♢♢♢
翌日
早朝からドダドダと煩い足音で目が覚めた。
文乃の部屋の襖が勢いよく開いた。
「文乃、久我様がいらっしゃってるわ!」
「え、久我様…が?」
寝ぼけたまま目を擦る。母親の焦った様子を見て急いで浴衣から着物へ着替える。
突然、結婚相手がやってきたことに文乃も驚きを隠すことが出来ない。鏡台の前で髪型を整える。一気に階段を駆け下りて
応接室の前で呼吸を整えた。母親がいうには“迎えにきた”というのだ。
送った手紙は届いただろう。それを見たはずなのに、離縁状ではなく迎えに来た?
内心首を傾げながら、膝を折り「失礼します」と一声かけてからそっと襖を開いた。
伏せていた顔を上げると、正座して待っていた男と目が合った。
「あ、」
「早朝から申し訳ない。そして迎えに来るのが遅くなって申し訳ない。俺が久我鷹臣だ」
「……え?」
ぽかんと口を開け完全に固まる文乃は何度も目を瞬き、迎えに来たという男を見る。
―何故、あの泉で出会った男性がここに?
驚く文乃をよそに、鷹臣は続けた。
「本当は来週に迎えに来る予定だった。だが、君から離縁したい旨の文を貰ったからどういうことか聞きに来た」
「…どうって、その…えっと、あなたが私の夫なのですか」
「そうだよ」
「……そう…ですか」
(いったい…どういうこと?あの泉で会ったあの男性が…私の夫だなんて、)
こちらへ、と言われ文乃はまだ困惑した状態で視線を下に向けたまま鷹臣の前に移動する。
おずおずと正面から彼の顔を見た。
真っ直ぐに射るように見据えられると指先一つ動かすことが出来ない。
「“仕事”の関係で落ち着くまで時間がかかった。詳細は久我家に来てから話そう」
はい、と口の中で返事をするが文乃に向けられる視線は苛立ちを含んでいるように思った。
「文に書かれてあった“想い人”がいるというのは本当か」
文乃はかっと顔を上気させ、キョロキョロと黒目を動かす。
好きな相手というのはあなたです、などと言えるわけもなく。
だが文乃は嘘をつくのが下手だ。正直に話したいところだが、恋愛に疎い文乃にとって好きだと単刀直入に伝える勇気はなかった。
文乃の返答を待っているようだったが、痺れを切らしたように口火を切ろうと口を開いた時「失礼いたします」と襖の奥から声がした。
二人の視線がそこへ向く。どうやら使用人がお茶を持ってきたようだった。使用人は鷹臣の前にお茶を置いてからぴりつく雰囲気の応接室をそそくさと退室する。
「その様子では本当のようだな」
淡々とした口調で静かに言った。
「まぁいい。俺は離縁するつもりはない。だからこれから久我家に来てもらう」
「ですが、何故私なのでしょうか。梅本家との結婚を望むのであれば妹の夏菜の方が客観的に見ても美しいです。私はこの通り頬に傷がございます」
「以前も話したが頬の傷などなんとも思っていない」
そう言い切って鷹臣は立ち上がる。そして文乃に手を差し伸べる。
「君が誰を好きでも構わないが、忘れるな。文乃、君は俺の花嫁だ」
心臓が脈打つのがわかる。きゅっと胸が締め付けられ、頭のてっぺんから足先まで痺れるような不思議な感覚がある。
無意識に文乃は彼の手に自分のそれを重ねていた。
鷹臣はようやく形のいい唇の端を上げて笑顔を見せた。
あぁ、何と美しい笑みなのだろうと文乃は見惚れていた。そして幼少期に助けてくれたあの少年と重なった。
翌日
早朝からドダドダと煩い足音で目が覚めた。
文乃の部屋の襖が勢いよく開いた。
「文乃、久我様がいらっしゃってるわ!」
「え、久我様…が?」
寝ぼけたまま目を擦る。母親の焦った様子を見て急いで浴衣から着物へ着替える。
突然、結婚相手がやってきたことに文乃も驚きを隠すことが出来ない。鏡台の前で髪型を整える。一気に階段を駆け下りて
応接室の前で呼吸を整えた。母親がいうには“迎えにきた”というのだ。
送った手紙は届いただろう。それを見たはずなのに、離縁状ではなく迎えに来た?
内心首を傾げながら、膝を折り「失礼します」と一声かけてからそっと襖を開いた。
伏せていた顔を上げると、正座して待っていた男と目が合った。
「あ、」
「早朝から申し訳ない。そして迎えに来るのが遅くなって申し訳ない。俺が久我鷹臣だ」
「……え?」
ぽかんと口を開け完全に固まる文乃は何度も目を瞬き、迎えに来たという男を見る。
―何故、あの泉で出会った男性がここに?
驚く文乃をよそに、鷹臣は続けた。
「本当は来週に迎えに来る予定だった。だが、君から離縁したい旨の文を貰ったからどういうことか聞きに来た」
「…どうって、その…えっと、あなたが私の夫なのですか」
「そうだよ」
「……そう…ですか」
(いったい…どういうこと?あの泉で会ったあの男性が…私の夫だなんて、)
こちらへ、と言われ文乃はまだ困惑した状態で視線を下に向けたまま鷹臣の前に移動する。
おずおずと正面から彼の顔を見た。
真っ直ぐに射るように見据えられると指先一つ動かすことが出来ない。
「“仕事”の関係で落ち着くまで時間がかかった。詳細は久我家に来てから話そう」
はい、と口の中で返事をするが文乃に向けられる視線は苛立ちを含んでいるように思った。
「文に書かれてあった“想い人”がいるというのは本当か」
文乃はかっと顔を上気させ、キョロキョロと黒目を動かす。
好きな相手というのはあなたです、などと言えるわけもなく。
だが文乃は嘘をつくのが下手だ。正直に話したいところだが、恋愛に疎い文乃にとって好きだと単刀直入に伝える勇気はなかった。
文乃の返答を待っているようだったが、痺れを切らしたように口火を切ろうと口を開いた時「失礼いたします」と襖の奥から声がした。
二人の視線がそこへ向く。どうやら使用人がお茶を持ってきたようだった。使用人は鷹臣の前にお茶を置いてからぴりつく雰囲気の応接室をそそくさと退室する。
「その様子では本当のようだな」
淡々とした口調で静かに言った。
「まぁいい。俺は離縁するつもりはない。だからこれから久我家に来てもらう」
「ですが、何故私なのでしょうか。梅本家との結婚を望むのであれば妹の夏菜の方が客観的に見ても美しいです。私はこの通り頬に傷がございます」
「以前も話したが頬の傷などなんとも思っていない」
そう言い切って鷹臣は立ち上がる。そして文乃に手を差し伸べる。
「君が誰を好きでも構わないが、忘れるな。文乃、君は俺の花嫁だ」
心臓が脈打つのがわかる。きゅっと胸が締め付けられ、頭のてっぺんから足先まで痺れるような不思議な感覚がある。
無意識に文乃は彼の手に自分のそれを重ねていた。
鷹臣はようやく形のいい唇の端を上げて笑顔を見せた。
あぁ、何と美しい笑みなのだろうと文乃は見惚れていた。そして幼少期に助けてくれたあの少年と重なった。