暫く街道を進むと、鬱蒼と茂る森が見えてきた。右手に坂道があって、その先に森が広がっている。常緑樹が高く伸びている。葉の音が、次第に届き始めた。
「少し険しい道だ。ただ、次の都市に早く到着できるのは間違いない。僕はここを通り抜けたいのが本音だ。どうする?」
森の入り口にさしかかったところで、ギルベルトが立ち止まった。
メリルは己に選択権があるとは思っていなかったので、目を丸くしてから、少し嬉しくなって唇の両端を持ち上げる。すると頬もまた、持ち上がった。
「私は、ギルベルトに着いていく」
「そうか。ありがとう」
凛とした声音でそう述べると、ギルベルトが歩きはじめた。メリルはその後ろに続く。細い道だったので、縦に並んだ。ギルベルトは、メリルがついて歩ける速度で進んでくれる。それがメリルには、どうしようもなく嬉しい。気遣いが格好いいと、ずっと感じている。こんな風にされたら、惚れないなんて無理だと考えている。
凸凹した木の根が、土の上にあり、とても歩きにくい道だった。
上を見上げれば、日の光は入ってこない。
風が通り抜ける度、胸がざわつくようの草木の葉が囀り、メリルは次第に動悸がするようになった。なにか――嫌な気配がする。
その時だった。
突如、周囲の木の根や草が、蠢いた。
ぎょっとしてメリルが硬直すると、ギルベルトが腕を出して、メリルを庇う。
「な、なにこれ!?」
「――草木をこのように操れるのは、精霊だけだ」
ギルベルトの声が厳しいものに変化している。
首だけでメリルに振り返ったギルベルトは、まだ動いていない大樹を視線で示す。
「あの木ならば、樹齢が長く、精霊でも操ることが、恐らく出来ない。メリル、あの幹の影に隠れていてくれ」
「わ、わかった……けど、ギルベルト、は?」
「僕は騎士だと言っただろう」
そういうと、ギルベルトが剣を抜いた。
細く長い、帯剣していた代物だ。
いよいよ木の根が、鞭のように襲いかかってきた瞬間、前に出て、斜めに切り裂く形で、ギルベルトが剣を揮った。すると裂けた木の根が落下し、地に落ちると黒い霞のように変わって、宙に溶けるように消失した。
ギルベルトは、次々と襲いかかってくる木の根や草花を、全て切り裂いていく。
その速度の速さと、ギルベルトから感じる威圧感に、メリルは息をするのも忘れて、ずっと視線を向けていた。これまで、どちらかといえば柔和な表情ばかりを見てきた。だが今戦っているギルベルトの眼差しや気迫、横顔は、メリルの知らないものだった。
胸がドクンと鳴り響く。
自分を守り戦ってくれるギルベルトの事が、心配でたまらない。
胸が張り裂けそうだった。邪魔になると悪いからと、心の中で、何度も何度も応援し、無事を祈る。
それから少しして、ギルベルトが全ての敵を倒し終えた。
安堵したメリルは、気が抜けてしまい、幹に背を預ける。そこへギルベルトが歩みよってきた。
「大丈夫か?」
まだ真剣な面持ちのギルベルトに問いかけられた瞬間、メリルは己の両手の指先が震えている事に気がついた。ギルベルトの事が心配でそちらに気を取られていたのだが、本能的な恐怖で、俯けば全身が震えている。思わず右手で唇を覆う。正直、怖かった。と、今になって思った。
「ダ、ダメみたい……ね、ねぇ? 今のって、なんなの? さっき、精霊って……?」
メリルは、『精霊』というものを、民間伝承でしか知らない。
お伽噺としてならば、精霊について聞いた事はあった。
精霊は、非常に危険な存在だというお伽噺だ。
元々この国は、精霊王を封印した創造神が、始祖王となって建国されたという伝承だ。精霊について、メリルが持つ知識は、それだけである。
「精霊なんて……お伽噺、じゃ……?」
「いいや、実在する。今、メリルも見ただろう?」
ギルベルトの真剣な声に、メリルはすくみ上がる。
「精霊は、悪意のある存在だ。人間に敵対的だ。お伽噺の産物なんかじゃない」
「え……」
