その後メリルは、ギルベルトと共に、家があるのにほとんど出かけないアウトリタ村の店舗街までやってきた。急いでまとめた荷物を入れた鞄は、肩から横掛けにしている。

「ここでまっていてくれ。宿の精算を済ませて、荷物を取ってくる」
「分かった」

 明るい笑顔で頷き、メリルはギルベルトを見送る。
 だがその背が消える頃には、引きつった頬がピクピクと動いていた。無理に笑顔を浮かべたせいだ。ギルベルトに不安な姿を見せて、困らせなくなかったのである。

「はぁ……」

 実際には、飲食物と衣類の店にしか、これまで行ったことがほとんどないメリルは、宿が位置するこの東通りに足を踏み入れたのも初めてで、緊張感が抜けない。ゆっくりと目を伏せて、まずは深呼吸をする。

「うん」

 それから力強く瞼を開けて、両手で己の頬に触れる。そして軽く二度叩いた。

「折角なんだし、じっくり見ておかないとね。暫く旅をするんだし」

 一人頷いた彼女は、近くの店の前に立つ。
 どうやら文房具店のようだ。陳列窓から覗いてみると、綺麗なガラスのペンが飾られていた。少額ではあるが、鞄にはお財布があり中身もある。

「記念……っていうのも変だけど、ここが私の旅の始まりだし、何かに使うかもしれないから買ってみようかな」

 呟いてから、メリルは文房具店に入った。

「おや、メリル」

 すると店主に声をかけられた。とても小さな村なので、全員が顔見知りである。

「珍しいね」

 初老の店主は、にこにこと笑っている。目尻の皺が深くなった。

「ちょっと旅に出てきます」
「――え? 家から出られないんじゃなかったのかい?」
「ちょっと、行けるようになったの」
「ふむ。しかし、旅? お前さんみたいに若い娘さんが、一人では危ないぞ?」
「大丈夫! 騎士様が一緒なの」
「ああ! そこの宿屋に泊まってた、王都から来た人かぁ」

 狭い村なので、外部から人が来ると、目立つからみんなの噂になる。
 苦笑しながら頷いて、メリルはガラスのペンを手に取る。中にピンクの粉が舞っているように見える。

「これをください」
「あげるよ」
「え?」
「旅に出るのを祝しての、儂からの贈り物だ。気持ちだよ」
「ありがとうございます!」

 優しい笑顔の店主に、メリルは満面の笑みを返した。ひまわりのようなその笑みに、店主もまた笑みを深める。

 こうして買い物を終えたメリルは、そのペンを大切に鞄にしまった。
 持参した手帳に挟んでおいた。

「待たせたな」

 するとそこへ、ギルベルトが戻ってきた。

「大丈夫。私もお買い物をしてたから」
「そうか。僕も少し買い足したいものがある。一緒に来るか? それとも、村の入り口に噴水とベンチがあったから、そこで待っているか?」
「一緒に行く。私も何か必要な物があるかもしれないもの」

 メリルの声に、ギルベルトが頷いた。
 微笑したギルベルトの表情に惹き付けられたメリルは、ふるふると首を振る。
 見とれている場合ではない。
 しっかりと旅の準備をしなければ。

「毛布やテント、鍋といった野宿用の品は、一通り僕が持っている。来る時にも使ったからな。主に飲食物を買い足したい」
「それなら任せて!」

 こうして、唯一メリルが詳しい西通りの食料店街に足を運ぶことになった。
 ギルベルトは、メリルの歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いてくれる。
 そういう些細な気遣いが、メリルにはとても嬉しい。

「ここには干し肉が売っているの。あとはベーコンとかも」
「なるほど、燻製したものも多いな。ありがとうメリル。僕は少しこの店を見てくる」
「うん。私は、日持ちしそうな別の食材を見てくる。ここに戻ってくるね」
「分かった。とりあえず三十分後としよう」
「ええ、いいわ」

 頷いて、メリルはチーズ店を目指して歩いた。チーズは日持ちするので、家にこもっていた際、頻繁に食べた。特にお気に入りのナナナラチーズを購入し、他にはその隣の店で、水に溶かせるお茶と果物味の粉を購入した。

