高校の帰り道は自転車で片道四十分、毎日通っていると長さに辟易するのだけど、今日は起きた出来事を頭で処理している内に気づいたら着いていた。
 自転車から降りると、運動後の清々しさと考えすぎた泥沼の疲れが一挙に押し寄せてくる。玄関まで重い足で向かいドアノブに手をかけるとまた犬に吠えられた。でもそれに反応する力もなく家に入り、部屋に直行した。

「おっかえりー! さぁ昨日の続きを話してもらうからね!」

 ハナシは待ちかねたというように駆け寄ってくる。もう嫌だ。彼女の明るさは暗闇にいる僕には眩しすぎる。しかもそれを拒否する体力も無く浴び続けるしかなくて。

「そうそう、流石に昨日のことはひどすぎると思うよっ。亡霊にも心はあるんだから」
「それは……ごめん」

 正直やりすぎたと思っていた。けれど普段ならすぐには出ない言葉が、心が弱っているからか謝罪の言葉がすらっと出てきた。

「わ、わかればいいんだけど……」

 想定していなかったのか語気が弱まる。僕はその隙にバッグを置いてから横を通って椅子に座った。

「はぁ」
「水樹、大丈夫? 昨日に増して悩ましげだね」
「まぁ……そうだけど」

 背もたれに体重を預けて天井を見上げる。電気はついておらず、窓の光だけの部屋は居心地が良かった。

「つまり話しかけまくれば君はめっちゃ面倒ということだよね」
「そうかもね」
「ほほーう」

 ハナシはベッドに腰掛けて、会話するぞという姿勢を見せてくる。

「ずいぶん悩んでいて昨日のことを考えると……ズバリ友達と喧嘩したんでしょ!」

 自信満々な顔でビシッと人差し指を向けてきた。

「黙秘権はないからねっ。しつこく聞いて――」
「遊びに誘われたんだ」
「へっ?」

 目を丸くしてハナシは困惑の声を出す。その様子に少しやり返せたような気がして胸がスッとした。

「遊びって……もしかして悪い遊びとか?」
「いや、明日の放課後に学校近くのショッピングモールで行かないかって」
「それのどこに悩む要素があるの? 楽しみじゃんか」

 この子は僕の意識から姿を作っているのに、僕の考えとか性格をまるでわかっていない。

「だって、放課後に真っ直ぐ帰らないんだよ。それに、遊んでいる時に何を話せばいいかとか、もし気まずいまま終わったらどうしようとか、不安要素がてんこ盛りだから悩んでるんだ」
「私ならめっちゃ楽しみだけどなー。そんな乗り気じゃないなら断っちゃえばいいんじゃない?」
「それは……せっかく誘って貰ったのに断ると悪いし、ちょっと行きたい気持も無くはないんだよね」

自分がどうしたいのか分からないでいた。それは彼との関係が始まってからずっとそうで。遊びに誘われたことで、曖昧にしていた判断を行動にして示さなければならなくなってしまった。

「ふーん、少しでもその気があるなら行ってみた方がいいんじゃないかな。相手にはなんて返事したの?」
「予定を確認してから後で言うって保留にした」

 彼とは連絡先を交換していて、あまりやり取りはないけれど基本的には向こうから会話を始めてくれる。

「じゃあ早く行くって言いなよっ」
「いや……でも」

 自分を変えることに強い抵抗感があって腕がスマホに伸びない。ハナシに目をやるとじれったそうに唇をぎゅっと閉じていた。

「……僕たちってさ、逆の存在だったなら性格と合っていて良かったのにね」
「うん、そうかも。けど、君の態度と性格だと亡霊として出てもお世話してもらえないよ」
「いや? すぐにいなくなって欲しくて頑張ってくれるかもしれない」
 僕は退屈と呼ばれるような状態が好きで、彼女は色々知りたがって新しいことを求めている。
「あはは、確かにねっ。……あのさ水樹」

 無邪気な笑顔から途端にハナシは儚げな微笑みを向けてくる。

「君は私が欲しくても得られないものを持っているの。そんな貴重なのを使わないなんて勿体ないと思うし、すごく羨ましい。だから、大きく変化させられるチャンスを逃したら、恨んでもっと長く住み着いちゃうんだからね」

 最後はいつもの調子でいたずらっぽく笑った。

「……」

 僕は彼女の気持ちが痛いほどわかる。だって同じ想いを抱いているから。けど、きっとハナシの方がその想いは強いのだろう。

「僕は変化が怖い。失敗すると痛いし辛いから」

 今までずっと独りだった。両親は放任主義で挑戦して上手くいっても褒めてもらえず、失敗しても慰めてはくれなかった。次第にチャレンジすることが嫌になって、楽な安定の道を選び続けたんだ。

「私がいるよ。私っていう居場所があるでしょ」

 ハナシはベッドからぴょんと立ち上がり、僕の両手を彼女の小さな両手で包みこんできた。そのひんやりした手はとても心地良かった。

「ひ、独りの方が良い居場所なんだけど」
「そんなこと言ってー。本当は嫌いじゃないんでしょ、私と話すの」
「それは……」

 否定できない自分が嫌だった。でも実際、彼女と話すことで気持が軽くなっているのも事実で。

「亡霊としては、君が苦しんでいる姿を見たいんだけど、私個人としては君と色んなことを楽しく話したいし、独りと思って悲しんで欲しくないんだ」

 その真っ直ぐな温かな言葉が、僕の胸の奥にある穴に注ぎ込まれて行動を阻害していた鎖が溶けていくのを感じた。

「……わかった、頑張ってみる」
「うんっ」

 小さな手に引っ張られて僕は立ち上がり、スマホを手にとって彼にメッセージを送る。丁寧な感じかフランクな感じか悩んだ末に、後者を選び遊ぶ旨を伝えた。送り終えるとやりきったような疲労がどっと押し寄せて床に座り込んだ。

「明日、いっぱい話を聞かせてね」
「わかっているよ」

 ハナシは空席となった椅子に座ると、気持を表現するかのようにくるくる回り始めた。

「そうだ、ハナシこれを」

 僕は腰を上げて回転している彼を止めてにヘッドフォンを手渡す。そして装着してもらってから、ノートパソコンを開いて、あるASMR動画を開いた。

「ま、まさか火の音を?」
「違うよキーボードのタイプ音」

 再生するとハナシの表情が柔らかくほどけた。彼女はキーボードのタイプ音が好きだ。

「えへへ、やっぱり良い音だよね。でもどうして?」
「昨日のお詫びと今日の感謝だよ」
「ふふっやっぱり、水樹って優しいよね」

 締め付けられていたものから開放された気がして、久しぶりにポジティブな気持になってくる。

「そうそう、来月のお小遣いで良い音のする新しいキーボードを買おうと思っているんだ」
「本当っ! どんな音なんだろ楽しみだなー」

 気づけば外は夕日が沈みそうで部屋も薄闇の中にあって。パソコンのブルーライトだけが輝いていた。僕は部屋の入口まで歩いて電気を付けるとぱっと明るくなり部屋の中が光で満たされる。
 僕はシャッターを閉めようと窓を開けると涼やかな風が駆け巡った。