*
「俺、Aランチ!」
「あっ、こら! A定は500円もするんだぞ!?」
テストが終わった翌日の昼休み、学食の食券機の前で晶がAランチのボタンを指す。
一番左上にあるそれは、学食内で最も価格が高いことを示している。
「いいじゃん、この間のお返しなんだから」
「うう〜、財布がピンチだ……」
兄貴から毎月生活費を振り込んでもらっているとはいえ、高校生のお小遣い事情は厳しい。
しかし、先日は兄妹で課題を手伝ってもらった上に、家でご馳走にまでなってしまった。
これは謝礼という名の交際費。必要経費なのだ。
オレは、自分の昼食に真ん中にあるチキンカレー250円のボタンを押した。
「なあ、明日休みだし、るきあちゃんと一緒に遊びにこねぇ? 来たいって言ってただろ?」
「うーん……。受験生が遊んでていいのかな?」
「もちろん、勉強もする! そして徹夜でゲーム!」
「晶はそっちがメインだね」
ケラケラと笑っていると、
「なになに? 何の話?」
噂をすれば。
るきあがうどんを乗せたトレイを持ってやってきたので、ついでに晶の家に行けるかどうか、訊いてみた。
「えっ、いいのー!? こないだ仲間外れだったから、ちょっと寂しかったの!」
まだ気にしていたらしい。
倫太郎をどうするかという話をるきあに言ったら、当日篠さんが預かってくれることになった。
*
土曜日の昼下がり、るきあと一緒に晶の家にやってきた。
家の方だと集中力が散漫してしまうということで、一階の喫茶店で隅の席を使わせてもらえることになった。
店内は聞き覚えのあるクラシック音楽がゆるやかに流れ、コーヒーの香りがする。お客さんは二組ほどだ。
住宅街の喫茶店だからか、休日はそんなにお客さんがいないらしい。
三人で机を囲んで勉強していると、愛ちゃんがコーヒーを淹れてくれた。
いろいろとブレンドを試しているらしく、メニューにないコーヒーだと言う。
ほろ苦いコーヒーを半分くらい味わったところで勉強を再開するが、少しお客さんが増えてきて、オレ達は晶の部屋に退散する。
またも美味しい夕食をご馳走になってしまい(もちろん手伝った)、その後は……。
「徹夜でゲーーーーム!」
コントローラーを持って、晶はテンション上がりっぱなしだ。
本当に徹夜するのだろうか。
四人で対戦できる格闘ゲームから始まり、パズルゲーム、そして疲れてきた頃にすごろくゲームに移った。
「次、るきあちゃ……あれ、るきあちゃん、寝ちゃってる」
愛ちゃんが、るきあの顔を覗き込んで言った。
ついさっきまで騒いでいたのに。
るきあはコントローラーを握ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。
もう時刻は午前一時を過ぎている、無理もない。
「私、お布団敷いてくるね」
と言って、愛ちゃんは部屋を出て行った。
……ん? これはもしかして、泊まり決定パターン?
「晶、オレ達はもう少しゲームする?」
「いやぁ、さすがに俺ももう疲れたわ。おまえも泊まっていくよな?」
晶は、大きくあくびをしながら言った。
徹夜でゲームするって言ってたのは、誰だったかな……?
るきあを置いていくわけにもいかないし……オレは観念して晶の家に泊まることにした。
*
緊張して、なかなか寝付けなかった。
晶は、隣のベッドでイビキをかいて寝ている。
能天気だなぁ……と思いながら目を閉じていると、やがて雨の音が聞こえてきた。
ポツポツと鳴るその音が妙に心地よくて、オレもようやく眠りについた。
慣れない布団ということもあって浅い眠りだった。
どれくらいの時間が経っただろうか。隣で、どさっ、という音が聞こえて寝ぼけ眼でそちらを見ると、晶がベッドから落ちていた。
「晶……落ちてるよ」
「ううーーん……」
オレも眠くて、力なく言葉をかけるが、晶は起きない。
それどころか、寝ぼけてオレの布団に入ってきて、抱き枕のように絡みつかれる。
これはまずい……!