 丁度三十分ほど立ったので戻ると、ギルベルトも出てきたところだった。

「何を買ったんだ?」

 ギルベルトの問いかけに、自慢げな顔をして、メリルが説明していく。すると興味深そうな顔をしてから、ギルベルトが頷いた。最後に二人は、水を購入し、村の出入り口まで向かう。そこには大きな噴水があり、ベンチが並んで置いてある。この村の目印だ。だが、メリルは初めて見た。

「わぁ。こんな噴水があったのね」

 水しぶきが飛ぶ度、小さな虹が出来ている。幻想的な光景に目を輝かせていると、メリルにギルベルトが言った。

「名残惜しいだろうが、そろそろ行こう」
「ううん。ほとんど村の中のことは分からないから……寧ろ初めて見るものばかりで、私の旅は、もう始まっている感じ」
「そうか」
「行きましょうか」

 こうして二人は、村の出入り口から、外に出た。
 この時も、ギルベルトはメリルに歩幅を合わせてくれた。


 ――このプログレッソ王国は、国内の交易が盛んだ。
 そのため、各村や街、大都市の間で、街道が整備されている。

「基本的には、道なりに進めば、王都まで到着するんだ。ただ野宿をしたりする事もある。他にも、いくつもの近道があるんだ。だからその時々で、天候なども考えて、最適な道順を選択しながら進もう。徒歩で進む」

 ギルベルトの声に、歩きながらメリルは頷く。
 荷物は元々あまり無かったのだが、少量にしてきてよかったと、歩きながら考えていたところだ。普段ずっと家に居たものだから、少し歩いただけなのに、既に足が少し痛い。

「大丈夫か?」

 するとギルベルトが、静かに立ち止まった。

「え、ええ」

 実際には、とても足が痛い。だが、ギルベルトは急いでいるのだろうと思い、メリルは笑顔で頷く。だが、ギルベルトは目を窄めると、軽く首を振った。綺麗な茶髪が静かに揺れる。

「少し休もう」
「え?」
「そこに四阿がある。ベンチで脚を伸ばすといい」

 ギルベルトはそう言うと、率先してそちらに歩いて行ってしまった。目を丸くして、メリルが着いていく。そしてベンチに座ると、疲労感が一気に押し寄せてきた。

「ごめんなさい、私全然体力が無かったみたい」
「いいや、僕が急ぎすぎたのかもしれない。君の荷物も僕が持つ」
「そんなの悪いから! 大丈夫!」
「無理をしているのが、顔に出ている。メリルは、本当に顔に出やすいな」
「えっ」

 自覚が無かったメリルは、思わず両手で頬に触れる。すると嘆息したギルベルトが、彼の鞄から、青色の小さな魔法石が嵌まった足輪を二つ取り出した。

「最初に渡しておけばよかったな。足の疲労を取り、歩行の補助をしてくれる魔法が込められているんだ。使ってくれ」
「え! いいの?」
「ああ。実はもう少し歩いて、疲れてから渡そうと思っていたんだ。でも、もう既にメリルは疲れているからな」

 苦笑しながら、ギルベルトが足輪を渡す。細い鎖で出来ているそれを、メリルは両足首に身につけた。

 それから水を少しのみ、二人は歩みを再開した。
 その内に、次の街が遠目に見えるようになってきた。

 空が次第に青から橙色に変わり始め、たなびく雲の輪郭がぼやけはじめる。
 一番星が輝き始める頃、二人は最初の休憩地に到着した。

 村から見ると、隣街となるリーヴェの街である。
 門を抜けて街に入ると、そこは村と違って、大勢の人でごった返している――と、メリルには思えた。そこでふと、大都市に行ったならば、もっと人の波があるのだろうかと考えて、全然想像がつかないと思った。

 物珍しくなって、メリルがキョロキョロしていると、宣言通りメリルの鞄も持ってくれたギルベルトが、正面の通りの突き当たりの右角にある、梟が描かれた看板を指さした。

「あそこは宿屋だ。梟の目の色で、空室状況が分かるのは、知っているか?」
「全然知らない」
「そうか。ほら、今は左目が金色で、右目が黒だろう?」
「うん」
「黒が空室が無い、金色が空室がある、という状態で、右の通路の部屋はもう空きがない、左の通路にある部屋は空きがあるという意味だ。あそこに止まろう」

