*
「香西! しっかりしろ!」
そう言いつつも、俺は動けないでいた。
『おまえが近づくと悪化するかもしれない』
その言葉が呪いのようにまとわり付く。
俺は……香西に近づいていいのか……!?
考えている間にも、最初は苦しそうだった香西の息がだんだんと弱くなっていく。
発作が落ち着いたのかと思ったが、これは逆に、意識昏迷になっているのかもしれない。
……迷ってる場合か!!
人命救助に性別は関係ないだろ!!
パン! と俺は自分の両頬を叩き、喝を入れた。
軽く揺すって呼びかけても返事がない。
呼吸は浅く、脈もまばらで弱い。
念のため、心臓マッサージをした方が……いや、救急車が先か!?
一瞬の躊躇いが命取りになるかもしれないのに、俺はすぐに判断できないでいた。
「ど、どうしたんだ!?」
その時、運良く人が通りかかってくれた。
顔見知りの男子生徒だ。
「いい所に! 救急車呼んでくれ!!」
「わ、わかった……!」
救急車を任せたところで、香西のブレザーのボタンを外し心臓マッサージをし始める。
徐々に通行人が増えてきた。
「えっ!? どうしたの……!?」
「養護の山本先生呼んできて!」
「わ、わかった……!!」
心配そうに見てきた女子生徒に頼むと、すぐに学校へ戻ってくれた。
本当にこれでいいのか、不安になってきた。
それに、香西のことを知っている人間が今ここには俺しかいない。
「誰か、三年の落合さん呼んできて! 図書室にいるはずだ!」
誰に向かってでもなく、とにかく叫んだ。
もし香西が意識を取り戻したら、きっと俺では対応できなくなる。
さらに人が多くなってきた。
野次馬のようにスマートフォンのカメラを向ける人もいる。
くそっ、見世物じゃねーぞ!!
たった数分の出来事が、とても長く感じられた。
その時、山本先生と迫河先生が来てくれた。
「鳴沢君!!」
「先生! 香西が……!!」
「私が代わろう!!」
「お願いします!!」
なるべくリズムを崩さないように、素早く交代する。
正直、できているかどうか不安だった。
山本先生と交代できて安心したことで急に力が抜けて、グラウンドと道路を隔てるフェンスにもたれかかる。
でも、救急車が来るまでずっと心は焦っていた。
まだサイレンは聞こえてこない。
「こらーっ、そこ、スマホで録るな! 救急車が来るから、道を空けろ!」
迫河先生が野次馬の生徒達に注意してくれて助かった。
きっと、俺が同じことを言っても、誰も聞いてくれないだろう。
「鳴沢くん! ヒロは!?」
誰かが呼びに行ってくれたのだろう、落合さんが息を切らせてやってきた。
その後ろには、瀬戸もいる。
もしかして瀬戸も、香西のことを知っているのだろうか?
いや、今はそれどころじゃない。
「今、山本先生が……」
ようやく、救急車のサイレンが聞こえてきた。
「急患はどちらですか!?」
「こっちです。呼吸が不安定だったので、心臓マッサージを続けていました」
「それは、ご協力ありがとうございます!」
救急隊員の言葉に、自分の行動は間違っていなかったと、ほっと胸を撫で下ろす。
香西は、救急隊員によって手際よく救急車に乗せられた。
「付添人は?」
「私が行きます。鳴沢君」
山本先生は、救急隊員に答えてから、俺の方を見た。
「はい……」
「君の機転がなかったら、香西君は助からなかったかもしれないよ。君は、香西君を助けた。本人に伝えることは叶わないかもしれないが……。それは紛れもない事実だ。もっと胸を張りなさい」
やや早口で、そう言った。
「はい……」
俺と山本先生が会話している間にも、救急隊員の一人が香西の様子を見て、一人が発進する準備をし、もう一人が病院へ連絡している。
山本先生が、「鳴沢病院へ」と言っているのが聞こえた。
双方が何か少し言い合った後、救急車は無情にもサイレンを鳴らして遠くなっていく。
野次馬だった通行人達はぞろぞろと解散しはじめ、迫河先生も学校へ戻って行った。
瀬戸はオタオタしていたが、用事があるとかで落合さんに伝言を頼んで帰った。
俺は気が抜けて、呆然とその場に立っていると、唐突に落合さんが俺の腕を引っ張った。
「鳴沢くん! あたし達も行こう!」