「晶! 晶っ!」
慌てて大声で起こすが、失敗した、と思った。
起こさなければ、まだなんとか誤魔化せたかもしれないのに。
はっきりと起きてしまった晶は、おそらく気づいてしまった。
焦って離れて、オレを見る目が、明らかに変わっていたのだ。
「ヒ、ヒロ……おまえ……」
晶の目が怖い。
息が苦しくなりそうだった。
オレは、発作が起きてしまうことを恐れて、晶の部屋を飛び出した。
「え、えっ? ヒロ!?」
真っ暗な廊下へ出ると、愛ちゃんと鉢合わせしてしまった。
「きゃっ!?」
「わっ!?」
お手洗いにでも行っていたのだろうか、オレは愛ちゃんの上に倒れ込んでしまう。
「いたたたた……」
「ご、ごめん! 大丈夫!?」
すぐに離れたが、後を追ってきた晶にぐいっと腕を引っ張られた。
「何やってんだよ、ヒロ! 愛から離れろ!」
「ご、ごめん……」
ん、ん? 晶がそう言うってことは、バレてない……のかな?
「お兄ちゃん、私は大丈夫だから」
「なぁに〜? どうしたの〜?」
さすがに騒がしかったのか、るきあが目をこすりながら起きてきた。
愛ちゃんから借りたのだろう、パジャマ姿だった。
晶の部屋にも戻りづらいし、どうしようかと悩んでいると、
「こら! 何時だと思ってるんだ! 静かにしなさい!」
と、扉の向こうから晶の父親に注意された。
「ご、ごめんなさい〜」
声を揃えて謝ると、晶が再び厳しい表情になった。
ああ、だめだ。やっぱりバレている。
「ヒロ、きっちり説明してもらうからな」
「えっ……? もしかして……」
るきあが、オレと晶の顔を交互に見て困惑していた。
「あたしから、説明するね」
るきあと愛ちゃんに、晶の部屋に来てもらい説明を始める。
雨音はだんだん強くなり、大粒であろう雫が、部屋の窓を叩きつけていた。
「ヒロは、とても珍しい病気に罹ってて……。どういう症状かと言うと、”男性に女性として扱われる”と、 発作が起きるの。極端な話、男性から告白されると、死んでしまう症例も過去にあったんだって。だから、性別を偽って生活してるの……」
晶と愛ちゃんは、るきあの話を真剣に聴いてくれた。
「うーん、なるほど……。しかし、わからん事がある」
「な、なにかな……?」
「その、”女性として扱うと”ってところ。告白されたらヤバいってのは、わかるんだけど……。その他のボーダーラインっていうの?」
晶が疑問に思うのも当然だ。実のところ、オレにもはっきりとはわからないのだ。
「えーっと。たとえば、重い荷物をさりげなく持ってあげるとか?」
「俺、本当に大変そうなら、男でも手伝うし」
「あとはー。さりげなく、車道側に立つとか?」
「いや、それも本当に危ないと思ったら相手が男でもやるな……」
「それは、晶くんだからだよ。世の中、晶くんみたいな男の子ばっかりじゃないからね?」
るきあが引き続き答えてくれたが、解決には至らなかった。
晶は人が良すぎて、参考にならない。
「実際、ヒロが発作を起こした事はあるのか?」
「あるよ。えっと……」
るきあが言いかけて口を噤んだので、オレが説明する。
「軽めの発作は、今までにも何度か。でも、一番やばかったのは──十年前、かな」
「そんな前から!?」
「あの時は、たしか────っ!」
言いかけて、一瞬だけ呼吸がひゅっと苦しくなる。
「ヒロ! 無理に思い出そうとしないで! 発作が出ちゃう!」
慌ててるきあが、背中をさすってくれた。
「なんか……大変だったんだな……。ヒロも、るきあちゃんも」
そんなオレ達の様子を見て、晶はポツリと呟くように言った。
前向きに考えよう。バレたのがこの二人でよかった、と思わなければ。
この病気は、他人に知られるとふざけて試してくる人もいると、兄貴から厳しく言われている。
晶も愛ちゃんも、理解のある人で良かった。
そういえばオレ、晶にバレた時発作が起きるかと思って逃げてしまったけど、大丈夫だった。
事故だったからだろうか? と、その辺りをるきあに説明すると、
「あっ、わかった!」
るきあが、ポンと手を叩く。
「晶くん、愛ちゃんの事が好きすぎて、他の子が目に入らないんじゃない!?」
「るきあちゃん! 本人の目の前で、公開告白やめて!!」
態度からしてバレバレなのに、まだ告白していなかったのかと思う。
「お、お兄ちゃん……」
「ま、愛……」
晶と愛ちゃんは、赤くなって見つめ合う。
