それからギルベルトが、改めてキースを見た。

「――ただ、王宮がいくら安全とは言え、あちらも魔法陣の起動を阻止する事に躍起になっていると考えられる。人間にも精霊の信者が紛れ込んでいる可能性があるから、手引きしないとも限らない。よって、メリルには護衛が必要だ」

 するとキースが心得たというように頷いた。

「分かってる、分かってますよ。秘宝の事は、限られた者しかしらないし、適任は俺だ。って事で、よろしくな? メリル様」

 ニッと口角を持ち上げて笑ったキースを見て、メリルは曖昧に頷いた。

「本当は僕がついていられればよいのだが、そうもいかなくてな。メリル、キースは信頼できる相手だ。なにかあればすぐに伝えるように」
「は、はい!」

 この日、キースはメリルの専任の護衛になることが決まった。
 ただ、正直、初めて入る王宮で、ギルベルトまでいなくなってしまうと思うと不安が募る。だから思わず、メリルは不安げな表情でギルベルトを見た。すると気づいたギルベルトが、小さく笑う。

「安心していい。ここは安全だ」
「そうかもしれないけど……ギルベルトは、何処へ行くの? もう会えないの?」

 小さな声に不安を滲ませたメリルを見て、ギルベルトは小さく息を呑む。
 それから微笑し首を振る。

「僕はこれからも、できる限りメリルの様子を見に来る。会いに来る。だから心配はいらない」

 その言葉に、メリルはようやくホッとした。

「では、僕は少し席を外す。キース、後は頼んだぞ」
「任せてくれ」

 ギルベルトが部屋を出て行く。メリルが見送っていると、キースが咳払いをした。

「メリル様」
「その……『様』というのは、なんなの? 騎士様のほうが、私よりずっと偉いんじゃ……?」
「どうなんだろうな。番人の一族は、特別だとしか、俺は知らない」
「そう。私は特別だというのも知らなかったの。メリルでいいよ? 『様』なんていりません」
「そうか。それはやりやすくて助かるな。改めまして、俺はキース。恐れ多くもギル様の友人だ」
「ギルの方が騎士としての階級が上なの? それで、ギルは『様』なの?」
「――まぁそんなところだな。俺は平民からのたたき上げだから、色々と階級は低い。その分、しがらみがなくて、動きやすくていいんだけどな」

 そう言って笑うキースは、切れ長の目をさらに細めると、実に楽しそうにメリルを見た。

「ギル様は鬼のように怖いだろう?」
「え? 何処が?」
「あー……いや、なんでもない。間違えた。まるで伝承にある始祖王のように、善良で優しげな性格だろう?」
「ええ、そうね! 本当に優しいの!」
「な、なるほどな。気品あるキラキラした王子様みたいな笑顔だったのか?」
「うん! まさにそう!」
「理解した。まぁ俺も仲が良いから、いろいろなギル様を知ってるが、ギル様は断言して悪い奴じゃない」
「私もそう思っているの!」

 ギルベルトの話をしていると、自然とメリルには笑顔が浮かんできた。明るく快活な印象を与えるキースは、話を促すのも上手いし、聞き上手でもある。そのためメリルは、ギルベルトのことから始まり、気がつくと旅の事を色々振り返りながら語っていた。人夫一つ、キースは耳を傾け、相槌を打ってくれる。

「なるほどなぁ。じゃ、精霊に襲われたのは二回か」
「ええ」
「大変だったな。怪我がなくて、本当に良かった」
「ありがとう」
「ま、この後からは、ずっと俺が部屋の扉の外に立っているからな。護衛は任せろ」
「――え?」
「ん? 俺じゃあ不満か?」
「そうじゃなくて、外で立ってるの? 疲れない?」
「一応騎士だからな。立っているくらい、苦じゃないさ」

 キースが吹き出したので、メリルはそういうものなのかと考える。

「じゃあ私は、お部屋で一人なの?」
「そうなるな」
「え……また一人なの……え……」
「また?」
「私、扉の番人をしていたから、村の家でもずっと一人だったのね。どれだけ一人が退屈か分かる?」
「あー……」