 ギルベルトの説明に、宿屋にはそういった決まりがあるのかと、メリルはびっくりした。

 ギルベルトは少しだけ今は早足になったが、目的地は分かっているので、メリルは気にしない。先に着いたギルベルトが、扉を押し開くと、鐘の音が鳴り響いた。続いてメリルも宿屋に入る。

「宿泊したいんだ」

 受付でギルベルトが、店主と話をしている。

「今は一部屋しか空いてないんだが、何名だ? そこはベッドが二つある」
「そこで構わない」

 聞こえてきたそのやりとりに、メリルは息を詰め、目をまん丸にした。

 ――ギルベルトと同じ部屋!?

 ドキリとしてしまう。好きな相手と同じ部屋で、一晩過ごすなど……これまでの人生では、そもそも好きな相手もいなかったのだが、考えてみたこともない。

「メリル、荷物を置きに行こう。一階の奥に食堂があるそうだ」

 なんでもない事のように言うと、ギルベルトが木製の階段を上り始めた。軋む音が響いてくる。慌ててメリルも追いかける。

 そして急の階段を上り終え、左の通路に曲がると、二部屋目の扉の鍵を、ギルベルトが開けていた。ギルベルトが中に入るのを見て、メリルもそちらへ向かう。

「わぁ……これが宿……へぇ!」

 始めて泊まる宿、自分の家以外は、新鮮でもある。ギルベルトと二人きりという部分はやはりドキドキしてしまうが、それを抜くと、木の天井や、壁に掛けられた絵画など、全てが物珍しく感じる。

 ギルベルトは、必要な分だけ荷ほどきをし、大部分はそのままにしている。
 それを終えると、ギルベルトはメリルに鞄を渡した。

「これを。返す」
「本当に持ってくれてありがとう! 明日は、自分で持つからね!」
「辛くなったら、いつでも言ってくれ。まぁ先程も伝えたが、見ていれば分かるけどな」

 そう言うと、ギルベルトは口元を綻ばせた。

「食事に行こう」
「はーい!」

 こうして二人は、部屋から出た。メリルは、しっかりと部屋番号を記憶する。迷子になったら大変だからだ。軋む階段を降りて一階に行き、目的の食堂を目指す。

 二人掛けのテーブル席が空いていたので、そろってそこに腰掛けた。
 対面する位置だから、メリルは改めてギルベルトをまじまと見る。
 ギルベルトには、微塵も疲れた様子が見えない。やはり、騎士として鍛錬しているからなのだろうかと想像する。

「メリル、何を頼む?」
「うーん。どれも知らない料理ばかりだから……ギルベルトのオススメがいいかな」
「ほう。それはまた、難しいことをいうんだな。それなら、適当に頼むぞ」
「ええ。任せるよ」

 ギルベルトは頷いて給仕の者を呼んだ。すぐに、黒いエプロンを着けた青年がやってきた。彼にギルベルトは、二品ほど注文してから、メリルを見た。

「飲み物は何がいい?」
「甘くてすっきりしてるやつがいいな」
「苺のジュースはどうだ?」
「あ、美味しそう。それがいい」
「分かった。ええと、苺のジュースと、あと俺は、炭酸水を頼む」

 笑顔でメモを取り、給仕の青年が下がっていく。
 飲み物が先に運ばれてきて、料理は十分後に一気に届いた。それまでの間、ずっとメリルはギルベルトと雑談をしていた。会話が全く途切れない。この居心地の良さも、メリルが惚れてしまった原因の一つだ。

