駅の出口に差し掛かり空を見上げると、夕方の空を曇天が覆っていて、大雨を降らせていた。
「まじかよ」
仕事終わりの疲れ切った体には非常に堪える。憂鬱な気分を視界からも摂取することになって、体にかかる重力が倍増した。
「傘忘れてたなぁ」
今日は起床するのが遅れて、天気予報を確認できなかったのだ。なので自業自得ではあるのだが、慌ただしい日でもあったので、天気ぐらい晴れていて欲しい。
そんな愚痴を心で零してもなんの意味も無いけど。
俺の住む街は少し都会から離れていて、田舎な所のため人通りは少ない。まばらな人が横を通って、見せつけるように傘を差したり折り畳んだり、雨水を飛ばしている。俺は邪魔にならないよう端っこにどいて、どうするか空を睨む。
「あ、雨降ってるし……」
ふと、駅の方から一人出口で足を止めた。横目で見るとスーツ姿の女性だった。どうやら同じ境遇らしい。不運を共にしていると思うと、謎の親近感が湧く。勝手で悪いけど。
「……あれ? もしかして蒼汰?」
突然、その人物に俺の名前を呼ばれる。心臓がドッキとして体が跳ねそうになった。
「え、彩音?」
「うわぁ、奇遇だね!」
「あ、ああそうだね」
藤北綾音。小さな頃から一緒で高校までは同じ学校だった幼馴染。大学からは別々で、近所に住んではいるけど、徐々に会わなくなった。会社勤め一年目で慣れていないのと覚えることがいっぱいでほとんど周りが見えていないせいか、今年は一度も見かけていない。
「ふーん……」
綾音はジロジロと俺の姿を眺める。
「な、なんだよ……」
「いやー違和感だらけだなって」
「悪かったな、似合ってなくて」
自分でもわかっている。鏡に映る姿を見るといつも不相応だなと思ってしまう。
「ごめん、ごめん。そういう意味じゃなくて、見慣れなかったからさ」
昔と同じようにあっけらかんと笑った。
「まぁ、そりゃそうだよな。しばらく会ってなかったし」
「そうだねー。これが大人になるってことなのかなぁ」
「何だそれ」
似合わず悟ったようなことを言うものだから笑ってしまう。
「ちょっと、何笑ってんのさ。似合わねぇとか思ったでしょ。私だって大人になったんだから」
こちらを見上げて、子供っぽく頬膨らまして抗議してくる。その様子は気にすることはなく、俺は彼女の姿をまじまじと見た。
肩まで伸びている茶髪のふんわりとした髪に、変わらない童顔と真っ直ぐなブラウンの瞳にきれいな鼻筋、肌も白く透き通っている。強く抱きしめてしまえば簡単に壊してしまいそうな体には、ビシッとした紺色のスーツ。そこから綺麗な手足が伸びていた。
「……なんか、スーツに着られている感」
「失礼なー!」
ポコポコと体を叩いてくる。
綾音には申し訳ないが、顔立ちのせいでスーツが制服みたいに見えてしまう。けれど、本人に言う気はないが可愛いとは思った。
「うー。もういいや、蒼汰は見る目がないからね。それと、そんな返しはモテないからね」
「いや、綾音にしか言わないし」
「どういうことじゃ!」
何だかこんなやり取りをしていると昔に戻った気分になる。社会人になってからは昔に戻りたいと思うことが頻繁にあった。だから、少し気分が安らいだ。雨に対しての文句は撤回しよう。
「あ、そんなことより蒼汰は何してたの? 誰かと待ち合わせ?」
「いや、傘忘れて困ってた」
「さては天気予報を確認し忘れたね。蒼汰は適当だからなー」
自分も傘を忘れているのだから、なぜドヤ顔で指摘出来るのか。
「お前も人のことは言えないだろ」
「私は、確認した上で忘れたんだよ。一歩先を行っているわけ」
