「ヒロくん、おかわりは?」
「ああ、もうお腹いっぱいだよ。ごちそうさま」

 課題を提出した後、晶と愛ちゃんが律儀に待っていてくれて、もう暗くなってきたからと晶の家で夕飯までご馳走になってしまった。
 今日は至れり尽くせりで申し訳ない。
 箸を置いて愛ちゃんからのおかわりを断ったのに、晶はオレの皿に唐揚げを二個三個と乗せてくる。
 
「まだまだ成長期なんだから、もっと食べろよ。ほれほれ」
「わぁぁ、そんなに入れるな!」

 晶の家は、母親が一階で喫茶店をやっているだけあって、料理がとても美味しい。
 でももう、本当にお腹いっぱいで満足なのだ。
 晶のご両親も、そんなオレ達のやり取りを微笑ましく見ている。
 家族か……。ちょっと羨ましいな。
 兄貴はオレが中学に入ってからドイツへ行ってしまい、それからずっと一人暮らしだ。
 今は倫太郎が家族だけど、それでも寂しさを感じることもある。
 でも、オレはわがままを言える立場じゃない。
 そんな寂しい気持ちを紛らすように、オレは皿の上の唐揚げを頬張った。

「俺の部屋でゲームでもする? なんなら、泊まっていってもいいぞ」

 リビングで食休みさせてもらっていると、晶が提案してきた。
 
「いや、オレ着替え持ってきてないし。それに、猫に餌やらないと」

 さすがに、泊まりはマズい。
 倫太郎が言い訳になって助かった。
 
「おまえ、猫なんて飼ってたの?」
「こないだ、るきあが知り合いから譲り受けたとかで」
「ああー、あれか。俺も頼まれたけど、うちは喫茶店やってるからダメなんだよな。なんて名前にしたんだ?」
「”倫太郎”ってつけた」
「渋いなー」

 本当は“ゴリアテ”って名付けようとしたんだけど、るきあに止められたことは内緒だ。
 しかし、さすがに倫太郎もお腹を空かせているかもしれないので、るきあに連絡することにした。
 
『今どこにいるの? 電気が点いてないからもしかしてと思って来たら、倫太郎鳴いてるし!』

 スピーカーの向こうで、るきあはちょっと怒ってた。
 
「ごめん、今晶の家にいるんだ」
『晶くんちなら誘ってよー』
「また今度な。とりあえず、倫太郎にご飯あげといて」
『もー。今回だけだからね』

 合鍵を持っていると言われた時は驚いたけど、こういう時に便利だな。 
 通話を切ると、晶が近寄ってきた。
  
「え、るきあちゃん、なんでおまえんちにいるんだ?」
 
 どうやらオレ達の会話が聞こえていたようだ。

「だって、合鍵持ってるし」
「は!? え!? 合鍵!? おまえっ……そんな羨まけしからん……!」

 しまった。普通はそんなことありえないよな。
 でも『羨まけしからん』って、晶、自分のことを棚に上げているのだろうか?
 自分だって、一つ屋根の下に義理の妹がいるわけだぞ。
 そこんとこ追求しながら話していると、意外にも盛り上がってしまい、
 晶の家を出る頃には八時半を過ぎていた。

 
 
「うう、食べすぎた……苦しい……」
 
 晶の家を後にし、暗くなった帰路をゆっくりと歩く。
 まだ消化しきれてない唐揚げが、胃の中をぐるぐる回っている感じだ。
 夜の静けさを感じながら進んでいくと、篠さんの勤める花屋の前に差し掛かった。
 ちょうど、篠さんが閉店作業をしているところだった。
 
「よい……しょっ……あっ!?」
 
 外に置いてあった大きめの植木鉢を持ち上げた時、バランスを崩したのか篠さんは後ろに倒れかかった。
 
「危ない!!」
 
 オレは咄嗟に腕を伸ばし、間一髪、篠さんを受け止めることができた。
 しかし、さすがにスマートにはいかず……オレが下になる形で尻餅をついた。
 痛い……でも、ここは我慢だ。
 
「……大丈夫ですか?」
「あ、ありがとうございます……」
 
 篠さんは首だけを向けて、ちらりとこちらを確認した。
 
「わあ、ヒロくん!」
 
 篠さんは驚いていたが、しっかりと植木鉢は掴んでいたようだ。
 
「篠さんも花も無事みたいだ、良かった」
「ご、ごめんね、私ったら、おっちょこちょいで……! 制服、汚しちゃったかな!?」

 篠さんはゆっくりと立ち上がる。
 オレが着ている明るい茶色のブレザーとこげ茶のパンツには、花屋の店内から洩れる光でうっすらと汚れが浮かんでいた。
 
「あー、これくらい大丈夫ですよ」

 立ち上がって、パンパンと砂埃を払う。
 
「花屋さんって、意外と大変なんですね。こんな夜遅くまで」

 時刻は、そろそろ九時になろうとしている。
 
「ふふ、そうね。でも、好きだから」
「好きって、花が?」
「そうよ。お花も好きだし、お花屋さんの仕事もね」
「好きを仕事にできるって、いいですね」

 篠さんは、この花屋で働かせてもらうために短大卒業後、故郷を出てきたと説明してくれた。
 
「ヒロくんは、受験生よね? 進路を決める、大事な時期よね」
「そうですね。まあ、一応進学かな……」
「そう。じゃあ、サボらずに頑張らないとね」
「だから、そこは忘れてください!」

 篠さんに、サボり魔認定されて恥ずかしい。
 ……まあ、実際その通りなのだから、グゥの音も出ないのであった。
 



 
「ただいまー」

 玄関を開けると、「にゃおん」と倫太郎が出迎えてくれた。
 どうやら、るきあは帰ったようだ。
 るきあには頼りっぱなしだし、今度また埋め合わせしようと思う。
 
「ごめん、遅くなって。るきあにご飯もらった?」

 倫太郎に訊くと、また「にゃおん」と答えてくれた。
 フードボウルの中身は、綺麗に食べられていた。
 自室に入って部屋着に着替えると、ベッドに仰向けになって寝転んだ。

「……つかれたな……」

 数日ぶりに学校へ行って、課題をして、晶の家へ行って、篠さんと会って……。
 頭の中がごちゃごちゃになりそうで、目を閉じて心を落ち着ける。
 そんなことはお構いなしに、倫太郎はお腹の上に乗ってきた。

「進路を決める、大事な時期、か……」
 
 倫太郎の頭を撫でながら、篠さんとの会話を思い出していた。
 篠さんのように、好きなことを仕事にできたら、どんなにいいだろうか。
 オレには好きなことなんてない。
 そもそも、薬が完成しなければ社会に出ることさえ難しいのではないかと思ってる。
 だけど、両親や兄貴の後を追いたい。
 それは、好きとかではなく、目標、意地のようなものだ。
 
 もう、サボってる場合じゃない。
 勢いよく起き上がると、倫太郎は驚いてベッドから下りていく。
 
 オレは机に向かい、兄貴が使っていた受験対策の参考書を開いた。