こらこらこら、オレ達の前で二人の世界に行くのやめなさい。
この空気をどうしようかと思っていると、愛ちゃんが急に立ち上がった。
「ご、ごめんなさいっ! おやすみなさいっ!!」
恥ずかしさに耐えかねたのか、部屋を出て行ってしまった。
「い、今のはアリなの? ナシなのー?」
「さ、さあー?」
涙を流す晶に、るきあは笑顔でフォローしていた。
「俺、Aランチ!」
「あっ、こら! A定は500円もするんだぞ!?」
テストが終わった翌日の昼休み、学食の食券機の前で晶がAランチのボタンを指す。
一番左上にあるそれは、学食内で最も価格が高いことを示している。
「いいじゃん、この間のお返しなんだから」
「うう〜、財布がピンチだ……」
兄貴から毎月生活費を振り込んでもらっているとはいえ、高校生のお小遣い事情は厳しい。
しかし、先日は兄妹で課題を手伝ってもらった上に、家でご馳走にまでなってしまった。
これは謝礼という名の交際費。必要経費なのだ。
オレは、自分の昼食に真ん中にあるチキンカレー250円のボタンを押した。
「なあ、明日休みだし、るきあちゃんと一緒に遊びにこねぇ? 来たいって言ってただろ?」
「うーん……。受験生が遊んでていいのかな?」
「もちろん、勉強もする! そして徹夜でゲーム!」
「晶はそっちがメインだね」
ケラケラと笑っていると、
「なになに? 何の話?」
噂をすれば。
るきあがうどんを乗せたトレイを持ってやってきたので、ついでに晶の家に行けるかどうか、訊いてみた。
「えっ、いいのー!? こないだ仲間外れだったから、ちょっと寂しかったの!」
まだ気にしていたらしい。
倫太郎をどうするかという話をるきあに言ったら、当日篠さんが預かってくれることになった。
*
土曜日の昼下がり、るきあと一緒に晶の家にやってきた。
家の方だと集中力が散漫してしまうということで、一階の喫茶店で隅の席を使わせてもらえることになった。
店内は聞き覚えのあるクラシック音楽がゆるやかに流れ、コーヒーの香りがする。お客さんは二組ほどだ。
住宅街の喫茶店だからか、休日はそんなにお客さんがいないらしい。
三人で机を囲んで勉強していると、愛ちゃんがコーヒーを淹れてくれた。
いろいろとブレンドを試しているらしく、メニューにないコーヒーだと言う。
ほろ苦いコーヒーを半分くらい味わったところで勉強を再開するが、少しお客さんが増えてきて、オレ達は晶の部屋に退散する。
またも美味しい夕食をご馳走になってしまい(もちろん手伝った)、その後は……。
「徹夜でゲーーーーム!」
コントローラーを持って、晶はテンション上がりっぱなしだ。
本当に徹夜するのだろうか。
四人で対戦できる格闘ゲームから始まり、パズルゲーム、そして疲れてきた頃にすごろくゲームに移った。
「次、るきあちゃ……あれ、るきあちゃん、寝ちゃってる」
愛ちゃんが、るきあの顔を覗き込んで言った。
ついさっきまで騒いでいたのに。
るきあはコントローラーを握ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。
もう時刻は午前一時を過ぎている、無理もない。
「私、お布団敷いてくるね」
と言って、愛ちゃんは部屋を出て行った。
……ん? これはもしかして、泊まり決定パターン?
「晶、オレ達はもう少しゲームする?」
「いやぁ、さすがに俺ももう疲れたわ。おまえも泊まっていくよな?」
晶は、大きくあくびをしながら言った。
徹夜でゲームするって言ってたのは、誰だったかな……?
るきあを置いていくわけにもいかないし……オレは観念して晶の家に泊まることにした。
*
緊張して、なかなか寝付けなかった。
晶は、隣のベッドでイビキをかいて寝ている。
能天気だなぁ……と思いながら目を閉じていると、やがて雨の音が聞こえてきた。
ポツポツと鳴るその音が妙に心地よくて、オレもようやく眠りについた。
慣れない布団ということもあって浅い眠りだった。
どれくらいの時間が経っただろうか。隣で、どさっ、という音が聞こえて寝ぼけ眼でそちらを見ると、晶がベッドから落ちていた。
「晶……落ちてるよ」
「ううーーん……」
オレも眠くて、力なく言葉をかけるが、晶は起きない。
それどころか、寝ぼけてオレの布団に入ってきて、抱き枕のように絡みつかれる。
これはまずい……!