「わぁ、美味しそう! これは、なんていう料理?」
「朝啼鶏のからあげと照り焼きだ。どちらも僕は好きだ」

 また一つ、ギルベルトの好みを知ることができたのも、メリルは嬉しい。
 大皿で届いたため、それぞれ小皿に取り分ける。
 メリルはまず、朝啼鶏の照り焼きを食べる事にした。レタスが付け合わせで、テリア木の上には、細かな緑のネギがのっている。フォークを伸ばして、口に運ぶと、絶妙の甘辛さで、口の中いっぱいに唾液が溢れた。思わず頬張り、二つ、三つ、と食べていったら、小皿に取った分はすぐに無くなってしまった。次はからあげに取りかかる。こちらは非常にジューシーだった。ころもはサクサクなのに、中の朝啼鶏からはたっぷり肉汁が出てくる。なんて美味しいんだろうと、メリルは頬が蕩けそうになった。

「気に入ってくれたみたいだな」
「!」

 からあげを噛んでいたら、そう言われて顔を上げる。飲み込んでからしっかりとギルベルトを見ると、クスクスと笑っていた。

「喜んでもらえると、選んだ甲斐がある。それに僕は、料理を美味しそうに食べる人が好きなんだ。痩せたいだのと言って、食べなかったり残すというのが、僕には信じられない。どれだけ、その料理に作り手の気持ちがこもっているか、分かっていないようでな。食べられないなら、少量を頼めばいいと僕は思う」

 つらつらとギルベルトが語ったのだが、メリルの耳には『美味しそうに食べる人が好き』しか、入ってこなかった。もしかして自分のことだろうかと、嬉しくなってにやけそうになっていた。

 その後、雑談を交えつつ食べ終えた二人は、宿の部屋へと戻った。

「あ、お風呂がついてる!」

 部屋に戻ってすぐ、先程は気づかなかったのだが、奥に備え付けの浴室がある事に、メリルは気がついた。ギルベルトは分かっていたようで、小さく頷く。

「僕は明日の朝入る。メリル、入ったらどうだ? 旅をしている最中は、魔法で清潔には出来ても、ゆっくり手足を伸ばしてお湯に浸かったりは出来ないからな」
「え、ええ! ええ! わ、わかった!」

 メリルは、もしかしたら今宵、なにか、あやまちが発生する可能性について熟考しながら着替えを持って、急いで浴室へと向かった。

 自分の家以外の湯船に入るのは初めてで、乳白色のお湯に浸かりつつ、大きくメリルは吐息した。すると俯く形になり、首から提げている秘宝が目に入った。これは入浴時であってもいついかなる時も、外さないようにと旅立つ前にギルベルトに言われていた。

「だけどこの秘宝……一体、どんな力があるのかな?」

 呟いてから、顎までお湯に浸かる。そして左右に首を動かしながら、考えてみたけれど、何も思いつかない。そもそも何故ギルベルトは、王都に秘宝を持っていきたいのだろうかというのも、全然分からない。分からないことだらけである。

「きっといつか、話してくれるよね?」

 そう独りごちてから、体を洗って、メリルは入浴を終えた。
 その後――あやまちについて、ド緊張しながらメリルは、部屋を、頭だけ出して覗いた。そして安堵半分落胆半分の気持ちになる。片側の寝台で、ギルベルトがすやすや眠っていたからだ。己の心配は、完全に杞憂だったと、メリルは一人で恥ずかしくなってしまった。

「私も寝ましょう」

 メリルは自分の寝台に座ってから、深呼吸をし、それから横になる。
 するとすぐに睡魔に襲われた。

 ――翌朝、目を覚ますとギルベルトが入浴中のようだった。
 その間に、メリルは着替えて身支度を調えた。
 そして出てきたギルベルトと共に、階下へと降りる。

「よく眠れたかい?」

 受付の店主の言葉に、二人は揃って頷く。
 それからギルベルトが、宿の代金を精算した。

 財布をしまいながら、ギルベルトが店主を見る。

「――ところで、星都ヒンメルに生きたいんだ。今、通行可能な近道は、どこがいい? 教えてくれないか?」

 すると店主は、大きく何度も頷きながら、カウンターの上にある地図を指さした。

「今の時期だと、闇青の森を抜けるのが、一番の近道だな」
「そうか、感謝する」

 そう述べて、軽く会釈をしてから、ギルベルトがメリルに向き直った。

「行こう」

 こうして二人は宿を出て。再び旅路に戻ったのだった。