翌日の放課後。
 落合さんは裏庭でセミロングの毛先をくるくるといじりながら、来るはずのない人を待っていた。
 
 昨日、神楽さんに落合さんを裏庭に呼び出してくれないかと頼んだのだ。
 そして、その後に香西をここと反対側の、体育館裏に呼び出してもらって、話でもして足止めをしてほしいとも。
 俺の日頃の行いが祟って、なかなか承諾してくれなかったが、なんとか引き受けてくれた。
 
 俺は指定した時間よりも少しだけ遅れてやって来て、陰からその姿を確認する。
 神楽さんはうまくやってくれた。
 後は、俺がうまく話せるかどうかだ。
 ポケットの中に忍ばせた手紙を握りしめて近づいていくと、予想通り驚かれた。
 
「あたし、神楽さんに呼ばれて来たんだけど、どうしてこうなっちゃったかなー?」
「ごめん。落合さんに話があって、俺が頼んだんだ」
「えぇ〜……」

 今までに見たことがない、ものすごく嫌な顔をされた。
 好かれていないことは自覚していたが、ちょっと傷つくな。
 
「まずは……」

 俺が口を開くと、落合さんは少し身構えた。
 
「いろいろと、ごめん!!」

 頭を下げるのと同時に、意を決して言った。
 
「えっ?」
「実は……偶然にも香西の正体を知ってしまったんだ……」
「え……ええええええええええっ!?」
「こ、声が大きい……!」

 慌てて頭を上げて、小声で制する。
 
「あ、ああ……そうだね……」

 落合さんは言いながら、両手で口を覆って辺りを見回した。
 
「それで、十年前の公園でのことも……思い出したんだ……」
「やっぱり、あの時のシャイニングマンは……」
「ああ、俺だ。……やっぱりってことは、気づいていたんだな」
「ヒロがね、そうじゃないかって」

 香西も気づいていたのか。
 ますます近づき難くなってしまったな。
 
「香西の病気については、主治医である父親に詳しく説明してもらった。説明してもらった上で、俺は十年前の事を謝りたいと思った。でも、香西に直接謝ったりするのは ダメだと……。だから、手紙を書いてきた。それを、まず落合さんに受け取ってほしいんだ」

 ポケットから、くしゃくしゃになった手紙を取り出して、しわを伸ばす。
 
「あたしに……?」
「それを読んでもらって、香西に伝えても問題なかったら、君から香西に渡してほしい。手紙の内容がダメなら、謝罪の言葉だけでもいいんだ」

 真剣な気持ちが伝わったのか、落合さんは手紙を遠慮がちに受け取ってくれた。
 そして、軽くのり付けされた封を丁寧に開けて、中身を取り出す。
 
「とりあえず、読んでみるね」

 沈黙の中、便箋がカサカサと秋風に揺れる。
 目の前で気持ちを綴った手紙を読まれるなんて、すごく恥ずかしい。

「ど、どうだろうか?」

 しばらくして声をかけると、落合さんはゆっくりと顔を上げた。
 先ほどの表情と打って変わって、真剣な表情だった。

「鳴沢くんの気持ちは、よくわかった。謝罪したい気持ちも……」

 広げられた便箋を、もう一度折って封筒にしまいながら言った。
 
「でも、悪いけどやっぱり、これはヒロには見せられない」
「そうか……謝罪も……ダメか……?」
「そうだね……謝罪をするって事は、ヒロを女性だって認める事だから……。あたしからも何も言えない。ましてや十年前のあの事となると、あたしも怖いんだ……」

 あの時の、苦しそうな香西の姿と、必死に俺に頼んできた落合さんの姿が、鮮明に蘇る。
 
「あたしは、邦ちゃん──ヒロのお兄さんからヒロの事を頼まれてる。だから、少しでも不安要素があるなら、それをヒロに言うわけにはいかないの」
「そう……だよな……」

 気持ちはわからないでもない。
 俺だって香西本人を困らせたいわけじゃないし、残念だが仕方ない。
 
「わかった、ありがとう。落合さんだけにでも気持ちを伝えられて良かった」
「ごめんね……。一応、手紙は預かっておくね。見せられる日が来たら、渡そうと思う」

 そういえば、お兄さんが薬の研究をしているとか言っていたな。
 それがうまくいけば……の話になるんだろうな。
 
「よろしく頼むよ。……じゃあ!」

 なるべく平静を装って、その場を後にする。
 
「ごめんね、鳴沢くん……」

 風に乗って、微かに落合さんの声が聞こえた。
 彼女が謝ることは何もないのに。
 あの手紙だって完全に俺の自己満足だ。
 
『ヒロ君には近づくな』
『望ましいのは、あまり関わらないことね……』
『やっぱりヒロには見せられない』

 親父も、母さんも、落合さんも。
 香西のことを第一に考えて俺を遠ざけようとする。
 仕方のないことだって、わかっているのに。
 
 なんだろう……なにか……すごく、胸がザワザワする……。
 
 俺はこの時、自分の気持ちに向き合うことに精一杯で、裏庭の木の影に人がいたことに気づかなかったのだ。