次の日、ホテルマンに一枚の絵葉書を貰った。
「え、あ、ありがとう」
わたしはとても恥ずかしい気持ちになりながらそれを受け取った。この前、飛ばされた絵葉書だ。でも、なんでわたしのってわかったんだろう。差出人にわたしの名前を書いたから……え、待って? 確かあのとき名前じゃなくて『Moi』——つまり『わたし』って書いた気がする。
そう思ってよくよく見てみると、差出人の欄には『さっきまで悲しかった人』とあった。これはわたしが失くした絵葉書じゃない。別の人が書いた絵葉書だ。そして、受取人の欄にはわたしの名前とこのホテルの名前が書いてあった。
とても不思議なことだ。どうしてわたしの名前を。でも、『さっきまで悲しかった人』って書いてあるってことは、あの絵葉書を見たってことだ。
『元気が出ました。ありがとう』
メッセージにはそう書いてあった。書き慣れていないようなガタガタの字体。送り主は幼い子だろうか。
ストンッ。とベッドに腰を下ろした。それから上半身を寝かせて、うーんと唸る。考えても考えてもわからない。
しばらく考えて出した結論は
「ま、いっか」
だった。だってわたしのメッセージで元気が出た人がいることは事実なんだし。この絵葉書の送り主がわたしに危害を加えるようなことはなさそうだし。
「そうだ」
わたしは絵葉書を取り出して、またメッセージを書き始めた。
『今、怒っている人』
『今、逃げようとしている人』
『今、ため息が止まらない人』
などなど、たくさん書いた。また不思議なことが起こってくれないか、自分の言葉で誰か救われてくれないか。そんな思いで。
次の一枚で買った半数を使ってしまう。これで最後にしよう。
『今、死のうと思っている人』
こんな重い言葉、ちょっと書くのはためらわれたけれど、しかし絶対に必要な受取人だ。でも、どんな言葉が良いだろう。
時計の秒針が10回くらい天辺を通り過ぎてから筆を走らせた。私に言えることは、結局これくらいしかないだろうって思って。
※ ※ ※ ※
いやしかしながら、わたしって本当にドジね。
帰国当日だと言うのに、書いた絵葉書は依然手元にある。当たり前だ。書いたのはホテルの中。風で飛ばされることは絶対にない。かといってポストに入れるわけにもいかない。郵便局員の人たちが困ってしまうから。
結局そのまま帰国することにしたが、家についてから唖然とする事実がわたしを襲った。
ないのだ。絵葉書が。記入済みのものすべてが。入れたはずのカバンのポケットに。
未記入のものはあったけれど、だからこそ余計に不思議だった。同じポケットに入れたはずだったから。
いや、どこかで取り出したような気もする……。けれど、旅の記憶というのはとても曖昧で、色濃く残ったシーン以外は、思い出せなかったりするのだ。
ま、いっか。あの絵葉書たちも、誰かの元に届いていたりするかもしれないし。
※ ※ ※ ※
わたしがよく旅行に行くのは、子供のころに修学旅行に行けなかった反動だ。生まれつき体が弱かったわたしは、学校を休みがちだったし、泊まることが前提になる修学旅行は絶対にいけないイベントだった。幼い頃のわたしは、自分の体のことをよくわかっておらず、駄々をこねて母を困らせた。いや、そんなかわいいものじゃあない。泣き叫んでいたな。
「本当に、ごめんなさい」
お母さんはわたしの体をきつく抱きしめて、涙に濡れた声を漏らした。
「いいよ」
お母さんのあまりの真剣さにびっくりしてしまって、そんな言葉を返した。
それ以来わたしは、修学旅行に行けなくても駄々をこねることはなくなった。代わりに、旅雑誌を見て、今みんなはこの辺に居るのかなと想像することを楽しみにした。
大人になると、子供のころのように頻繁に体調を崩すことはなくなった。だからわたしは旅行をすることにした。今まで行けなかった分、遠くへ。
もう病気は治ってしまったのではないかと思えるほどに症状は落ち着いていた。けれどもそれはやはりまやかしで、病状は悪化の一途を辿った。
「端的に申し上げますと、手術をしても完治はしませんが、しなければ5年後の生存確率は著しく下がることになります」
「手術して治らないにしても、今よりマシになりますか?」
「状態を維持することに特化した治療法に切り替えますので、体は楽になりますし長く生きられます。が……」
「頻繁に通院しないといけないんですよね」
主治医は首を縦に振った。わたしも患者になってから長い。それなりに病気について調べてきている。つまり、わたしからさらに端的に申し上げると、細く長く生きるか、太く短く生きるかってことだ。
「ちなみに、その手術をしたあと、海外旅行に行ったりすることはできますか?」
主治医は、首を横に振った。
