こうして龍神と偽の花嫁である羽月は離婚したが、羽月は一年間は名目上「花嫁」として龍神の世話をすることになった。
翌日、羽月が龍神の屋敷へと行く時、今まで世話をしてくれたあやかしたちは嬉しそうな表情をしながらも羽月との別れを惜しんで涙を流してくれた。
「花嫁様、とうとう龍神様の元へ……。嬉しいですが、淋しくなります」
「そんなに悲しむな。花嫁は時々こちらへ顔を出すようにする。その時はまた花嫁の世話を頼む」
「もちろんです! 龍神様、どうぞ花嫁様をよろしく頼みます」
「今までありがとうございました、ここでの日々、とても楽しかったです」
羽月が言うと、あやかしたちは再び涙を流した。羽月も涙を流した。
龍神と羽月はあやかしと一緒に屋敷の庭にある大きな池へと来た。羽月はなぜ池に来たのだろうかと不思議だったが、龍神は「では、みなのもの、また」と言って池の中へと入っていく。
「龍神様!」
羽月は慌てて龍神に声を掛けたが、あやかしの女性が羽月の手を取って龍神と同じように池に入るようにと促した。
「花嫁様、この池は龍神様のお屋敷に通じているのです。どうぞ心配なさらすに、この池にお入りください」
「そうなのですね……。わかりました、みなさま、ありがとうございました。また会いに来ます」
「花嫁様、お元気で!」
羽月はあやかしたちに見送られながら、目を閉じて池の中へと入って行った……。
池に入ったというのに、水の冷たさを感じなければ服が濡れた感じもしない。その代わりに何か温かいものに包まれているような感覚がある。
「もう目を開けてもいいぞ」
龍神の言葉を聞いて、羽月は瞼を開けた。
「まあ、ここは……!」
羽月の目の前に小さいが何とも品のいい屋敷が建っていた。隣にはさっき自分が入った池がある。自分はどうやら池を通ってこの場所へたどり着いたらしい。
「ここが私の住んでいるところだ。あやかしの屋敷がある場所や人間の世界とはまったく違う場所だ」
「神様の住む場所、なのでしょうか?」
「まあ、そういえばそういうことになるな」
「では、私は死んでしまったのでしょうか?」
羽月が真顔で聞くと、龍神は優しそうな表情のまま首を横に振った。
「神の住む場所が人間にとっての死者が行く場所とは限らない。もちろんここは人間の世界とは違う場所ではあるが……。気分はどうだ?」
「いえ、何ともありません。ただ何となく体が温かくとても心地よいような感じがします」
羽月はさっきから身体の温かさを感じていた。何といえばいいのか、さっきまでいた場所よりも体がすっきりとして心地が良いような気持ちがする。
「それは良かった。この世界は人間が入ると、身体に不調を感じてしまうこともあるのだ。ただお前の髪はすっかり銀色になっているし、ここに来ても大丈夫だったようだ」
「だから、一年間もあのあやかしのお屋敷で過ごさなくてはいけなかったのですね」
「そうだ。――さあ、これからお前が住む家がここだ。これから私の世話をよろしく頼む」
「はい、よろしくお願いいたします。――あの、ここには他にどなたかはいらっしゃらないのでしょうか?」
羽月は周りをきょろきょろと見渡した。前の屋敷はあやかしたちがたくさんいてにぎやかだったが、ここはとても静かな場所だった。
「ああ、ここには私とお前しかいない」
「ええっ? そうなのですか?」
まさか龍神と二人きりになってしまうとは。しかも自分は龍神と離婚している。神様とはいえ、結婚していない男性と二人きりとは。羽月は顔を赤くしたが、龍神は微笑んだ。
「大丈夫だ、心配しなくていい。私は一応神だから、もう離婚した人間に手を出すことはない。ただお前の髪が黒く戻るまでここにいて、私の世話をしてもらえればいいんだ」
「でも、龍神様、私と離婚したのはいいですが、次の花嫁はお探しになるのでしょうか?」
羽月はずっと気になっていたことを聞いてみた。龍神と自分は離婚したが、龍神は次の花嫁を娶りはしないのだろうか。
「それはお前がここからいなくなったら考えよう。まずはお前を人間の世界へ無事に帰すことが先だ」
龍神と羽月、離婚してしまった二人の奇妙といえる同居生活が始まった。
龍神の屋敷は今までいたあやかしの屋敷よりは小さいとはいえ、人間の世界の村に住んでいた時の羽月の家よりも大きかった。龍神は屋敷の奥の部屋を羽月の部屋に宛がってくれた。
「龍神様のお世話と言うと、何をすればよろしいのでしょうか?」
羽月が恐る恐る聞くと、龍神は答えた。
「それこそ花嫁のようなことをしてくれればいい。私は龍神の仕事をするから、食事を作って屋敷の掃除をしてもらえればありがたい。あやかしからお前の料理は美味しいと聞いているから、とても楽しみだ」
「まあ、そんな……」