「昔は、王族とその仲間の術師が、討伐にあたっていた。その彼らが、騎士団を作り、今は騎士と王族が精霊の討伐を行っているんだ。ただし、民衆には知らせていない。混乱が起きるからだ。それに、精霊は基本的には、限られた場所にしか出現しない。なのに、何故ここに……」
説明する途中から、ギルベルトの声は自問自答するような色を帯びた。
メリルは怖くなって、両腕で体を抱く。
「とにかく、早くこの森を抜けてしまおう。位置的に、引き返すよりも、進んだ方が、早く森を出られる」
ギルベルトはそう述べて剣をしまうと、メリルの手を握った。
その温度と力強さに、頑張って歩こうと考えて、こくこくとメリルは頷く。
こうして二人は歩きはじめた。
早足で、ギルベルトに手を引かれるまま、メリルは息をきらしながら進む。
急いで闇青の森を抜けた二人は、正面にある光が降り注ぐ街道を視界に捉えた時、どちらともなく安堵の息を深く吐いた。
少し歩くと、街道に繋がる道になり、右手に野宿が可能な場所が見えた。
右手には、小高い丘の先に、切り立った崖があり、そこに自然の洞窟があったのである。
「あそこは、旅人がよく野宿に使う洞窟だ。今日は、もう休もう」
「ええ……」
メリルは疲れきっていたので同意した。
二人で洞窟へと向かう。
洞窟の前には、開けた場所がある。
「メリル、洞窟の中で、少し先に横になるといい」
「でも……ギルベルトは?」
「僕は火をおこす。それに、疲労も無い」
そう言うと、やっとギルベルトが、いつもの通りの柔和な表情に戻った。
それにほっとして、大きく頷いたメリルは、毛布を持って洞窟の中へと入った。
毛布にくるまりながら、横になって入り口の方を見る。
火をおこしているギルベルトが見えた。
端整な顔立ちだなと、ぼんやりと見惚れる。
たき火が出来て、それからギルベルトが、鍋をかけるのが見えた。
お湯を沸かしているようだ。
その傍らで、手際よくキノコを切っている。
眺めている内に、食欲を誘うよい匂いが漂い始めた。そういえば、まだお昼ご飯も食べていない――と、メリルは考えつつ、気づくと微睡んでいた。
「少し険しい道だ。ただ、次の都市に早く到着できるのは間違いない。僕はここを通り抜けたいのが本音だ。どうする?」
森の入り口にさしかかったところで、ギルベルトが立ち止まった。
メリルは己に選択権があるとは思っていなかったので、目を丸くしてから、少し嬉しくなって唇の両端を持ち上げる。すると頬もまた、持ち上がった。
「私は、ギルベルトに着いていく」
「そうか。ありがとう」
凛とした声音でそう述べると、ギルベルトが歩きはじめた。メリルはその後ろに続く。細い道だったので、縦に並んだ。ギルベルトは、メリルがついて歩ける速度で進んでくれる。それがメリルには、どうしようもなく嬉しい。気遣いが格好いいと、ずっと感じている。こんな風にされたら、惚れないなんて無理だと考えている。
凸凹した木の根が、土の上にあり、とても歩きにくい道だった。
上を見上げれば、日の光は入ってこない。
風が通り抜ける度、胸がざわつくようの草木の葉が囀り、メリルは次第に動悸がするようになった。なにか――嫌な気配がする。
その時だった。
突如、周囲の木の根や草が、蠢いた。
ぎょっとしてメリルが硬直すると、ギルベルトが腕を出して、メリルを庇う。
「な、なにこれ!?」
「――草木をこのように操れるのは、精霊だけだ」
ギルベルトの声が厳しいものに変化している。
首だけでメリルに振り返ったギルベルトは、まだ動いていない大樹を視線で示す。
「あの木ならば、樹齢が長く、精霊でも操ることが、恐らく出来ない。メリル、あの幹の影に隠れていてくれ」
「わ、わかった……けど、ギルベルト、は?」
「僕は騎士だと言っただろう」
そういうと、ギルベルトが剣を抜いた。
細く長い、帯剣していた代物だ。
いよいよ木の根が、鞭のように襲いかかってきた瞬間、前に出て、斜めに切り裂く形で、ギルベルトが剣を揮った。すると裂けた木の根が落下し、地に落ちると黒い霞のように変わって、宙に溶けるように消失した。
