「俺、Aランチ!」
「あっ、こら! A定は500円もするんだぞ!?」

 テストが終わった翌日の昼休み、学食の食券機の前で晶がAランチのボタンを指す。
 一番左上にあるそれは、学食内で最も価格が高いことを示している。
 
「いいじゃん、この間のお返しなんだから」
「うう〜、財布がピンチだ……」

 兄貴から毎月生活費を振り込んでもらっているとはいえ、高校生のお小遣い事情は厳しい。
 しかし、先日は兄妹で課題を手伝ってもらった上に、家でご馳走にまでなってしまった。
 これは謝礼という名の交際費。必要経費なのだ。
 オレは、自分の昼食に真ん中にあるチキンカレー250円のボタンを押した。
 
「なあ、明日休みだし、るきあちゃんと一緒に遊びにこねぇ? 来たいって言ってただろ?」
「うーん……。受験生が遊んでていいのかな?」
「もちろん、勉強もする! そして徹夜でゲーム!」
「晶はそっちがメインだね」

 ケラケラと笑っていると、
 
「なになに? 何の話?」

 噂をすれば。
 るきあがうどんを乗せたトレイを持ってやってきたので、ついでに晶の家に行けるかどうか、訊いてみた。
 
「えっ、いいのー!? こないだ仲間外れだったから、ちょっと寂しかったの!」

 まだ気にしていたらしい。
 倫太郎をどうするかという話をるきあに言ったら、当日篠さんが預かってくれることになった。



 土曜日の昼下がり、るきあと一緒に晶の家にやってきた。
 家の方だと集中力が散漫してしまうということで、一階の喫茶店で隅の席を使わせてもらえることになった。
 店内は聞き覚えのあるクラシック音楽がゆるやかに流れ、コーヒーの香りがする。お客さんは二組ほどだ。
 住宅街の喫茶店だからか、休日はそんなにお客さんがいないらしい。
 三人で机を囲んで勉強していると、愛ちゃんがコーヒーを淹れてくれた。
 いろいろとブレンドを試しているらしく、メニューにないコーヒーだと言う。

 ほろ苦いコーヒーを半分くらい味わったところで勉強を再開するが、少しお客さんが増えてきて、オレ達は晶の部屋に退散する。
 またも美味しい夕食をご馳走になってしまい(もちろん手伝った)、その後は……。

「徹夜でゲーーーーム!」

 コントローラーを持って、晶はテンション上がりっぱなしだ。
 本当に徹夜するのだろうか。
 四人で対戦できる格闘ゲームから始まり、パズルゲーム、そして疲れてきた頃にすごろくゲームに移った。

「次、るきあちゃ……あれ、るきあちゃん、寝ちゃってる」

 愛ちゃんが、るきあの顔を覗き込んで言った。
 ついさっきまで騒いでいたのに。
 るきあはコントローラーを握ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。
 もう時刻は午前一時を過ぎている、無理もない。
 
「私、お布団敷いてくるね」

 と言って、愛ちゃんは部屋を出て行った。
 ……ん? これはもしかして、泊まり決定パターン?

「晶、オレ達はもう少しゲームする?」
「いやぁ、さすがに俺ももう疲れたわ。おまえも泊まっていくよな?」

 晶は、大きくあくびをしながら言った。
 徹夜でゲームするって言ってたのは、誰だったかな……?
 るきあを置いていくわけにもいかないし……オレは観念して晶の家に泊まることにした。


 
 緊張して、なかなか寝付けなかった。
 晶は、隣のベッドでイビキをかいて寝ている。
 能天気だなぁ……と思いながら目を閉じていると、やがて雨の音が聞こえてきた。
 ポツポツと鳴るその音が妙に心地よくて、オレもようやく眠りについた。

 慣れない布団ということもあって浅い眠りだった。
 どれくらいの時間が経っただろうか。隣で、どさっ、という音が聞こえて寝ぼけ眼でそちらを見ると、晶がベッドから落ちていた。
 
「晶……落ちてるよ」
「ううーーん……」

 オレも眠くて、力なく言葉をかけるが、晶は起きない。
 それどころか、寝ぼけてオレの布団に入ってきて、抱き枕のように絡みつかれる。
 これはまずい……!

「晶! 晶っ!」

 慌てて大声で起こすが、失敗した、と思った。
 起こさなければ、まだなんとか誤魔化せたかもしれないのに。
 はっきりと起きてしまった晶は、おそらく気づいてしまった。
 焦って離れて、オレを見る目が、明らかに変わっていたのだ。
 
「ヒ、ヒロ……おまえ……」

 晶の目が怖い。
 息が苦しくなりそうだった。
 オレは、発作が起きてしまうことを恐れて、晶の部屋を飛び出した。

「え、えっ? ヒロ!?」

 真っ暗な廊下へ出ると、愛ちゃんと鉢合わせしてしまった。

「きゃっ!?」
「わっ!?」
  
 お手洗いにでも行っていたのだろうか、オレは愛ちゃんの上に倒れ込んでしまう。
 
「いたたたた……」
「ご、ごめん! 大丈夫!?」

 すぐに離れたが、後を追ってきた晶にぐいっと腕を引っ張られた。
 
「何やってんだよ、ヒロ! 愛から離れろ!」
「ご、ごめん……」

 ん、ん? 晶がそう言うってことは、バレてない……のかな?
 
