香西が入院して一夜明けても、日常が変わるわけではなかった。
 俺は重い足取りで学校へ向かう。
 昨日は忙しい日だったな……と、少し惚けながら通学路を歩いていると、いつもはあまり話さないクラスメイト達が、やたらと話しかけてきた。
 軽く挨拶してくる者から、昨日のことを言ってくる者、いろいろだ。
 やはりみんな、昨日のことは衝撃だったらしい。
 そして、香西が入院したことは、すでに学校中に広まっていたのである。

 昇降口まで来ると、職員室の辺りでざわざわと皆集まっていた。
 まるで昨日の野次馬のようだ。
 
「なんか、騒がしいな……?」
「あっ、鳴沢君、おはよう!」

 ちょうど、落合さんがそこへ向かう途中だったようで、声をかけられた。
 
「騒がしいみたいだけど、何かあったのか?」
「るきあちゃん、鳴沢、おはよう! 迫河先生が……!」

 一足早く駆けつけていた瀬戸が、俺達を手招きした。
 人だかりの間から覗くと、渦中の場所は職員室ではなく校長室だった。
 そこから、迫河先生と校長先生の声が聞こえてくる。

「お願いします、校長! もう準備はできてるんです! 後は、校長の許可をいただければ実行できます!」
「し、しかしだねぇ、迫河先生……。香西君だけ、特別扱いというわけにもいかないんですよ!」

 どうやら、迫河先生がリモート授業の実施を頼んでいるようだった。
 そういえば昨日、花屋の前で会った先生は、何かをやろうとしている風に見えた。
 香西が病室で授業を受けられるように準備していたんだ。
 そんなやりとりを見ていると、俺の横をすました表情の山本先生が通って校長室へ入って行った。
 
「特別扱いしなければ香西君は卒業できませんよ、校長」

 山本先生は迫河先生の隣に立ち、援護をするようだ。
 
「山本先生……」
「まったく、詰めが甘いですよ迫河先生」

 そう言って、大きめの封筒から一枚の紙を取り出して校長先生の前に突きつける。
 校長先生は、体型に似つかわしくないつぶらな目を瞬かせて紙を手に取った。
 
「これは?」
「香西君の診断書です」
「えっ? 診断書って……」

 迫河先生が、それはまずいのではと焦っている。
 俺も同じ風に思った。
  
「まあ、見てくださいよ」

 山本先生に言われて校長先生は、ひと通り診断書に目を通し困った顔になった。
  
「病名が書いてないけれども」
「肝心なのは、その下です」

 再び、診断書に目を落とす。
 
「“ある特定の条件下による呼吸困難、もしくは不整脈、心臓発作” ……」

 校長先生は、症状の部分を読み上げていく。
 詳しくは書けないが、嘘も書いていない、という風な感じだった。
『ある特定の条件下』
 あの時、香西はやはり手紙を読んで発作が起きたのだろう。
 申し訳なさでいっぱいになる。
 
「香西君の病気は新しく発見されたばかりで、まだ正式に病名がついていません。しかし、命に関わる難病です。したがって、特別扱いをしなければ香西君は卒業できないのです!」

 その様子を見ていた他の教師や生徒達から、「おおーっ!」っと歓声が上がる。
 迫河先生が情熱と力で押していたのに対し、山本先生は理詰めで説得力がある!

「俺達からも、お願いします!」

 俺は、校長室へ入って行き無意識に叫んでいた。
 俺が香西にできることは、悔しいがこれくらいしかない。
 
「あたし達からも、お願いします!」

 続いて落合さん、瀬戸、瀬戸の妹さん、神楽さん……。
 他のクラスメイトも、次々と名乗りを上げて校長室へ入ってきた。
 
「おまえ達……」
「ええ〜、私だけ悪者!?」

 校長先生が怯んだところへ、迫河先生がもうひと押しと畳みかける。

「校長、香西は出席日数は少ないですが、成績はすこぶるいいんです」
「それは、知ってるけどね」
「実は、香西は医学部を目指していまして」
「ほう!」
「もし、香西がうちを卒業したら……もしかしたら、ここにいる鳴沢と」

 と言いながら、俺の腕を掴んで校長先生の前に立たせる。
 
「明栖北高校卒業生で“T大医学部”が、ふたりになるかもしれないんですよ!!」
「おお〜〜っ!!」

 T大医学部!?
 いや、先生! 俺、そこは受けるつもりないんですけど!?
 しかし、校長先生をはじめ周りからも歓声が起きている。
 ええい、なんか押してるしまあいいか!!
 
「我が校からT大医学部が……。いいねぇ」

 校長先生も満更ではなさそうだ。
 
「では、リモート授業の許可、いただけますね!?」
「いいよぉ、うん、いいよぉ!!」

「きゃあ、やったー!」
「良かったね、るきあちゃん!」
 
 落合さんが、隣で瀬戸の妹さんと手を組んでぴょこぴょこ飛び跳ねている。
 
「校長先生の計らい、ぜひ新聞部の後輩達で記事にさせてください!」

 さらに校長先生をおだてて持ち上げたのは、神楽さんだった。