るきあに促されて、わたしは一人で空港の展望デッキへ来た。
日本の春の日差しは、ドイツより暖かい。
そこには、飛行機を見送る人がたくさんいた。
出入り口の近くに、鳴沢の姿を見つけた。
もう高校生じゃない、大学生の鳴沢。
私服姿で少し大人っぽく感じるが、あんまり変わっていないことに安心する。
鳴沢はこちらに気づいておらず、空を眺めているようだった。
すぐ近くにいるのに、緊張で足に力が入らない。
どうしよう、わたし、変じゃないかな。
挨拶程度しか話したことないのに、助けられたから「好きです」って、自分で考えても恥ずかしい。
……うん、やっぱり帰ろう!
鳴沢とは、今度また、みんなと一緒の時にでも挨拶すれば……。
と、踵を返した時、目の前に眉を顰めたるきあが立っていた。
「もう、そんなことだろうと思った!」
「る、るきあ……」
「大丈夫! 鳴沢くんもヒロのことずっと心配してた! それに、もし何かあっても、看護師のタマゴのるきあちゃんがいるから! 行ってこい!!」
と言って、ドンっと力強く押された。
「わ、わっ……!」
そのまま鳴沢の方へよろけて、ぶつかりそうになったところを、肩を掴まれ支えられる。
「わっ!? 大丈夫ですか?」
鳴沢の声を聞いて、心臓が跳ね上がる。
謝らなきゃ……。えぇと、「すみません」?「ごめん」?
久しぶりで、なんて言えばいいかわからなかった。
顔を上げると、どうやらわたしに気づいたようで……。
「……えっ!? 香西……なのか?」
「うん……。た、ただいま……」
二、三歩下がって、ようやく、それだけ言えた。
恥ずかしくてまともに顔を見ることができず、目を逸らしてしまう。
鳴沢も心なしか顔を赤くして、緊張しているようだった。
「わ、わたし……変じゃ、ないかな?」
サリィさんに見立ててもらって、いつもは着ないスカートを履いて、お化粧も教えてもらった。
でも、どれだけ努力しても、周りが高校生までの香西ヒロをすぐに払拭できるわけじゃない。
だから、会うのがとても怖かった。
「いや、大丈夫。……言葉遣い、直したんだな」
「うん。物凄くがんばった」
そこは、自分で自分を褒めたい。
正直言って、病気を治すよりも言葉遣いを直す方が大変だった。
「もう……発作は大丈夫なのか?」
「うん……」
鳴沢を目の前にしても、普通にドキドキするだけ。
発作は起きてない。
「何を言っても大丈夫なのか?」
「うん」
実を言うと、それが最終治験だ。
告白されても、発作が起きないかどうか。
でも、どうやって告白してもらおう?
やはり、わたしの方から告わないといけないだろうか?
「抱きしめても、大丈夫か……?」
「うん…………えっ!?」
言うや否や、鳴沢の腕の中に包まれた。
ぎゅっと抱きしめられて、ああ、やっぱり鳴沢は男の人だと、実感した。
これは、告白と捉えていいのだろうか?
