちたのです。そして堕ちた時にルピナス様に偶然助けられ……」
「私のために全てを捨てて……さっきあの方の過去を観た時は勢いであんな酷いことを言ってしまいましたが、実は優しいヴェルゼ様と過ごしていると、幸せになれるのかなとも思っております」
なんと、ルピナスがそう思っていてくれているとは――。
「そうなのです。実はわたくしは、元々この白い見た目をしていますから、悪魔の中では劣性だと馬鹿にされていたのです。しかしヴェルゼ様が私を拾ってくださり、そのお陰で優秀な執事として周りから認められるようになりました。なのでわたくしも幸せを感じ、ヴェルゼ様に一生お仕えしたく、一生一緒に……」
ルピナスの話をもっと聞きたかったのだが。エアリーはいつも口数が多い。
「おい、出来たのか?」
ふたりの場所へ行き、強めな声で言う。
「はい、出来ました」
ルピナスから紙に包まれた薬を受け取った
「ありがとう」
「効き目があるといいのですが……」
そうして我は、ルピナスが作ってくれた薬を口に入れた。
花粉症の薬の効き目が知りたかったから、ヴェルゼが薬を飲み始めて少し経った時から、私の花魔法で色々試してみた。
花魔法で作った花の冠をヴェルゼの頭に乗せてみたり、レースに花を編み込んだ羽織を身に纏ってもらったり。ヴェルゼは美人だから花がとても似合っていて、花とヴェルゼを組み合わせるのが好きになった。ヴェルゼはお願いしたことを全て、嫌がらずにやってくれた。
時が経つにつれて、ヴェルゼと離れたくない気持ちが強くなっていき――。
「私は、ヴェルゼと一生共に過ごしたいです」と、そろそろ式の準備を始めた方がいいなと思った時期に心を決めて、ヴェルゼに伝えた。
***
そうして幸せな一年があっという間に過ぎて、結婚式の日が来た。
結婚式の会場は、私とヴェルゼの魔法で作った花がいっぱいの庭園。ヴェルゼは妖精の花のお陰で花粉症が治った。だから花魔法も気にせずにもう、いつでも使える。私のドレスの色と合わせたピンク色の薔薇の髪飾り。それと色違いの赤い薔薇の花を魔法で出し、ヴェルゼの黒い衣の胸元に飾る。飾っている最中、ヴェルゼは言った。
「ルピナス、自らの意思で我と共に過ごすと選択してくれて、ありがとう」
ヴェルゼと結ばれるのは、周りが決めたことだと、私が悪魔に嫁ぐことが決定されてからは諦めていたけれど……。今はもうヴェルゼは私にとって、いなければならない存在となっていた。
「これからも、よろしくお願いします」
ふたりで見つめ合い微笑みあった。
「ルピナス、おめでとう」
お母様が泣きそうな表情でお祝いの言葉をくれた。横にはお父様、そしてお姉様達もいる。お姉様達と再会した時、以前とは様子が違い、私に対して丁寧に接してきた。多分、ヴェルゼが何かしたのだろう。
「お母様、お父様、そしてお姉様。来てくださりありがとうございます。そして今までお世話になりました」
「それではヴェルゼ様、ルピナス様、こちらへ」
エアリーの後をついていく。
人間と悪魔、そして花魔法を使う私と花粉症のヴェルゼ。私達の間には大きな壁があったけれど、それはもう消えて――。
私達は結婚をしてからも、ずっと幸せに暮らした。