「え、馬鹿じゃん」
ある意味では一歩先を行っているな。
「いやそっちこそ馬鹿だし」
「いやそ――うん、そういことでいいよ」
こんなことで言い争ってもなんの意味もない。もうあの頃とは違うのだから。
「え。……調子狂うじゃん」
沈黙が訪れると途端に強い雨音が鼓膜を揺らす。辺りに人はおらず俺と綾音だけ。雨の世界に二人っきり。小学生の頃に昇降口で同じようなことがあったなと記憶が蘇ってきた。
「……なんかさ、昔を思い出しちゃうな」
同じことを思い出していたのか綾音はぽつりとそう呟いた。
「……同じこと考えてた」
「本当? ふふっ、嬉しいな」
にまーと笑う綾音の表情が胸の奥を熱くさせてきて、思わず視線を逸した。
「あの時って、傘もささずに走って帰ったんだよね」
「ああ、すげぇびしょ濡れになってさ、親に怒られたんだよなぁ。まぁちょっと楽しかったけどさ」
傘もささずに雨を浴びる謎の背徳感に高揚したのを覚えている。あのときのバイタリティには驚くものがあった。
「じゃあさ、もう止みそうにないしあの時みたく走らない?」
これからいたずらを仕掛けるみたいに微笑みながら提案してきた。
「いやいや。そんな年じゃないし。雨の中行くにしてもタクシーかなんか呼んだほうがいいだろ」
残念ながらここは少し田舎なため、この時間にバスはない。周囲にはビニール傘を買う店もない。
「なんか昔に戻ってみたいなって思ったの。少しでもあの頃の気分を味わえたならって」
どこか遠くを彼女は眺める。その瞳は寂しさを湛えていて。
「ごめん。やっぱ忘れて。タクシーかなんか呼ぼっか。割り勘でさ」
「……いや、走るか」
「え……」
彼女は目を丸くする。
「俺も戻ってみたくなった」
「えへへ、やっぱり気が合うね」
綾音は顔を輝かせて喜ぶ。少し照れくさい気持ちが上がってきた。
「じゃ、行きますか」
俺と綾音はリュックを背負い直して雨の中を駆け出した。
外に出た瞬間に天然のシャワーが全身に降り掛かってくる。
雨粒が顔に当たって冷えて、目には水が入り髪も水分が浸透し垂れ下がる。スーツは濡れて肌に吸い付き、駆ける足には靴が浸水していった。
そんな最悪な状態だけど不思議と気分は高鳴っていた。少ない人目を憚らず子どもみたいに走った。
「あはは。なんか、馬鹿みたい!」
綾音もびしょ濡れだけど弾けんばかりの笑顔で、すごく輝いているように見えた。多分、目に水が入っているからだと思うけど。
ひとしきり走るといつの間にか家の前に。走っていることを抜きにしても帰路につく時間が体感では短く感じた。一瞬で通り過ぎた感じ。
「いやー馬鹿だね私達!」
「本当だな。アホ過ぎる」
綾音も全身ずぶ濡れで髪は垂れ下がり、スーツは水分を吸って張り付いている。すごく寒いが走ったからか頬は高潮していた。
「でも、何だか楽しかったなぁ」
「うん。俺も楽しかった」
どこか押し殺していたものをちょっとだけ、開放出来たそんな気がする。
「じゃ、そろそろ家に入ろっか。流石に風邪ひきそうだし」
「ああ。じゃあまた今度」
「うん」
彼女は一つ隣の家なのでそちらにくるりと背を向けて走り出した。俺も後ろ髪を引かれつつも目の前の家に足を向ける。
ふと玄関の前で止まって、ちらりと綾音の家の方に目を向けると、目が合った。
綾音はひらひらと手を振っている。俺もそれを返して玄関の中へ。
ガチャリと扉を閉めると、雨の音が遠ざかり非現実的だった雨の世界から現実世界に引き戻される。
「体が重い」
全身がずぶ濡れで衣服に重量を感じる。けれど、雨のおかげで大人になって感じていた重りを少し洗い流してくれた、そんな気がした。