「離したくないな……」
「えっ!?」
ポツリと、耳元ですごいことを言われた。
「あ、いや! ごめん、心の声が出た!」
正直に答える鳴沢に、思わず「ふふっ」と笑ってしまった。
良かった。もう、何を言われても平気だ。
「香西。待たせすぎだぞ」
「うん、ごめん。二年もかかっちゃって」
気持ちを返すように、鳴沢の背中に手を回す。
すると、鳴沢は優しく笑って、指でわたしのおでこを突いてきた。
「二年じゃねーよ、ばーか」
「えっ?」
「十二年だよ……」
そう言って、鳴沢はわたしの頭を撫でて、胸元へ引き寄せた。
「俺はきっと、あの日からお前の事が……」
言われて、十二年前のあの公園での出来事を思い出す。
助けてくれた男の子。
名前も知らない、わたしのヒーロー。
ああ、そうか。そうだったのか。
こんなにも想われていたなんて、わたしはなんて幸せ者なんだろう。
わたし達は、今までの時間を埋めるかのように、人目も憚らず抱きしめ合った。
*
それから数ヶ月後。引っ越しも終えて落ち着き、わたしとるきあと鳴沢は、迫河の運転する車で長野県に向かっていた。
五月中旬の、少し暑くなってきた季節。
篠さんの、命日である。
「それにしても、迫河がわたしの正体を知っていたなんて、驚いた」
後ろの座席から、迫河に話しかける。
「山本先生に、キツく口止めされていたからな……!」
車のルームミラーに映る迫河は、苦笑していた。
「でも先生、本当によく貫き通せましたね。いつかボロが出るんじゃないかって、気が気じゃなかったですよ」
助手席で話すのは鳴沢だ。
鳴沢と篠さんはほとんど面識がないのに……。
迫河とるきあと一緒に墓参りに行くと言ったら、着いてきてしまった。
相変わらずの心配性だ。
「香西、本当にもう、大丈夫なんだな?」
こちらも心配性だったか、迫河は念を押してきた。
「うん、まだ薬は飲まなきゃいけないけど。今日は、車出してくれてありがとう、迫河」
篠さんの働いていた花屋で、篠さんの好きだった花を訊ねて購入した。
店主である篠さんの叔母は泣いて喜んでくれて、サービスだと、カラーの花をとても大きな花束にしてくれた。
おかげで、わたしとるきあは後部座席で花束に圧迫されながら、車に揺られている。
数時間かけて、長野県に入った。
高速を下りて、そこからさらに数十分。霊園に着いて、みんなで朝倉家の墓石の前に立つ。
お線香を立ててカラーの花束を捧げようとしたけど、あまりにも大きすぎたので、数本抜いて花筒に入れ、残りは持ち帰ることにした。
「篠さん……ごめんね、遅くなって……。やっと、来れたよ……」
間に合わなかった。
篠さんに、今のわたしの姿を見てもらいたかった。
みんなで墓石の前で手を合わせ、目を閉じる。
私は、篠さんのような人を救える医者になってみせます……。
だから、見守っていてください……。
そう心の中でつぶやいて目を開けると、迫河だけがまだ手を合わせていた。
きっと、たくさん伝えたいことがあるのだろう。
やっと目を開けたと思うと、迫河はニコッと笑って、
「さあ、メシでも食って帰ろうか! 今日は、俺のオゴリだ!」
と言って、駐車場の方へ向かって行った。
「やったぁー! 先生、太っ腹!」
るきあは能天気に喜んで、その後をついて行く。
私も続こうとすると、鳴沢に呼び止められた。
「香西」
「ん?」
立ち止まって振り向くと、わたしの隣に並んで、こっそりと手を繋いできた。
「今度は、ふたりで来ような」
「……うん、そうだね」
「ふたりとも、早く行くよー!」
話していると、るきあが向こうで大きく手を振ったので、鳴沢と繋いでいる方の反対の手を振り返した。
「今行くー!」
*
迫河に長野の蕎麦をご馳走になって、また数時間かけて地元に戻ってくると、もう夕方になっていた。
駅前で解散して、るきあは「ふたりでごゆっくり〜」と言い残して家に帰った。
夕日が背中側に当たって、伸びる影を見ながらふたりで鳴沢の家の方へ歩く。
途中で、あの公園があった。
少しだけ小学生が遊んでいて、時計が五時を示すと一斉に帰って行き誰もいなくなった。
ずっと怖くて、思い出すだけでも発作が起こって、近づけなかった。
もうなにも起こらない。
でも、発作は起こらないけど、あの時の恐怖は、変わらない。
公園の入り口で、思わず鳴沢の手をぎゅっと握った。
すると、鳴沢が手を握り返してきた。
「大丈夫」
そう言って、わたしを真っ直ぐに見つめてくる。
「なにかあっても、また俺が守るから」
夕日に照らされてオレンジ色になった鳴沢の顔は、あの時の幼いヒーローのように。
自信に満ち溢れた、最高の笑顔だった。
ー 完 ー