*
当然ながら、救急車よりもずっと遅れて、俺達は病院に着いた。
受付で香西のことを訊くと、「処置中」としかわからなかった。
そこへ、ちょうど処置室らしき場所から親父が出てきた。
「親父! 香西は!?」
「佑二……と、君はたしか……」
隣の落合さんを見て、親父も十年前を思い出したのか、
「まさか、おまえ、また何かしたのか!?」
厳しい表情で、俺に対して怒鳴った。
「そ、それは……」
言い訳もできなかった。
しかし、落合さんが俺と親父の間に入って言った。
「違うんです、先生! あたしが……あたしがいけなかったんです……! 鳴沢くんの手紙を、ちゃんとしまっておかなかったから……!」
香西が落とした手紙は、どうやら落合さんが拾ってくれていたようだ。
「そんな、落合さんのせいじゃ……。そもそも、俺があんな手紙を書かなければ……」
「でも、鳴沢くんはヒロを助けてくれたじゃない!」
「助けた……?」
「鳴沢くんは、ずっと心臓マッサージをしてくれてたんでしょ? 呼びに来てくれた子が言ってた」
落合さんは、あの時の様子を事細かく親父に説明してくれた。
「そうだったか……」
親父は、腕を組んで何かを考え込んでいるようだった。
「ごめん、親父。俺……近づかないっていう約束、守れなかった」
「佑二」
「はい……」
「山本先生の言う通りだ、胸を張りなさい。結果がどうあれ、おまえはヒロ君を助けた。あの時も、今もな」
『あの時も』
そう言われて、俺はようやく呪縛から解き放たれたような感覚になった。
「うっ……ううっ……」
張り詰めていた緊張が一気に解けて、目頭を押さえる。
ずっと気にしていた。香西が許してくれただけではダメだったんだ。
俺は……親父に認めてもらいたかったんだ。
「……さて、私もヒロ君の様子を見てくる。 また後で話を聞かせてくれ」
そう言って、親父は再び処置室に入っていく。
入れ替わるように、山本先生が出てきた。
「さて、私も学校に戻りますかね」
「山本先生、香西は……」
「医者を信じて待つしかないですよ、 鳴沢君」
山本先生は、俺の肩をポンと叩いて病院を出ていった。
香西は意識が戻らないまま病室へ移され、落合さんもそこへ入っていった。
俺は入室を許されず、ただ忙しなく病室を出入りする看護師さんの姿と、『面会謝絶』の文字が書かれたプレートを、なんとも言えない気持ちで見つめるのだった。
「香西! しっかりしろ!」
そう言いつつも、俺は動けないでいた。
『おまえが近づくと悪化するかもしれない』
その言葉が呪いのようにまとわり付く。
俺は……香西に近づいていいのか……!?
考えている間にも、最初は苦しそうだった香西の息がだんだんと弱くなっていく。
発作が落ち着いたのかと思ったが、これは逆に、意識昏迷になっているのかもしれない。
……迷ってる場合か!!
人命救助に性別は関係ないだろ!!
パン! と俺は自分の両頬を叩き、喝を入れた。
軽く揺すって呼びかけても返事がない。
呼吸は浅く、脈もまばらで弱い。
念のため、心臓マッサージをした方が……いや、救急車が先か!?
一瞬の躊躇いが命取りになるかもしれないのに、俺はすぐに判断できないでいた。
「ど、どうしたんだ!?」
その時、運良く人が通りかかってくれた。
顔見知りの男子生徒だ。
「いい所に! 救急車呼んでくれ!!」
「わ、わかった……!」
救急車を任せたところで、香西のブレザーのボタンを外し心臓マッサージをし始める。
徐々に通行人が増えてきた。
「えっ!? どうしたの……!?」
「養護の山本先生呼んできて!」
「わ、わかった……!!」
心配そうに見てきた女子生徒に頼むと、すぐに学校へ戻ってくれた。
本当にこれでいいのか、不安になってきた。
それに、香西のことを知っている人間が今ここには俺しかいない。
「誰か、三年の落合さん呼んできて! 図書室にいるはずだ!」
誰に向かってでもなく、とにかく叫んだ。
もし香西が意識を取り戻したら、きっと俺では対応できなくなる。
さらに人が多くなってきた。
野次馬のようにスマートフォンのカメラを向ける人もいる。
くそっ、見世物じゃねーぞ!!
