初めて異性とデートのようなものをした文乃は午後に屋敷に戻ってもずっと夢心地だった。
とはいえ、何もすることがないから暇だった。
 鷹臣からは家事はする必要はない、といわれていたのだが文乃自身が何か鷹臣のためになることをしたかった。


 一階に下りて夕食の準備をする使用人たちがいる食堂へいく。
シノを中心に準備をする使用人たちは皆、妖のようだった。ここで働く妖たちについて詳しくは知らない。
仲良くしたいという気持ちがあって、シノに声を掛けた。

「シノさん」
「あら、どうしました?奥様」

奥様、と言われたことが何だかくすぐったくて照れるように鼻の上をかく。

「何かお手伝いさせてくれませんか」
「いいえ、いけませんよ。旦那様からは奥様に家事はさせないように、といわれておりますので」
「暇なんです。それに…少しでも鷹臣様の役に立ちたくて」
「そうですねぇ」

 シノは人差し指を顎に沿え、空を見る。

「少しならいいですよ。でもお怪我をしたら困るので…じゃあ、窓ふきをお願いします」

 料理は包丁を使用するからという理由で手伝うことは出来なかった。
食堂の窓を水に浸された雑巾で拭いていると、シノが背後から声を掛ける。
その姿は娘を見守る母のようだった。

「そんなに頑張らなくてもいいのに。まだ慣れないでしょう?ここは」
「私実家では掃除は毎日していたのでそれを急にしなくなると体が鈍るんですよ」

にっと無邪気に笑う文乃にシノはうふふ、と口に手を添え笑う。

「旦那様にぴったりな奥様ですね」
「そうですか」
「ええ、そうですよ。鷹臣様も奥様のことが気になって仕方がないんでしょうね。私にいちいち聞いてくるんですよ。様子はどうだったかとか。仕事が忙しいから家を空ける時間が多いので心配なんでしょうね。結婚が決まってから奥様のことも早く迎えに行きたがっていたんですよ。でもねぇ、なんせ最近は忙しいから。久我家長男が結婚するという噂が広がって、久我家をよく思わない妖たちが悪さをしているようで」

 おしとやかに決して無駄なことは喋らないイメージをシノに抱いていたのだが、そうではないようだ。
これは秘密ですよ、と言いながら次々と鷹臣のことを喋るその姿にぽかんと口を開けて手を止める。

「鷹臣様は迎えにこないのだと思っておりました。だから手紙を書いてしまったんです。離縁したいって。絶対に鷹臣様から傷のせいで離縁されるのだと思っていたのですが違ったようで」
「旦那様から離縁?そんなわけないじゃないですか。最近出現していた妖が相当強い妖力を持っていたんです」

シノは家事などそっちのけでつらつらと文乃に話をする。

「この屋敷は久我家の方々が結界を張っています。とはいえ、最近悪さをする妖は何の能力もない普通の人間ですら見ることの出来るほどの強い妖力を持っています。なので奥様に危害が加わらないように念入りに準備をしていたのです。ある程度仕事が片付かないと迎え入れるのは危険ですから。ですが、突然血相を変えて屋敷を飛び出して奥様を連れてくるので驚いたのですよ」
「…そう、だったのですね」

シノの話していることは本当のことなのだろうか。あの鷹臣が血相を変えて迎えにきてくれた、その姿を想像することが出来ない。まるで別人の話をしているようだった。

「着物だってワンピースだって旦那様自ら選んで購入なさって。もうびっくりです。旦那様は相当奥様のことがお好きなのですね」

 まさか!と返すが上気した頬を見られないように顔を伏せる。
きっと、耳まで真っ赤だろう。
 鷹臣が幼少期のことを覚えていてくれたことはとても嬉しい。しかし、相手が自分を好いてくれるなどとは思っていない。彼が話したように、自分は妖を見ることの出来る力のある人間だから選ばれただけだ。
それなのに勘違いしてしまいそうなことをシノは次々と話し出す。

「旦那様はああ見えてとても優しい人なのです。私たち妖たちにも親切にしてくれている。まるで家族のように。元々久我家の使用人はほぼ妖なのです。理由は人間だと久我家の秘密がバレてしまうから。代々久我家の使用人をしている一家もございますがほぼ妖たちが使用人として働いている。しかし、もうじき当主となる鷹臣様以外は妖に対しての扱いはあまりよろしくはなく、“縛り付けている”という印象です。限られた妖しかこの屋敷を出られないように術を掛けられていますし、働きたくない妖には感情を奪う術を掛け、人形のように働かせていました。ですが、鷹臣様は違います。妖それぞれの意思を尊重しようとしてくれる。リクという妖は大して力のない妖なのですが、この屋敷で手当てをして以来使用人として傍においている。リクは相当鷹臣様を慕っております」
「そうだったのですか。私―ってきり、」

だから母屋で働く使用人たちが楽しそうに働いているのだと思った。

「うふふ、いい旦那様ですよ。不器用で感情をうまく表に出すことが出来ないからなかなか誤解を生むことも多いのですがねぇ」

文乃は胸の奥がじんと温かくなる感覚が広がる。

「シノさん、お野菜を買いにいくの忘れていて!今から行ってきます」

 シノと会話をしていると背後から慌てている様子の妖が立っていた。どうやら急な買い物へ行くという内容だったのだが、せっかくだから文乃が代わりに行こうと提案した。

「いけませんよ、旦那様が心配されます」
「お店近くですよね。このあたりを散歩したいなと思っていたので」
「でもおひとりでは…」
「大丈夫です!私、そんなにか弱くないので」

シノは躊躇する素振りを見せるが、文乃の押しに負けて送り出した。