「まじかよ」
仕事終わりの疲れ切った体には非常に堪える。憂鬱な気分を視界からも摂取することになって、体にかかる重力が倍増した。
「傘忘れてたなぁ」
今日は起床するのが遅れて、天気予報を確認できなかったのだ。なので自業自得ではあるのだが、慌ただしい日でもあったので、天気ぐらい晴れていて欲しい。
そんな愚痴を心で零してもなんの意味も無いけど。
俺の住む街は少し都会から離れていて、田舎な所のため人通りは少ない。まばらな人が横を通って、見せつけるように傘を差したり折り畳んだり、雨水を飛ばしている。俺は邪魔にならないよう端っこにどいて、どうするか空を睨む。
「あ、雨降ってるし……」
ふと、駅の方から一人出口で足を止めた。横目で見るとスーツ姿の女性だった。どうやら同じ境遇らしい。不運を共にしていると思うと、謎の親近感が湧く。勝手で悪いけど。
「……あれ? もしかして蒼汰?」
突然、その人物に俺の名前を呼ばれる。心臓がドッキとして体が跳ねそうになった。
「え、彩音?」
「うわぁ、奇遇だね!」
「あ、ああそうだね」
藤北綾音。小さな頃から一緒で高校までは同じ学校だった幼馴染。大学からは別々で、近所に住んではいるけど、徐々に会わなくなった。会社勤め一年目で慣れていないのと覚えることがいっぱいでほとんど周りが見えていないせいか、今年は一度も見かけていない。
「ふーん……」
綾音はジロジロと俺の姿を眺める。
「な、なんだよ……」
「いやー違和感だらけだなって」
「悪かったな、似合ってなくて」
自分でもわかっている。鏡に映る姿を見るといつも不相応だなと思ってしまう。
「ごめん、ごめん。そういう意味じゃなくて、見慣れなかったからさ」
昔と同じようにあっけらかんと笑った。
「まぁ、そりゃそうだよな。しばらく会ってなかったし」
「そうだねー。これが大人になるってことなのかなぁ」
「何だそれ」
似合わず悟ったようなことを言うものだから笑ってしまう。
「ちょっと、何笑ってんのさ。似合わねぇとか思ったでしょ。私だって大人になったんだから」
こちらを見上げて、子供っぽく頬膨らまして抗議してくる。その様子は気にすることはなく、俺は彼女の姿をまじまじと見た。
肩まで伸びている茶髪のふんわりとした髪に、変わらない童顔と真っ直ぐなブラウンの瞳にきれいな鼻筋、肌も白く透き通っている。強く抱きしめてしまえば簡単に壊してしまいそうな体には、ビシッとした紺色のスーツ。そこから綺麗な手足が伸びていた。
「……なんか、スーツに着られている感」
「失礼なー!」
ポコポコと体を叩いてくる。
綾音には申し訳ないが、顔立ちのせいでスーツが制服みたいに見えてしまう。けれど、本人に言う気はないが可愛いとは思った。
「うー。もういいや、蒼汰は見る目がないからね。それと、そんな返しはモテないからね」
「いや、綾音にしか言わないし」
「どういうことじゃ!」
何だかこんなやり取りをしていると昔に戻った気分になる。社会人になってからは昔に戻りたいと思うことが頻繁にあった。だから、少し気分が安らいだ。雨に対しての文句は撤回しよう。
「あ、そんなことより蒼汰は何してたの? 誰かと待ち合わせ?」
「いや、傘忘れて困ってた」
「さては天気予報を確認し忘れたね。蒼汰は適当だからなー」
自分も傘を忘れているのだから、なぜドヤ顔で指摘出来るのか。
「お前も人のことは言えないだろ」
「私は、確認した上で忘れたんだよ。一歩先を行っているわけ」
「え、馬鹿じゃん」
ある意味では一歩先を行っているな。