「お兄ちゃん、私は大丈夫だから」
「なぁに〜? どうしたの〜?」

 さすがに騒がしかったのか、るきあが目をこすりながら起きてきた。
 愛ちゃんから借りたのだろう、パジャマ姿だった。
 晶の部屋にも戻りづらいし、どうしようかと悩んでいると、
 
「こら! 何時だと思ってるんだ! 静かにしなさい!」

 と、扉の向こうから晶の父親に注意された。
 
「ご、ごめんなさい〜」

 声を揃えて謝ると、晶が再び厳しい表情になった。
 ああ、だめだ。やっぱりバレている。
 
「ヒロ、きっちり説明してもらうからな」
「えっ……? もしかして……」
 
 るきあが、オレと晶の顔を交互に見て困惑していた。



「あたしから、説明するね」

 るきあと愛ちゃんに、晶の部屋に来てもらい説明を始める。
 雨音はだんだん強くなり、大粒であろう雫が、部屋の窓を叩きつけていた。
 
「ヒロは、とても珍しい病気に罹ってて……。どういう症状かと言うと、”男性に女性として扱われる”と、 発作が起きるの。極端な話、男性から告白されると、死んでしまう症例も過去にあったんだって。だから、性別を偽って生活してるの……」
 
 晶と愛ちゃんは、るきあの話を真剣に聴いてくれた。
 
「うーん、なるほど……。しかし、わからん事がある」
「な、なにかな……?」
「その、”女性として扱うと”ってところ。告白されたらヤバいってのは、わかるんだけど……。その他のボーダーラインっていうの?」

 晶が疑問に思うのも当然だ。実のところ、オレにもはっきりとはわからないのだ。
 
「えーっと。たとえば、重い荷物をさりげなく持ってあげるとか?」
「俺、本当に大変そうなら、男でも手伝うし」
「あとはー。さりげなく、車道側に立つとか?」
「いや、それも本当に危ないと思ったら相手が男でもやるな……」
「それは、晶くんだからだよ。世の中、晶くんみたいな男の子ばっかりじゃないからね?」

 るきあが引き続き答えてくれたが、解決には至らなかった。
 晶は人が良すぎて、参考にならない。
 
「実際、ヒロが発作を起こした事はあるのか?」
「あるよ。えっと……」

 るきあが言いかけて口を噤んだので、オレが説明する。
 
「軽めの発作は、今までにも何度か。でも、一番やばかったのは──十年前、かな」
「そんな前から!?」
「あの時は、たしか────っ!」

 言いかけて、一瞬だけ呼吸がひゅっと苦しくなる。

「ヒロ! 無理に思い出そうとしないで! 発作が出ちゃう!」

 慌ててるきあが、背中をさすってくれた。
 
「なんか……大変だったんだな……。ヒロも、るきあちゃんも」

 そんなオレ達の様子を見て、晶はポツリと呟くように言った。
 前向きに考えよう。バレたのがこの二人でよかった、と思わなければ。
 この病気は、他人に知られるとふざけて試してくる人もいると、兄貴から厳しく言われている。
 晶も愛ちゃんも、理解のある人で良かった。

 そういえばオレ、晶にバレた時発作が起きるかと思って逃げてしまったけど、大丈夫だった。
 事故だったからだろうか? と、その辺りをるきあに説明すると、

「あっ、わかった!」

 るきあが、ポンと手を叩く。
 
「晶くん、愛ちゃんの事が好きすぎて、他の子が目に入らないんじゃない!?」
「るきあちゃん! 本人の目の前で、公開告白やめて!!」

 態度からしてバレバレなのに、まだ告白していなかったのかと思う。

「お、お兄ちゃん……」
「ま、愛……」
 
 晶と愛ちゃんは、赤くなって見つめ合う。
 こらこらこら、オレ達の前で二人の世界に行くのやめなさい。
 この空気をどうしようかと思っていると、愛ちゃんが急に立ち上がった。
 
「ご、ごめんなさいっ! おやすみなさいっ!!」

 恥ずかしさに耐えかねたのか、部屋を出て行ってしまった。
 
「い、今のはアリなの? ナシなのー?」
「さ、さあー?」

 涙を流す晶に、るきあは笑顔でフォローしていた。