「久我様はいったい何を考えているのかしら」
「…傷モノであるとはいえ、向こうから申し込んできた結婚だというのに」
「他に結婚候補のご令嬢でもいたのかしら?そうだとすれば…離縁になるのかしら」

 奥の襖から聞こえる両親の溜息混じりの声に続くように梅本文乃も肩を落とす。
ちょうど三か月ほど前に、会ったこともない男との結婚が決まった。
それは今年で二十二歳になる文乃にとっては思ってもいない結婚だった。

『梅本家のお嬢様、婚期が遅れているって』
『あぁ、そりゃそうでしょう。だって顔に“傷”があるんだもの。お顔自体は綺麗な顔をしているし名家だっていうのに、勿体ない』
『その傷っていうのは生まれつきかい?』
『違う違う。噂じゃ、自分でつけたとか』
『え?どういうことだい?頭のおかしい子なのかい?』
『そうかもしれないね。小さな頃はよく“おかしなこと”を言って気味悪がられていたから』

 周囲からそう言われていることは知っていた。

 十八になる前には嫁にいくのが一般的であるのにも関らず、文乃にいたっては何度も結婚が“破談”となっていた。理由は頬の傷だった。
周囲は自分で自分を傷つける気持ち悪い子という印象をもたれ、かつまだ若い女性が身体的な傷があるというのはこの時代では特に疎まれた。
 文乃は結婚自体に幻想を抱いてなどはいなかった。特別結婚願望があるわけでもなかった。
それは文乃が本物の家族を知らなかったから、かもしれない。
文乃は元々子供の出来なかった梅本家に養子としてやってきた。しかし養子としてやってきて数年で妹が出来た。やはり血のつながりには勝てないのか、妹の夏菜を大層可愛がるようになった。
 まるで西洋のお人形のようにくりくりとした目に長い睫毛、ぷっくりとした唇…と、全てが可愛らしい夏菜と凛とした強さすら感じる和風顔の文乃とでは何もかもが違った。
そして、“あの出来事”を機に両親の差別的な態度は加速した。それに合わせるようにして夏菜の態度も親と同じように威圧的になる。
しかし、文乃は黙ってやられっぱなしの性分ではなかった。

 夏菜がわざと熱いお茶を文乃にかけたことがあった。

『あら、ごめんなさい』
にっこりと笑いながら、手にしていた湯呑ごと文乃にかける。
『熱いっ…』

 普段は無反応の文乃でもこれは流石に看過できなかった。熱い鶯色の液体が胸元にかかり、着物に染み込んでいく。そこを冷やすことをせずに、勢いよく立ち上がると夏菜の手首を掴みずんずんと大股で歩き出す。
数人の使用人が『どうされましたか』と慌てふためくが無視して文乃は屋敷裏にある井戸の前でようやく夏菜の手首を離す。

『お、お姉さま!何するの!』

 まさかこういった反応をされるとは思ってもいなかったのか、語尾が僅かに震えている。文乃は座り込む夏菜に鋭い視線を向け言い放つ。

『いい加減にしなさいよ、夏菜。あなたと私は血は繋がっていないけれど姉妹なのよ。陰湿ないじめは
黙って見過ごしてきたけれどこれだけは我慢できない』
『だって、お姉さまは…傷モノだし、…本当のお姉さまじゃないし』

 文乃は思わず自分の頬の傷に触れそうになった。
八歳になった年のことは今も良く覚えていた。突然つけてきた傷は親も妹も驚いた。そして気味悪がった。元々差別的されていたがそれが酷くなったのはこのせいだ。
誰かにやられたのか、何故その傷が出来たのか、聞かれても文乃は無言だった。そして自分でつけたのだと結論付けられたが事実は違った。

『だから何?やっていいことと悪いことがある。そんな腐った根性をしていつか嫁にいけたとしてもすぐに離縁状を突きつけられるわよ』

 言い返そうとするが夏菜は下唇を噛み、目を逸らした。
釣瓶桶にちょうど汲まれた水を一瞥してからそれを両手で掴み、夏菜に勢いよくかける。

『きゃっ!』
『今度こんなことしたらただじゃすまないからね』

 腰に手を当て、泣きそうになる妹へそう言ってその場を後にしようとしたが、びしょ濡れでシクシク泣く夏菜を見て小さく息を吐いて踵を返す。

『はい、』
『…お姉さま、』

 文乃はそれ以上は何も言わずに手をさし出した。その手に夏菜はそっと自分の手を重ね、ぐっと足元に力を入れ立ち上がる。
それ以来、夏菜が何かしてくることはなかった。