 納得したように、キースが頷いた。

「キースも立っているだけなら、ここに来て座ったら? そうしたら、お話も出来るし」
「お? いいのか? それは俺にとっては嬉しい話だぞ?」
「ええ。私もその方が、絶対にいいと思うの」

 メリルが両頬を持ち上げてから頷くと、キースが楽しそうに目を輝かせた。

「そうか。悪いな。じゃ、そういうことにするか。あー、それと。一応危機回避もあるし、まだ秘宝のことは、本当に一部の者しか知らないから、ここには客人がいるとだけ伝えてあって、食事もここでとってもらう。俺が運んでくる。他にも、この部屋の外には基本的に出ないでもらいたいんだ。ただ勿論、軟禁するようなつもりはない。どこかにどうしても行きたい場合なんかは、俺を伴ってくれれば、出かけてもいいからな?」

 念のためだというように、キースがそう口にした。
 こくこくとメリルが頷く。

「――ええと、夕食は七時だったっけ?」

 ティースタンドから無くなったサンドイッチについて考えながら、メリルは呟いた。
 まったく食べ足りない。美味だったのは間違いないが、空腹が過ぎて味わう余裕も無かった。

「あ、腹が減ってるのか?」
「そうなの」

 メリルがしょんぼりすると、声を出してキースが笑った。

「んじゃあ、ちょっと厨房に行って、早めだけどな、夕食をどうにかしてもらってくる。待ってろ」
「ありがとう!」

 キースはそういうと手を振り、部屋から出て行った。
 ほっとしながら、メリルは長椅子に深々と座り直す。そして上を見上げれば、円い天井が見えた。絵が描かれている。室内を見渡せば、燭台や油絵があり、花瓶には青い花が生けられていた。絨毯の毛足は長い。見るからに、高級な部屋だ。

「私、場違いすぎない?」

 思わず呟きながら、服越しに秘宝を右手で握る。
 この秘宝が、そんなに大切なものだとは、全く知らなかった。

「私……大切なものを守っていたのね……ただ座っていただけだけど」

 きちんとあの扉には意味があったのだなと、メリルは一人考えていた。



 ――その後運ばれてきた夕食は、非常に美味だった。
 旅の最中の素朴な味とはまた異なり、少量が皿に載り盛り付けにもこだわられた高級な料理は、これもまた絶品だった。

 このようにして、メリルの新しい日々は幕を開けた。

「よぉ、おはよう」

 朝になって身支度をし、長椅子に座って少しすると、キースが顔を出す。
 黒髪のキースには、黒を基調にした騎士団の正装がよく似合う。ギルベルトが身に纏っていた服とは、少し違う。ギルベルトはきっと旅のために軽装だったのだろうと、メリルは考えている。

「おはよう」
「いやぁ、今日もメリルは可愛いなぁ」

 するとキースが唇の両端を持ち上げた。メリルは思わず言葉に詰まる。
 滞在して三日目頃から、キースはちょくちょくとメリルを『可愛い』というようになった。メリル本人も、自分はそこそこ可愛いと思っている。だが、こう率直に言われると、照れずにはいられない。だから照れ隠しもあり、唇を尖らせるのも、毎朝の常になった。

「またからかって!」
「心外だな。俺は人をからかったりはしないぞ?」
「そう……」

 言われて嬉しくないわけではないので、メリルはなんとも言えない気持ちで頷いた。

「ところでメリルはワインレッドの服が好きなのか? 大体その色だな? どの服も。ここに用意させることにした服は、色は適当なんだけど、その色に合わせるか?」
「えっ、そ、そういうわけじゃないし、用意してくれてるだけでありがたいし……」

 ワインレッドが好きなのは、ギルベルトである。ギルベルトに好かれたいがために、メリルはこの色を選択しているだけだ。旅に持参した服も、ほぼ全てがこの色である。

「そうなのか? よく似合ってるけどな」

 そう言って笑うキースは、いつも何事も細部まで見ていてくれるらしい。
 二人で日中お茶をしている際も、メリルのカップが空になると、すぐにお茶を注いでくれる。ギルベルトとはまた少し異なる気遣いと優しさの持ち主だ。

 けれど不思議なもので、キースも顔が整っていて格好いいし優しいのだが、メリルは別に恋愛的な意味合いで好きだとは思わない。いい人だとは思うのだが、それだけだ。

 ――ギルベルト、来ないかなぁ?

