篠さんを鳴沢先生や看護師さん達に任せて、オレは一旦自分の病室に戻って着替えた。
ちょうどそこに、るきあが宿題を持ってやってきて、事の顛末を説明した。
オレとるきあは、鳴沢先生にお願いして篠さんが目を覚ますまで、傍にいさせてもらうことにした。
宿題をやりながら待っていたけど、全然手につかない。
コツコツ、コツコツと、シャープペンシルをノックしては芯を戻したりして、るきあも解答する気が起きないのか筆記具でノートを突いていて、一部分が真っ黒になっている。
窓の外は、すでに夕焼けが広がっていた。
下を覗くとたくさん車が通っているけれど、音は何も聞こえない。
オレが十年前や、一昨日倒れた時もこんな感じだったのだろうかと、るきあの横顔を見ながら思う。
「う……ん……?」
「あっ……。ヒロ、篠さん気づいたよ!」
るきあに言われて、ベッドで仰向けになっている篠さんの顔を覗き込む。
白い病室が、篠さんの顔色を一層青く見せているような気がする。
「篠さん、大丈夫?」
「あれ? 私……」
「廊下で、急に倒れたんだ」
混乱する篠さんに、簡単に説明した。
「そっか、あの時めまいがして……。倒れたのが、病院だったのが幸いだったわ」
篠さんは、こちらに弱々しい微笑みを見せる。
「篠さん。鳴沢先生は、篠さんのことを知っていました。とても、深刻そうな顔でした……。単なる貧血とは思えません」
「……まいったなー」
篠さんは、笑顔でそう言ったけれど、すぐに表情を曇らせた。
「私ね、白血病なの」
「えっ!?」
言われて、オレとるきあは一瞬息を呑んだ。
「白血病って、無菌室ってイメージがありますけど」
「それは、もっと免疫力が低下した人で、私の場合は慢性白血病なの。無理をしなければ普通に生活ができるのよ」
無理をしなければ……。
オレは、篠さんが朝早くから夜遅くまで働いていたことを思い出す。
そういえば、オレの前で倒れかけたことがあった。
あれは、バランスを崩しただけかと思っていたけど、もしかしたら……。
『好きだから』って、無理をしていたのかもしれない。
「でも……次に倒れたら、長期入院の覚悟はしてくださいって、言われていたわ」
篠さんの声が、次第に弱くなっていく。
「ああ、悔しいなぁ……」
いつも笑顔だった篠さんが、顔を歪めて唇を噛んで、点滴をされてない方の腕で両目を覆った。
「悔しぃ……なぁ……」
それでも涙の雫は、頬を伝って枕を濡らす。
その様子を見ていたオレとるきあは、何も言えないでいた。
篠さんは、腕で目を覆ったまましばらく黙っていて、ようやく口を開いた。
「ヒロくん、るきあちゃん。迫河さんには、言わないで」
それを聞いて、オレもるきあも目を見開いた。
「なんで──」
「お願い……」
「ダメだ、篠さん!」
無意識に、篠さんの手を取って握っていた。
「篠さんはそれでいいかもしれないけど、そんなことされたら、迫河じゃなくても辛いよ!」
篠さんの気持ちはわかる。
オレだって親しい人に病気のこととか、自分からは言いづらい。
でも、もしるきあがオレの病気のことを知らなくて、オレが急にいなくなったら、るきあは絶対怒るし泣くと思う。
人には、覚悟する時間が、多少なりとも必要なんだ。
「オレは、卒業したら病気を治すためにドイツへ行く。絶対治す! 治ってみせる!」
篠さんを励ますつもりだった。
だけどこれは、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。
「だから篠さんも、簡単に諦めないで……」
「うん……そうだね。ごめんね、ヒロくん……」
オレの言葉を聞いて、篠さんは再び泣いてしまった。
その表情を見て、篠さんはもしかしたらもう永くないのではないかと、オレはそんな不吉なことを思ってしまった。