たった数分の出来事が、とても長く感じられた。
その時、山本先生と迫河先生が来てくれた。
「鳴沢君!!」
「先生! 香西が……!!」
「私が代わろう!!」
「お願いします!!」
なるべくリズムを崩さないように、素早く交代する。
正直、できているかどうか不安だった。
山本先生と交代できて安心したことで急に力が抜けて、グラウンドと道路を隔てるフェンスにもたれかかる。
でも、救急車が来るまでずっと心は焦っていた。
まだサイレンは聞こえてこない。
「こらーっ、そこ、スマホで録るな! 救急車が来るから、道を空けろ!」
迫河先生が野次馬の生徒達に注意してくれて助かった。
きっと、俺が同じことを言っても、誰も聞いてくれないだろう。
「鳴沢くん! ヒロは!?」
誰かが呼びに行ってくれたのだろう、落合さんが息を切らせてやってきた。
その後ろには、瀬戸もいる。
もしかして瀬戸も、香西のことを知っているのだろうか?
いや、今はそれどころじゃない。
「今、山本先生が……」
ようやく、救急車のサイレンが聞こえてきた。
「急患はどちらですか!?」
「こっちです。呼吸が不安定だったので、心臓マッサージを続けていました」
「それは、ご協力ありがとうございます!」
救急隊員の言葉に、自分の行動は間違っていなかったと、ほっと胸を撫で下ろす。
香西は、救急隊員によって手際よく救急車に乗せられた。
「付添人は?」
「私が行きます。鳴沢君」
山本先生は、救急隊員に答えてから、俺の方を見た。
「はい……」
「君の機転がなかったら、香西君は助からなかったかもしれないよ。君は、香西君を助けた。本人に伝えることは叶わないかもしれないが……。それは紛れもない事実だ。もっと胸を張りなさい」
やや早口で、そう言った。
「はい……」
俺と山本先生が会話している間にも、救急隊員の一人が香西の様子を見て、一人が発進する準備をし、もう一人が病院へ連絡している。
山本先生が、「鳴沢病院へ」と言っているのが聞こえた。
双方が何か少し言い合った後、救急車は無情にもサイレンを鳴らして遠くなっていく。
野次馬だった通行人達はぞろぞろと解散しはじめ、迫河先生も学校へ戻って行った。
瀬戸はオタオタしていたが、用事があるとかで落合さんに伝言を頼んで帰った。
俺は気が抜けて、呆然とその場に立っていると、唐突に落合さんが俺の腕を引っ張った。
「鳴沢くん! あたし達も行こう!」
*
当然ながら、救急車よりもずっと遅れて、俺達は病院に着いた。
受付で香西のことを訊くと、「処置中」としかわからなかった。
そこへ、ちょうど処置室らしき場所から親父が出てきた。
「親父! 香西は!?」
「佑二……と、君はたしか……」
隣の落合さんを見て、親父も十年前を思い出したのか、
「まさか、おまえ、また何かしたのか!?」
厳しい表情で、俺に対して怒鳴った。
「そ、それは……」
言い訳もできなかった。
しかし、落合さんが俺と親父の間に入って言った。
「違うんです、先生! あたしが……あたしがいけなかったんです……! 鳴沢くんの手紙を、ちゃんとしまっておかなかったから……!」
香西が落とした手紙は、どうやら落合さんが拾ってくれていたようだ。
「そんな、落合さんのせいじゃ……。そもそも、俺があんな手紙を書かなければ……」
「でも、鳴沢くんはヒロを助けてくれたじゃない!」
「助けた……?」
「鳴沢くんは、ずっと心臓マッサージをしてくれてたんでしょ? 呼びに来てくれた子が言ってた」
落合さんは、あの時の様子を事細かく親父に説明してくれた。
「そうだったか……」
親父は、腕を組んで何かを考え込んでいるようだった。
「ごめん、親父。俺……近づかないっていう約束、守れなかった」
「佑二」
「はい……」
「山本先生の言う通りだ、胸を張りなさい。結果がどうあれ、おまえはヒロ君を助けた。あの時も、今もな」
『あの時も』
そう言われて、俺はようやく呪縛から解き放たれたような感覚になった。
「うっ……ううっ……」
張り詰めていた緊張が一気に解けて、目頭を押さえる。
ずっと気にしていた。香西が許してくれただけではダメだったんだ。
俺は……親父に認めてもらいたかったんだ。
「……さて、私もヒロ君の様子を見てくる。 また後で話を聞かせてくれ」
そう言って、親父は再び処置室に入っていく。
入れ替わるように、山本先生が出てきた。
「さて、私も学校に戻りますかね」
「山本先生、香西は……」
「医者を信じて待つしかないですよ、 鳴沢君」
山本先生は、俺の肩をポンと叩いて病院を出ていった。
香西は意識が戻らないまま病室へ移され、落合さんもそこへ入っていった。
俺は入室を許されず、ただ忙しなく病室を出入りする看護師さんの姿と、『面会謝絶』の文字が書かれたプレートを、なんとも言えない気持ちで見つめるのだった。