わたしの答えは決まっていた。
「え、あ、ありがとう」
わたしはとても恥ずかしい気持ちになりながらそれを受け取った。この前、飛ばされた絵葉書だ。でも、なんでわたしのってわかったんだろう。差出人にわたしの名前を書いたから……え、待って? 確かあのとき名前じゃなくて『Moi』——つまり『わたし』って書いた気がする。
そう思ってよくよく見てみると、差出人の欄には『さっきまで悲しかった人』とあった。これはわたしが失くした絵葉書じゃない。別の人が書いた絵葉書だ。そして、受取人の欄にはわたしの名前とこのホテルの名前が書いてあった。
とても不思議なことだ。どうしてわたしの名前を。でも、『さっきまで悲しかった人』って書いてあるってことは、あの絵葉書を見たってことだ。
『元気が出ました。ありがとう』
メッセージにはそう書いてあった。書き慣れていないようなガタガタの字体。送り主は幼い子だろうか。
ストンッ。とベッドに腰を下ろした。それから上半身を寝かせて、うーんと唸る。考えても考えてもわからない。
しばらく考えて出した結論は
「ま、いっか」
だった。だってわたしのメッセージで元気が出た人がいることは事実なんだし。この絵葉書の送り主がわたしに危害を加えるようなことはなさそうだし。
「そうだ」
わたしは絵葉書を取り出して、またメッセージを書き始めた。
『今、怒っている人』
『今、逃げようとしている人』
『今、ため息が止まらない人』
などなど、たくさん書いた。また不思議なことが起こってくれないか、自分の言葉で誰か救われてくれないか。そんな思いで。
次の一枚で買った半数を使ってしまう。これで最後にしよう。
『今、死のうと思っている人』
こんな重い言葉、ちょっと書くのはためらわれたけれど、しかし絶対に必要な受取人だ。でも、どんな言葉が良いだろう。
時計の秒針が10回くらい天辺を通り過ぎてから筆を走らせた。私に言えることは、結局これくらいしかないだろうって思って。
※ ※ ※ ※
いやしかしながら、わたしって本当にドジね。
帰国当日だと言うのに、書いた絵葉書は依然手元にある。当たり前だ。書いたのはホテルの中。風で飛ばされることは絶対にない。かといってポストに入れるわけにもいかない。郵便局員の人たちが困ってしまうから。
結局そのまま帰国することにしたが、家についてから唖然とする事実がわたしを襲った。
ないのだ。絵葉書が。記入済みのものすべてが。入れたはずのカバンのポケットに。
未記入のものはあったけれど、だからこそ余計に不思議だった。同じポケットに入れたはずだったから。
いや、どこかで取り出したような気もする……。けれど、旅の記憶というのはとても曖昧で、色濃く残ったシーン以外は、思い出せなかったりするのだ。
ま、いっか。あの絵葉書たちも、誰かの元に届いていたりするかもしれないし。
※ ※ ※ ※
わたしがよく旅行に行くのは、子供のころに修学旅行に行けなかった反動だ。生まれつき体が弱かったわたしは、学校を休みがちだったし、泊まることが前提になる修学旅行は絶対にいけないイベントだった。幼い頃のわたしは、自分の体のことをよくわかっておらず、駄々をこねて母を困らせた。いや、そんなかわいいものじゃあない。泣き叫んでいたな。
「本当に、ごめんなさい」
お母さんはわたしの体をきつく抱きしめて、涙に濡れた声を漏らした。
「いいよ」
お母さんのあまりの真剣さにびっくりしてしまって、そんな言葉を返した。
それ以来わたしは、修学旅行に行けなくても駄々をこねることはなくなった。代わりに、旅雑誌を見て、今みんなはこの辺に居るのかなと想像することを楽しみにした。
大人になると、子供のころのように頻繁に体調を崩すことはなくなった。だからわたしは旅行をすることにした。今まで行けなかった分、遠くへ。
もう病気は治ってしまったのではないかと思えるほどに症状は落ち着いていた。けれどもそれはやはりまやかしで、病状は悪化の一途を辿った。
「端的に申し上げますと、手術をしても完治はしませんが、しなければ5年後の生存確率は著しく下がることになります」
「手術して治らないにしても、今よりマシになりますか?」
「状態を維持することに特化した治療法に切り替えますので、体は楽になりますし長く生きられます。が……」
「頻繁に通院しないといけないんですよね」
主治医は首を縦に振った。わたしも患者になってから長い。それなりに病気について調べてきている。つまり、わたしからさらに端的に申し上げると、細く長く生きるか、太く短く生きるかってことだ。
「ちなみに、その手術をしたあと、海外旅行に行ったりすることはできますか?」
主治医は、首を横に振った。
わたしの答えは決まっていた。