――場所は、派出所。
 私は地面に傘を引きずりながら雨に打たれた身体のままここを訪れた。もはや、雨か涙かわからないほど顔が濡れている。
 そんな状況に気づいた鈴木さんは、私を派出所内に呼び寄せて二階からタオルを持ってきてくれた。
 タオルで身体を拭いていると、彼は一階の給湯室でお茶を入れながら言った。


「傘もささずに暗い顔をしてなにか嫌なことでもあった?」

「鈴木さん……」

「うん、少しずつでいいから話してごらん」


 デスクに温かいお茶が置かれると、彼はイスに腰をかけた。私はその正面に座って暗い顔をうつむかせる。
 ガラス扉の向こうから見ると、警察官から事情聴取を受けている女子高生だろう。


「さっき、彼の最近の元カノが彼に復縁したいと言ってました。彼は別れてからも元カノのことが忘れられなくて、復讐する為に私と偽恋人になって彼女を忘れる努力を重ねてきました。そんな姿を見てきたからこそ二人の幸せを願ってあげたいのに、素直に願えないどころか元カノに彼を取られてしまうと思ったら悔しくてたまりません。これってわがままなんでしょうかね……」


 加茂井くんを突き放した瞬間からずっと苦しかった。何が正解で何が不正解なのかわからなくなっていたから。
 少しでも彼の気持ちが見えたならまた違う答えになってたかもしれないけど、彼が1年間赤城さんを大切にしてきたところを見てきた分、私が偽彼女を退くしか答えが見つからなくなっていた。


「それは全然わがままじゃない。普通のことなんだよ」

「えっ」


 私は涙でただれた目のまま見上げると、彼は静かに首を横に振った。


「粋ちゃん」

「はい……」

「人のことばかり考えてたらいつまで経っても幸せになれないんだよ。自分の人生の主人公は自分なんだから、時にはわがままを突き通してもいいんじゃない?」

「自分の人生の主人公は自分……」

「そう。粋ちゃんは彼の為を思って次の手を打つことが多かったけど、自分の為に何か成し遂げたことはあったの?」

「……」

「黙ってるということはそれが君の答えだよね。自分の物語は自分で作っていかなきゃいけない。だから、後悔しないように自分を大切にしていかないと」

「でも、私の気持ちを突きつけたら彼が余計混乱しちゃうかもしれないし」

「いいんだよ。彼に自分のことも考えてもらえばいい。結局誰と付き合うかは彼自身が決めることなんだからね。粋ちゃんが偽恋人として歩んできた日々はゼロじゃない。だから、自分の気持ちをしっかり伝えて彼に考えてもらうといいよ」


 ――自分の幸せはいつも二の次だった。
 彼が幸せになれればそれでいいって。どうしたら彼が幸せになれるんだろうと模索していた。でもその結果、幸せになれてない自分がいる。

 もし、私が赤城さんと付き合って欲しくないと言ったら、彼は何て言うだろうか。
 自分に自信がない分、後ろ向きな気持ちになる。 
 鈴木さんの言う通り、後悔しないように自分を大切にしていかなきゃいけないのにね。



 派出所でお茶を飲みながら一息ついてると、カバンの中のスマホが鳴った。取り出して着信元を見ると、そこには加茂井くんの名前が表示されている。


「うっ、うそっ!! 加茂井くんがどうして私に……」

「もしかして例の彼かな?」

「はっ、はいっっ!!」

「僕は一旦席を離れるから、どうぞごゆっくり。上手くいくといいね」


 鈴木さんはそう言うと、裏の階段を上がっていった。
 私は震えた手で通話ボタンを押してスマホを耳に当てる。


『粋。いまどこにいる?』

「あのっ、外です……。私に電話なんて何かあったんですか?」

『そう。急用があるからいますぐ俺んち来れる?』

「ダメです!! ……私はもう偽彼女じゃありませんから」


 鈴木さんからアドバイスを受け取った通り素直になればいいものの、頭の中で何度も赤城さんの顔がチラつくからそれが出来ない。


『じゃあ、今からそっちに向かうから居場所を教えて』

「それはもっとダメです!! ここに来てもらったら困ります……」


 いま派出所で50代の警察官の男友達に恋愛相談に乗ってもらってるなんてさすがに言えない。


『そ? じゃあ、俺んちに来てね。都合がいい時間でいいから。じゃ、後で……』

「あっ、ちょっと……」
『プツッ……。プーーッ、プーーッ、プーーッ……』


 彼は私の返事も聞かずに電話を切った。
 急用って何だろう。偽恋人は解消したから全く心当たりがないな。

 私は二階にいる鈴木さんに「帰ります」とひと声をかけてから派出所の扉を出て傘を開いた。