 内心では、そればかりを考えている。
 一目惚れをしただけでなく、旅路で頼りになる姿を見ていたら、もう後戻りが出来ないくらいに好きになってしまっていたらしい。己の感情に、メリルはたまに戸惑う。ギルベルトについて想像しただけで、胸がドクンドクンと煩くなるほどだ。

「メリルって彼氏はいたのか?」
「へ? いないよ? 家から出ない私に、出会いがあると思うの?」

 突然話を振られて、メリルは我に返った。

「なるほど。本当に一人だったんだ」
「そうなのよ。寂しくて、暇で暇で……」
「それも大変そうだな」
「キースは彼女がいるの?」
「いや? 三ヶ月前に別れてからいない」
「どうして別れてしまったの?」
「フラれた」
「なんで?」
「んー、愛が感じられないって言われたな。酷い話だ。俺は俺なりに愛してたんだけどなぁ?」
「ふぅん」

 そういうこともあるのかと、何度かメリルが頷いた。するとぐいっとキースが身を乗り出した。

「なぁ、メリル? そういうことならお前の彼氏に、俺が立候補してもいいか?」
「えっ?」

 突然の言葉に、メリルは目を見開き、呆気にとられた。

「何言ってるの?」
「ん? メリルは可愛いし、話してて楽しいからな。ずっと一緒にいたいと思っただけだぞ? メリルが彼女だったら、絶対に楽しいだろうなって」

 ニコニコしながら軽い調子で言われて、メリルは思わず目を据わらせた。

「誰にでもそういうこと言ってるの?」
「いいや? メリルにだけだぞ?」
「絶対嘘。きっと、だから彼女に振られたんじゃない? 彼女にだけ、そういう事を言うべきだよ」
「いやいやいや。酷い誤解だな? 俺はメリルが可愛いから、言ってるだけだ」

 二人がそんなやりとりをしていると、扉が開いた。
 揃って顔を向けると、そこには、いつになくにこやかな表情のギルベルトが立っていた。

「楽しそうだな」
「――っ、いや、あの」

 キースがビシッと背筋を正した。笑顔ながらも、その顔が引きつっている。
 それをチラリと見てから、メリルはギルベルトをまじまじと見た。
 ギルベルトを見ているだけで、胸がキュンとする。

「おはよう、ギルベルト」
「ああ。メリル、困ったことなどはないか?」
「うーん……そうね……あるといえばあるの」

 滞在して、もう一週間半が経過している。その間、ギルベルトは三回来てくれた。本日が四回目だ。もっと会いたい。

「なんだ? キースがうざいという話か?」
「ううん、そうじゃないの」
「違うのか、それは残念だ」

 ギルベルトの声音は、異様に明るい。

「え?」

 メリルが聞き返す。

「ギル様……そ、それは酷くないか?」

 キースの声は、引きつっていた。
 しかしギルベルトは、キースの声は無視した。

「何に困っているんだ?」
「ギルベルトに、もっと会いたくて……」

 メリルは素直に述べた。すると、ギルベルトは虚を突かれた顔をし、キースは舌打ちをこらえたようだった。

「僕のせいだったか。それは悪いな。もっと足を運ぶようにする」

 ギルベルトはそう述べると、部屋へと入ってきた。
 だからメリルは、窓側に逸れて、長椅子にギルベルトの座れる空間を作る。
 ギルベルトはそこに座ると、メリルを見て柔らかく微笑んだ。

 こうしてこの日は、三人でお茶をしたのだった。