「晶! 晶っ!」
慌てて大声で起こすが、失敗した、と思った。
起こさなければ、まだなんとか誤魔化せたかもしれないのに。
はっきりと起きてしまった晶は、おそらく気づいてしまった。
焦って離れて、オレを見る目が、明らかに変わっていたのだ。
「ヒ、ヒロ……おまえ……」
晶の目が怖い。
息が苦しくなりそうだった。
オレは、発作が起きてしまうことを恐れて、晶の部屋を飛び出した。
「え、えっ? ヒロ!?」
真っ暗な廊下へ出ると、愛ちゃんと鉢合わせしてしまった。
「きゃっ!?」
「わっ!?」
お手洗いにでも行っていたのだろうか、オレは愛ちゃんの上に倒れ込んでしまう。
「いたたたた……」
「ご、ごめん! 大丈夫!?」
すぐに離れたが、後を追ってきた晶にぐいっと腕を引っ張られた。
「何やってんだよ、ヒロ! 愛から離れろ!」
「ご、ごめん……」
ん、ん? 晶がそう言うってことは、バレてない……のかな?
「お兄ちゃん、私は大丈夫だから」
「なぁに〜? どうしたの〜?」
さすがに騒がしかったのか、るきあが目をこすりながら起きてきた。
愛ちゃんから借りたのだろう、パジャマ姿だった。
晶の部屋にも戻りづらいし、どうしようかと悩んでいると、
「こら! 何時だと思ってるんだ! 静かにしなさい!」
と、扉の向こうから晶の父親に注意された。
「ご、ごめんなさい〜」
声を揃えて謝ると、晶が再び厳しい表情になった。
ああ、だめだ。やっぱりバレている。
「ヒロ、きっちり説明してもらうからな」
「えっ……? もしかして……」
るきあが、オレと晶の顔を交互に見て困惑していた。
「あたしから、説明するね」
るきあと愛ちゃんに、晶の部屋に来てもらい説明を始める。
雨音はだんだん強くなり、大粒であろう雫が、部屋の窓を叩きつけていた。
「ヒロは、とても珍しい病気に罹ってて……。どういう症状かと言うと、”男性に女性として扱われる”と、 発作が起きるの。極端な話、男性から告白されると、死んでしまう症例も過去にあったんだって。だから、性別を偽って生活してるの……」
晶と愛ちゃんは、るきあの話を真剣に聴いてくれた。
「うーん、なるほど……。しかし、わからん事がある」
「な、なにかな……?」
「その、”女性として扱うと”ってところ。告白されたらヤバいってのは、わかるんだけど……。その他のボーダーラインっていうの?」
晶が疑問に思うのも当然だ。実のところ、オレにもはっきりとはわからないのだ。
「えーっと。たとえば、重い荷物をさりげなく持ってあげるとか?」
「俺、本当に大変そうなら、男でも手伝うし」
「あとはー。さりげなく、車道側に立つとか?」
「いや、それも本当に危ないと思ったら相手が男でもやるな……」
「それは、晶くんだからだよ。世の中、晶くんみたいな男の子ばっかりじゃないからね?」
るきあが引き続き答えてくれたが、解決には至らなかった。
晶は人が良すぎて、参考にならない。
「実際、ヒロが発作を起こした事はあるのか?」
「あるよ。えっと……」
るきあが言いかけて口を噤んだので、オレが説明する。
「軽めの発作は、今までにも何度か。でも、一番やばかったのは──十年前、かな」
「そんな前から!?」
「あの時は、たしか────っ!」
言いかけて、一瞬だけ呼吸がひゅっと苦しくなる。
「ヒロ! 無理に思い出そうとしないで! 発作が出ちゃう!」
慌ててるきあが、背中をさすってくれた。
「なんか……大変だったんだな……。ヒロも、るきあちゃんも」
そんなオレ達の様子を見て、晶はポツリと呟くように言った。
前向きに考えよう。バレたのがこの二人でよかった、と思わなければ。
この病気は、他人に知られるとふざけて試してくる人もいると、兄貴から厳しく言われている。
晶も愛ちゃんも、理解のある人で良かった。
そういえばオレ、晶にバレた時発作が起きるかと思って逃げてしまったけど、大丈夫だった。
事故だったからだろうか? と、その辺りをるきあに説明すると、
「あっ、わかった!」
るきあが、ポンと手を叩く。
「晶くん、愛ちゃんの事が好きすぎて、他の子が目に入らないんじゃない!?」
「るきあちゃん! 本人の目の前で、公開告白やめて!!」
態度からしてバレバレなのに、まだ告白していなかったのかと思う。
「お、お兄ちゃん……」
「ま、愛……」
晶と愛ちゃんは、赤くなって見つめ合う。
こらこらこら、オレ達の前で二人の世界に行くのやめなさい。
この空気をどうしようかと思っていると、愛ちゃんが急に立ち上がった。
「ご、ごめんなさいっ! おやすみなさいっ!!」
恥ずかしさに耐えかねたのか、部屋を出て行ってしまった。
「い、今のはアリなの? ナシなのー?」
「さ、さあー?」
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