「……、……」
ギルベルトは、暫しの間沈黙していた。
それからチラリとメリルを見る。
「立っているでしょう?」
自分の言葉は正しかったのだと、メリルは声に言葉をこめた。ギルベルトは一度視線を床におろし、それから改めて顔を上げて、真っ直ぐにメリルを見る。
「名前は?」
「私ですか? メリルです」
「メリルか。メリルは、言い伝えによれば、扉のそばにいる番人の一族の者なのか?」
「祖父は、そう言ってました」
「番人の事に詳しいのか?」
「ええ。祖父は何でも知っているような気がしましたよ?」
「何処におられるんだ? 是非話を伺いたい」
「天国ですね。祖父は善良だったので」
天国とは、【プログレッソ創造神話】において、天空にあるとされる死者の国だ。
「ッ」
メリルの言葉に、ギルベルトが息を呑んだ。
「すまない、悪いことを聞いてしまったな」
「別に気にしてません、今はもう。お祖父ちゃんは、天国で幸せに過ごしていると思うようにしてるから」
「……そうか」
小さくギルベルトが頷く。ただその瞳には、哀れむような色が宿っていた。
メリルは、ギルベルトが優しい人だと感じた。
「メリルは、番人についてや、番人の一族について、どの程度知識があるんだ?」
「家にある古文書は、全部読みました。でも、ほとんど、古文書には、扉からどのくらいまで離れられるのかということしか書いてなかったです。みんなやっぱり、扉から離れて、たとえ隣の街とかに行ってみたかったんだでしょうね」
メリル自身も、時折村から出ることを夢想する。だが実際にそうする勇気は無い。だから扉から離れられないという言い訳を、己にしている。
「では、秘宝については何も書かれていなかったのか?」
「私は見たことがないですね。秘宝は、王家のもので、扉の向こうにあると祖父が言っていましたけど、番人は扉の中には入っちゃ駄目だって。鍵を持ってる人と一緒ならいいと言っていたけれど」
そう告げたメリルは、ギルベルトが鍵を所持しているのだと改めて考えた。
きっと彼は、扉の中に行くのだろう。
「では早速、僕は扉の向こうに行ってくる。もし僕が戻らなければ、この手紙を投函して欲しい」
ギルベルトはそう述べると、一通の手紙をメリルに差し出した。
宛名を見て、メリルは硬直する。
相手が国王陛下だったからだ。メリルが狼狽えて顔を上げた時、ギルベルトは扉の鍵穴に、早速金色の鍵を刺していた。ガチャリと音を立てて、扉の鍵が解錠されたのが分かった。メリルは今度は、ギルベルトが本当に鍵を所持していたことに驚く。
王宮から持ってきたようだから、この先にあるのは、王家の秘宝だというし、王宮には王家の者が住まうのだから、鍵で扉が開くことには、何ら不思議はない。
メリルが見ている前で、ギルベルトは開けた扉の先に、一歩進んだ。そして後ろ手に扉を閉める。そうすると、また扉は立っているだけになった。扉の太さは、ギルベルトよりずっと狭い。ということは、扉の中には、違う空間が広がっているのだろう。
そう考えながら、メリルは食卓の定位置についた。
そして手紙をテーブルの上にのせ、時折チラチラと扉を見てしまった。
果たして、扉の向こうには何があるのだろう?