ギルベルトは、次々と襲いかかってくる木の根や草花を、全て切り裂いていく。
その速度の速さと、ギルベルトから感じる威圧感に、メリルは息をするのも忘れて、ずっと視線を向けていた。これまで、どちらかといえば柔和な表情ばかりを見てきた。だが今戦っているギルベルトの眼差しや気迫、横顔は、メリルの知らないものだった。
胸がドクンと鳴り響く。
自分を守り戦ってくれるギルベルトの事が、心配でたまらない。
胸が張り裂けそうだった。邪魔になると悪いからと、心の中で、何度も何度も応援し、無事を祈る。
それから少しして、ギルベルトが全ての敵を倒し終えた。
安堵したメリルは、気が抜けてしまい、幹に背を預ける。そこへギルベルトが歩みよってきた。
「大丈夫か?」
まだ真剣な面持ちのギルベルトに問いかけられた瞬間、メリルは己の両手の指先が震えている事に気がついた。ギルベルトの事が心配でそちらに気を取られていたのだが、本能的な恐怖で、俯けば全身が震えている。思わず右手で唇を覆う。正直、怖かった。と、今になって思った。
「ダ、ダメみたい……ね、ねぇ? 今のって、なんなの? さっき、精霊って……?」
メリルは、『精霊』というものを、民間伝承でしか知らない。
お伽噺としてならば、精霊について聞いた事はあった。
精霊は、非常に危険な存在だというお伽噺だ。
元々この国は、精霊王を封印した創造神が、始祖王となって建国されたという伝承だ。精霊について、メリルが持つ知識は、それだけである。
「精霊なんて……お伽噺、じゃ……?」
「いいや、実在する。今、メリルも見ただろう?」
ギルベルトの真剣な声に、メリルはすくみ上がる。
「精霊は、悪意のある存在だ。人間に敵対的だ。お伽噺の産物なんかじゃない」
「え……」
「昔は、王族とその仲間の術師が、討伐にあたっていた。その彼らが、騎士団を作り、今は騎士と王族が精霊の討伐を行っているんだ。ただし、民衆には知らせていない。混乱が起きるからだ。それに、精霊は基本的には、限られた場所にしか出現しない。なのに、何故ここに……」
説明する途中から、ギルベルトの声は自問自答するような色を帯びた。
メリルは怖くなって、両腕で体を抱く。
「とにかく、早くこの森を抜けてしまおう。位置的に、引き返すよりも、進んだ方が、早く森を出られる」
ギルベルトはそう述べて剣をしまうと、メリルの手を握った。
その温度と力強さに、頑張って歩こうと考えて、こくこくとメリルは頷く。
こうして二人は歩きはじめた。
早足で、ギルベルトに手を引かれるまま、メリルは息をきらしながら進む。
急いで闇青の森を抜けた二人は、正面にある光が降り注ぐ街道を視界に捉えた時、どちらともなく安堵の息を深く吐いた。
少し歩くと、街道に繋がる道になり、右手に野宿が可能な場所が見えた。
右手には、小高い丘の先に、切り立った崖があり、そこに自然の洞窟があったのである。
「あそこは、旅人がよく野宿に使う洞窟だ。今日は、もう休もう」
「ええ……」
メリルは疲れきっていたので同意した。
二人で洞窟へと向かう。
洞窟の前には、開けた場所がある。
「メリル、洞窟の中で、少し先に横になるといい」
「でも……ギルベルトは?」
「僕は火をおこす。それに、疲労も無い」
そう言うと、やっとギルベルトが、いつもの通りの柔和な表情に戻った。
それにほっとして、大きく頷いたメリルは、毛布を持って洞窟の中へと入った。
毛布にくるまりながら、横になって入り口の方を見る。
火をおこしているギルベルトが見えた。
端整な顔立ちだなと、ぼんやりと見惚れる。
たき火が出来て、それからギルベルトが、鍋をかけるのが見えた。
お湯を沸かしているようだ。
その傍らで、手際よくキノコを切っている。
眺めている内に、食欲を誘うよい匂いが漂い始めた。そういえば、まだお昼ご飯も食べていない――と、メリルは考えつつ、気づくと微睡んでいた。