入学式は、入学生のみで行われる。
その後は在校生との交流会となった。学科は問わず、合同だ。
私はキョロキョロと見回し――ついに、人の輪の中心にいる、あの人を見つけた。
「ルイスお兄様!!」
思いっきり大きな声で名前を呼ぶと、その場がざわついた。人並みが割れたので、私が歩き出すと、悠然とした笑みを湛えたあの人……こと、私の一番上の兄上である、ルイスお兄様もまた、こちらへと歩みよってきた。
「やぁ、メリッサ」
その場がさらにざわつく。
「え? メリッサ王女殿下?」
「嘘? 本物?」
「病弱だって噂じゃ……?」
「あの、誰も見た事がない……?」
それらの声を無視して、私はお兄様に抱きついた。私を受け止めたお兄様の、長い金髪が揺れる。
なお、別に私は病弱ではない。それはただのデマだ。私が勝手に王宮を抜け出してお茶会をすっぽかすので、王妃である母上が、ただひたすらに『娘は病弱ですの』と繰り返した結果である。私は、公務が大嫌いだ。
「昨日、父上と母上から手紙が来て、とても驚いたよ」
全く驚いた様子のない優しい声音で、お兄様が私をにこやかに見ている。
最高に大好きなお兄様だ。
私は、早くお兄様に、好きな人が出来たと報告したくてたまらない。
私は、ロイドに恋をしてしまったらしいのだから。
そうだ、ロイドだって学院の学生なのだから、この場にいるはずだ! そう気づいた私は、お兄様に抱きついたままで、周囲を見渡した。すると、廊下の柱のところに立っているロイドを見つけた。唖然としたように目を見開いて、こちらを見ていたから、すぐに目が合った。すると――すいっと逸らされた。その反応に、思わず私はパチパチと瞬きをしてしまった。ロイドが別の方向を見ていると、そこに青緑色のローブを纏った学院の先生らしき人が歩みより、何事か声をかけていた。ロイドは小さく頷き、歩いて出て行ってしまった。交流会には、全員出席だと聞いていたのだけれど、先生に呼ばれたのだから、抜けてもいいのかもしれない。
「メリッサ? どうかしたのかい?」
「あ……その……な、なんでもないわ」
私は作り笑いで首を振った。
考えてみると、ロイドは度々公園に来てくれたのだけれど、本来この学院は全寮制だ、もし秘密で抜け出していたのならば、お兄様に伝え方を間違えたら、ロイドに迷惑をかけてしまうかもしれない。少なくとも、二人きりの場所で話をするべきだと私は考えた。
こうして私のルードフェルド魔法学院での生活が始まった。希望通り研究科に入学できた私は、魔法理論の勉強をしている。本当は両親は、私には王族としての礼儀作法を学ぶ王立女学院に進学し、早く結婚をして欲しいと言っていたのだが、私はそれが嫌だった。幼い頃から厳しく礼儀をたたき込まれた私は、これ以上学ぶものは特にないと思ったし、なにより新しい学びを――……というのはそれこそ建前で、単純にあの人に会いたかったのである。何故、『あの人』と呼んでいるかと言えば、ルイスお兄様と呼ぶと、即座に私が王女だと露見してしまうので、バレないように、『あの人』『あの人』と呼んでいたら、それが定着してしまった結果だ。
何故そんなに会いたかったかと言えば、勿論愛しているからだ。家族として。
四年間も会えないだなんて、私は耐えられなかったのである。
ルイスお兄様は、本日も温室にいる。
『この温室はね、私に気を遣って、誰も立ち入らないんだ。私だけの場所に等しい。でもね、メリッサならば、いつでも歓迎するよ』
そう言って、お兄様は柔らかく笑った。
だからその日以来、私は放課後になると、堂々と温室に入っている。
「ルイスお兄様!」
「やぁ、よくきたね。今日もメリッサは愛らしいな」
「うん」
私も私は愛らしいと思っている。
麗しいお兄様の妹なのだから、当然の帰結だ。
それはそうと、私は聞きたいことがあった。
「ところでお兄様」
「なんだい?」
「その……た、例えばのお話よ? ルードフェルド魔法学院は全寮制だけれど、外に出て戻ってくる方法はあるのかしら?」
私はロイドの事を念頭に尋ねた。するとルイスお兄様の瞳に鋭い光が宿った。それでも口元にだけは笑みを湛えている。