「いやそっちこそ馬鹿だし」
「いやそ――うん、そういことでいいよ」
こんなことで言い争ってもなんの意味もない。もうあの頃とは違うのだから。
「え。……調子狂うじゃん」
沈黙が訪れると途端に強い雨音が鼓膜を揺らす。辺りに人はおらず俺と綾音だけ。雨の世界に二人っきり。小学生の頃に昇降口で同じようなことがあったなと記憶が蘇ってきた。
「……なんかさ、昔を思い出しちゃうな」
同じことを思い出していたのか綾音はぽつりとそう呟いた。
「……同じこと考えてた」
「本当? ふふっ、嬉しいな」
にまーと笑う綾音の表情が胸の奥を熱くさせてきて、思わず視線を逸した。
「あの時って、傘もささずに走って帰ったんだよね」
「ああ、すげぇびしょ濡れになってさ、親に怒られたんだよなぁ。まぁちょっと楽しかったけどさ」
傘もささずに雨を浴びる謎の背徳感に高揚したのを覚えている。あのときのバイタリティには驚くものがあった。
「じゃあさ、もう止みそうにないしあの時みたく走らない?」
これからいたずらを仕掛けるみたいに微笑みながら提案してきた。
「いやいや。そんな年じゃないし。雨の中行くにしてもタクシーかなんか呼んだほうがいいだろ」
残念ながらここは少し田舎なため、この時間にバスはない。周囲にはビニール傘を買う店もない。
「なんか昔に戻ってみたいなって思ったの。少しでもあの頃の気分を味わえたならって」
どこか遠くを彼女は眺める。その瞳は寂しさを湛えていて。
「ごめん。やっぱ忘れて。タクシーかなんか呼ぼっか。割り勘でさ」
「……いや、走るか」
「え……」
彼女は目を丸くする。
「俺も戻ってみたくなった」
「えへへ、やっぱり気が合うね」
綾音は顔を輝かせて喜ぶ。少し照れくさい気持ちが上がってきた。
「じゃ、行きますか」
俺と綾音はリュックを背負い直して雨の中を駆け出した。
外に出た瞬間に天然のシャワーが全身に降り掛かってくる。
雨粒が顔に当たって冷えて、目には水が入り髪も水分が浸透し垂れ下がる。スーツは濡れて肌に吸い付き、駆ける足には靴が浸水していった。
そんな最悪な状態だけど不思議と気分は高鳴っていた。少ない人目を憚らず子どもみたいに走った。
「あはは。なんか、馬鹿みたい!」
綾音もびしょ濡れだけど弾けんばかりの笑顔で、すごく輝いているように見えた。多分、目に水が入っているからだと思うけど。
ひとしきり走るといつの間にか家の前に。走っていることを抜きにしても帰路につく時間が体感では短く感じた。一瞬で通り過ぎた感じ。
「いやー馬鹿だね私達!」
「本当だな。アホ過ぎる」
綾音も全身ずぶ濡れで髪は垂れ下がり、スーツは水分を吸って張り付いている。すごく寒いが走ったからか頬は高潮していた。
「でも、何だか楽しかったなぁ」
「うん。俺も楽しかった」
どこか押し殺していたものをちょっとだけ、開放出来たそんな気がする。
「じゃ、そろそろ家に入ろっか。流石に風邪ひきそうだし」
「ああ。じゃあまた今度」
「うん」
彼女は一つ隣の家なのでそちらにくるりと背を向けて走り出した。俺も後ろ髪を引かれつつも目の前の家に足を向ける。
ふと玄関の前で止まって、ちらりと綾音の家の方に目を向けると、目が合った。
綾音はひらひらと手を振っている。俺もそれを返して玄関の中へ。
ガチャリと扉を閉めると、雨の音が遠ざかり非現実的だった雨の世界から現実世界に引き戻される。
「体が重い」
全身がずぶ濡れで衣服に重量を感じる。けれど、雨のおかげで大人になって感じていた重りを少し洗い流してくれた、そんな気がした。