「鍵の持ち主と一緒なら入っていいんだけど……」
メリルは呟いてから、首を振った。王家の秘宝というのだから、きっと貴重な品があるのだろう。そんな恐れ多いものには、近寄りたくない。それがメリルの本音だった。
時は刻一刻と過ぎていく。
窓から見える空が、夕焼けに変わった頃――ガチャリと音がした。慌ててメリルが視線を向けると、ギルベルトが出てきたところだった。
「秘宝はあったの?」
メリルが尋ねると、笑顔でギルベルトが頷いた。
「ああ。伝承の通りの秘宝が安置されていた。調査には、時間を要する。メリル、僕はまた明日、秘宝の調査のために、ここへと来る。明日だけではなく、調査が終わるまで、僕はこの家に来る必要がある。構わないか?」
少し困ったような、窺うような、そんな声をギルベルトは発している。
「いいですよ。どうせ私は番人だから、家からほとんど出られないし、人が来てくれるというのは嬉しいから。少しは貴方も雑談してくれるでしょう?」
メリルが頬を持ち上げてそう告げると、ギルベルトが安堵した顔をして、大きく頷いた。
「では、また明日」
ギルベルトはそう言うと、玄関の方を見て、そちらに向かって歩き出した。
メリルも椅子から立ち上がったが、その時には既に、ギルベルトは玄関のドアを開閉して外へと出ていたので、見送る暇は無かった。
「本当に明日も来るのかなぁ」
一人そう呟き、メリルは椅子に座り直した。少し休んでから、夕食を作る予定だ。
この日のメニューは、きのこのシチューだった。
我ながら上出来だと、メリルは考え、一人で笑った。
――翌日。
午前十時に、ギルベルトが訪れた。
この十時という一日を示す時計の数は、コトワザと同じで、太古の昔に存在した今はない文明の名残だと言われている。
「おはよう、メリル」
「おはようございまーす!」
元気にメリルが挨拶すると、ギルベルトが柔らかな笑みを浮かべた。緑色の瞳が細まっている。整った顔立ちの彼が笑うと、よりいっそう素敵な空気を醸し出すように見えて、思わずメリルは見つめてしまった。
「メリル? どうかしたのか?」
「あ、いえ。なんでもありません!」
「――敬語でなくて、構わないぞ。僕はただの騎士だ」
「え? 騎士様って、敬わないとダメでしょ?」
「僕は堅苦しいのは嫌いだし、メリルともっと親しくなりたいんだ。これから毎日、顔を合わせるのだから」
そう語るギルベルトの声は、とても優しく甘く聞こえた。
「わ、わかったわ」
「それはよかった。では僕は、扉の向こうの宝物庫に行ってくる。手紙は昨日預けたな?」
「うん。持ってるよ」
「僕が戻ってこなければ、投函してくれ。しつこく言って申し訳ないが」
「全然構わないよ」
メリルは笑って見せた。するとギルベルトからも笑顔が返ってきた。
その表情に、メリルは惹き付けられる。なんだか、ギルベルトを見ていると、昨日と今日しか顔を合わせていないというのに、もっと話したいだとか、見ていただとか不思議な考えが浮かんでくる。
思索の耽りながら、メリルは鍵を開けて扉の向こうに行くギルベルトを見送った。
「今日も帰ってくるよね?」
閉まった扉を時々見ながら、メリルはそう繰り返し呟いていた。
しかしこの日は、空が夕焼けで染まっても、ギルベルトは出て来なかった。
まさか、なにかあったのかと、メリルは胸騒ぎを抑えることに必死になる。
――ギルベルトが扉を開けて姿を現したのは、夜の十時のことだった。
既に星が瞬いている。
安堵し、メリルは肩から力を抜いて、大きく息を吐いた。
「帰ってこないかと思ったわ」
「悪い、つい秘宝の調査に、夢中になってしまったんだ」
「そう」
メリルは呆れた心地で、苦笑しているギルベルトを見据える。
「今日は帰る。また明日」
「ええ、またね」
こうしてギルベルトは帰っていった。その日は見送りにいく余裕があったから、扉の外で歩いていくギルベルトの背中を、メリルはしばらくの間、眺めていた。
キッチンに戻ったメリルは、脱力して、椅子の背もたれに体を預けた。
「まったく。どれだけ心配したと思ってるのよ。もう……はぁ」
しかし心配をしたのは、自分が勝手にだ。だからそれをギルベルトに伝えるのは違うと、メリルは考える。
「はぁ……明日も来るのかぁ。何を話そうかな」
声混じりの息を吐いてから、メリルは明日の事を考えていた。