「ここは王宮とは違って、結界魔法がかけられているから、決して外には出る事ができないよ。王宮のように、抜け出して王都に行くようなことはできない」
「絶対に誰も出来ない?」
「ああ、不可能だ。だから、抜け出そうなどとは思わないようにね」
お兄様は私が抜け出そうとしていると思ったようだが、そんなつもりはない。
けれど、いよいよ疑問に思った。交流会の時に、ロイドを見たし、彼はいつも制服姿だったのだから、この学院の学生なのは間違いがない。けれど毎日のように、公園で私に勉強を教えてくれた。
「本当に、本当に、絶対に、絶対に不可能?」
「どうしたんだい?」
「そ、その……前に、学院の制服を着ている人を、公園で見かけたことがあったの」
私が言葉を選びながら伝えると、お兄様が瞳を揺らし、それから宙を見上げた。
「そうだな――この学院の騎士科の学生であれば、既に騎士団に所属していたり、内定している者も多くいるから、特別に通行証を所持している事はあるよ。彼らは実に優秀で、頭脳も技量もずば抜けている。卓越したセンスと攻撃力あるいは治癒術を行使出来る者達だ。将来、この国を守ってくれる、いいや、今も守ってくれている優秀な人材だよ」
そういえば、ロイドは膨大な魔力を持っているようだった。それに騎士科だったはずだ。ならば、ロイドも通行証を持っていたのだろうか……そうとしか、考えられない。そこでふと、ロイドが怪我をしていた日があったと思いだした。
「ね、ねぇ? その騎士達は、危険なこともするの? 怪我をしたりする?」
「ああ、そうだね。この国は魔獣災害が多い。その討伐は危険な任務であり、死と隣り合わせだ。あまり学生がそういった死線に出るとは聞かないけれど、例がないわけではないよ」
「そうなの……」
ロイドの事を想って、私は不安に駆られた。
「どうしたんだい? メリッサ。愛らしい顔が曇っているよ」
「……なんでもないわ」
「お兄様に、なんでも話してくれるのではなかったのかな?」
「今、どうお話したらいいか、まとめているの。頭の中で」
「そのまま、ありのままに話してくれればそれでいいんだよ」
まるで試験問題の羊皮紙のようだと、一瞬だけ考えた。だが、お兄様には別に、模範解答を告げる必要はない。考えてみると、あの試験の時には既に、私はロイドを大切だと思っていたのだったっけ。
「お兄様は、恋をした事がある?」
「うん? 私は許婚のマリスを愛しているよ?」
「そうね。マリス様がお義姉様になる日が待ち遠しいわ」
「そういう質問をするということは、メリッサは恋をしているのかな?」
「そうみたいなの。その人のことを考えると、胸がドキドキと煩いんだもの」
私がきゅっと胸元のリボンを握ると、ゆっくりとお兄様が頷いた。
「どんな相手だい?」
「優しい人なの」
「名前を聞いてもいいかな?」
「ロイドというの!」
「――制服姿で外に出ていた学院生のロイド、という認識でいいのかな?」
「お、お兄様は鋭いわね……」
思わず私が笑みを引きつらせると、それまで花に手を伸ばしていたお兄様が、顎に手を添えた。そして柔和な笑みから一転し、考え込む表情に変わった。
「黒い短髪で、緑の目かな?」
「ええ。もしかしてご存じなの?」
「ああ、知っているとも。彼は既に騎士団に所属している優秀な人材その人だ。内々にだが、平時は私の護衛も兼ねてくれている」
「えっ」
驚いて私は息を呑んだ。
「確かに彼は、日常的に騎士団の任務についているから、外出しているようだな。しかしロイド・ファーベルとはな……そうか、ロイドか」
「ロイドが好きではダメ?」
不安になって、私は尋ねた。お兄様にダメだと言われたら、お兄様とは喧嘩するしかない。するとお顔を上げたお兄様は、苦笑して首を振った。
「いいや、ダメという事はないよ。彼は優秀だと言っただろう?」
「じゃあどうしてお兄様は、難しい顔をしていたの?」
「――いやねぇ、彼は非常に危険な任務に就いていると聞いていてね。メリッサが心を痛める日もあるのでは無いかと心配になっただけさ」
「っ」
「彼のことが知りたいかい?」
「ええ」
私が頷くと、お兄様が微笑した。
「ならば、本人に聞くといい。応援しているよ」