私には会いたい人がいる。
――どうしても、あの人に会いたい。
そのためには、ルードフェルド魔法学院に入学する必要がある。
ルードフェルド魔法学院は、王族も貴族も平民も、貧民街の人間も問わず、試験にさえ合格すれば、誰でも入れる。しかし受験できるのは、十五歳の十月から次の三月までの間のみ。それより年下でも年上でも、受験資格は無くなる。
今年、私は十五歳となった。
つまり今年だけが、受験のチャンスだ。この王国では、四月一日に全員年を一つ取る。
ルードフェルド魔法学院では、魔法を学ぶことになる。ここエンドナーヴェル王国に暮らす人間は、基本的に全員魔力を持っている。人間は、魔力が無いと生命を維持できない。
騎士科、治癒科、研究科が存在する。
あの人は、研究科だ。だから私も研究科を志望している。
だが、私が受験をしたいと述べたら、周囲、特に両親が猛反対した。
だから私は、本日もひっそりと、王都の外れの公園の四阿にて、テーブルに参考書を広げ、ノートを開いて自習をしている。季節は夏、受験まであと一ヵ月だ。試験は、一次試験から三次試験まである。だが、試験内容は分からない。本当は、家庭教師に試験内容を教わって入るか、例外的に膨大な魔力を持っているような場合に実技試験で通れば、合格するらしい。だけど私には一般的な魔力量しかないし、家庭教師は――……
「なんだ、また来ていたのか?」
声がかかったので顔を上げると、まさにルードフェルド魔法学院の制服を着た男子がそこに立っていた。前に、十七歳だと聞いた。ルードフェルド魔法学院は四年制なのだが、現在彼は第三学年だという。あの人と、同じ歳だ。
「ええ。なんとしても合格しないとならないんだから」
私は大きく頷きながら、翡翠色の彼の瞳を見た。艶やかな黒髪をしていて、目の形は少しつり目だ。素直に格好いいと賞賛できる容姿の持ち主だが、こちらを呆れたように見る眼差しには、ちょっとだけムッとしてしまう。
「ねぇ、ロイド。筆記と実技とあと一つは、どんな試験内容なの? 面接ではないのよね?」
私が尋ねると、ロイドが腕を組んだ。青緑色の制服姿で、ネクタイの色は緋色だ。学年によって、ネクタイの色は変わるらしい。
「この前も話したが、最後の一つは、毎年変わるんだ。俺の時は、壁を登った」
「壁……」
上手く想像が出来ない。
確かに前回そう聞いたが、あの日はロイドが、急いでいると言ってすぐに帰ってしまった。その前、二回目に会った時は、ロイドは私が筆記試験の参考書を開いているのを見て、驚いていた。『ルードフェルド魔法学院を受験するのか?』と、その時初めて聞かれた。
一番最初に私達が出会ったのは、私が勉強場所を探してこの四阿に来た時で、その際の先客が、ロイドだったのである。テーブルに肘をついて、ロイドはその時、白い紙を眺めていた。何気なく歩きながら、それをチラリと見て、私は目を丸くし、立ち止まった。なんと、『ルードフェルド魔法学院』と印字された紙で、よく見れば答案用紙だったからだ。頬杖をついていたロイドに、『もしかしてルードフェルド魔法学院の学生なの!?』と尋ねたら、頷かれたのだが、私がベンチに座るとすぐ、立ち上がって帰ってしまった。
さて、そうして顔を合わせるようになり、本日が五回目の遭遇だ。
「ねぇねぇ、筆記試験はどのような感じなの? 基本的な常識問題と聞いたから、そういった本を参考書にしているのだけれど」
私が銀髪の毛先に触れながら問いかけると、ロイドが遠い目をした。
完全に呆れた顔で、長身の彼は私を見下すように見ている。
「あのな、『魔法学院』の常識だぞ? 一般常識といえど、それは『魔法学院』の常識だ。たとえば礼儀作法だの、テーブルマナーだの、そういったものは、なんの役にも立たない」
「えっ」
まさに今、音楽の聴き方の復習をしていた私は、思わず声を上げた。
「いいか? まず、筆記試験では、白紙の答案用紙と問題用紙が配られる。問題用紙の方は、喋るんだ」
「へ? 紙が喋るの?」
「そうだ。何も書かれていない羊皮紙に、唇が出現し、回答者にしか聞こえない声で問題を出し始める。その内容が、多くの場合、『面接』で聞かれるような事項となる。それを文字で解答用紙に記していくんだ。この時、とても鋭い質問をされる。嫌な事も聞かれる。圧迫面接と思っていい。この面接で心を折られて、入学を断念する者が、毎年後を絶たないほどだ。お前も、そこで挫折するかもしれないな。礼儀作法しか心構えがないのならば」
呆れた口調ではあったが、つらつらとロイドは教えてくれた。私はノートに、その言葉を書き取った。すると片眉だけを下げて、ロイドが困った顔をした。
「真面目なんだな、一応」
「当然よ! 私にはどうしても会いたい人がいるんだから」
「会いたい人?」
「ええ。ルードフェルド魔法学院にいるの。全寮制だから、入学しないと会えないのよ」
「なるほどな」
立ったままでロイドは頷いた。それから腕を組み、思案するように瞳を揺らしてから、近くの茂みを見た。白い野良猫が顔を出し、走り去っていく。
「まぁ、せいぜい努力する事だな」
ロイドはそう言うと踵を返した。私はその背中を見ながら、ふと考えた。
「あれ? 全寮制なのに、どうしてロイドは外にいるのかしら……?」
なにか、特別な制度があるのだろうか?
だが、だとしても、あの人がその制度について私に語ったことは一度も無い。
たまに送られてくる手紙には、少なくとも書かれていなかった。
いつも、卒業したら会おうという言葉と、愛しているの一言で締めくくられている。
「私だって、愛しているわ」
ぽつりと呟いてから、私はノートを見返すことにした。