羽月は恥ずかしくなり顔を赤くして俯いた。しかし、龍神が偽の花嫁と気づいても優しく接してくれて「人間の世界へ帰してやる」と言った言葉を思い出した。
あやかしだけでなく龍神にも良くしてもらった。この恩はちゃんと返さなくてはいけない。羽月は顔を上げた。
「あやかしの皆さまがおっしゃるほど美味しいとは言い切れませんが……、龍神様が喜ばれるように頑張ってお料理をお作りします!」
羽月が気ごちない笑顔を浮かべながら言うと、龍神は嬉しそうに頷いた。
「ああ、楽しみにしている」
羽月は龍神から宛がってもらった部屋で寝起きをしながら、精いっぱい龍神の世話をした。
龍神は羽月の料理をとても喜び「旨い」と言いながら、美味しそうに食べてくれる。屋敷を掃除すると、「お前がきれいに掃除してくれるから、快適に過ごせて助かる」とお礼を言ってくれる。羽月は離婚したとはいえ、旦那様ともいえる立場の龍神がここまで自分に優しい言葉をかけてくれるのが嬉しかった。
羽月のいた天本家では使用人が何か世話を焼くのが当たり前で、父親も義母も義妹の陽菜も使用人にお礼を言うことなんてなかった。もちろん自分が何かしても家族から何かお礼を言われることはなかったし、それが当然だと思っていた。
通いの結婚している使用人も「旦那は本当に何もしない。私も働いているのに、ご飯を作っても当たり前のような顔をしている」とため息を吐いているのを見て、それが当たり前なのだろうと思っていた。
しかし、龍神は違った。神様だと言うのに、それこそ人間に併せ持っているような「善意の心」を持っていた。羽月は龍神にお礼を言われたり喜ばれたりするのがうれしくて、ますます精を出して龍神の身の回りの世話を熱心にするようになった。
龍神はお礼をいうだけでなく、事あるごとに羽月にきれいな着物や小物や本を贈ってくれた。
「まあ、龍神様、私は龍神様の本当の花嫁ではないのです。こんなに高価なものをいただくわけには……」
羽月は遠慮したが、龍神は「ぜひ受け取ってほしい」と言った。
「確かにお前と私は離婚した間柄だ。でも私はお前がここに来てからとても助かっている。そのほんのお礼だからぜひ受け取ってほしい」
そう言われ、羽月はお礼をいって龍神の贈り物を受け取った。羽月の部屋はそんな龍神の贈り物が段々と増えて行った。
羽月は一日の自分の仕事を終えて部屋に戻ると、時々龍神からの贈り物を眺めてはうれしい気持ちになり、反対に淋しい気持ちにもなった。
(――この生活も一年だけの限定なのだ)
羽月はそっと部屋の鏡を見た。自分の髪は相変わらず銀色だ。髪の間をかき分けてみても、黒い髪が一本も見つからない。しかし、やがて龍神の言った通り、この銀色の髪が黒く戻り始めて、すっかりすべてが黒くなった時、自分は龍神の屋敷から立ち去って人間の世界へ戻らなくてはいけないのだ。
(――私が人間の世界へ戻ったら、龍神様はまた別の花嫁を娶るのだろうか)
そんなの当たり前だろう。龍神には花嫁が必要なのだ。しかし、そのことを考えると羽月は胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちになるのだった。
(――できれば、このままずっと龍神様の近くにいたい)
あの時、どうして龍神の花嫁に選ばれたのが陽菜だったのだろうか。もし私が本当の花嫁だったら、あやかしや龍神に囲まれて花嫁としてずっと暮らしていけたのに。
やはり自分は薄命の運命なのだ、生まれた時から呪われた運命なのだ。羽月は大きなため息をついた。
翌日、羽月が龍神の屋敷へと行く時、今まで世話をしてくれたあやかしたちは嬉しそうな表情をしながらも羽月との別れを惜しんで涙を流してくれた。
「花嫁様、とうとう龍神様の元へ……。嬉しいですが、淋しくなります」
「そんなに悲しむな。花嫁は時々こちらへ顔を出すようにする。その時はまた花嫁の世話を頼む」
「もちろんです! 龍神様、どうぞ花嫁様をよろしく頼みます」
「今までありがとうございました、ここでの日々、とても楽しかったです」
羽月が言うと、あやかしたちは再び涙を流した。羽月も涙を流した。
龍神と羽月はあやかしと一緒に屋敷の庭にある大きな池へと来た。羽月はなぜ池に来たのだろうかと不思議だったが、龍神は「では、みなのもの、また」と言って池の中へと入っていく。
「龍神様!」
羽月は慌てて龍神に声を掛けたが、あやかしの女性が羽月の手を取って龍神と同じように池に入るようにと促した。
「花嫁様、この池は龍神様のお屋敷に通じているのです。どうぞ心配なさらすに、この池にお入りください」
「そうなのですね……。わかりました、みなさま、ありがとうございました。また会いに来ます」
「花嫁様、お元気で!」
羽月はあやかしたちに見送られながら、目を閉じて池の中へと入って行った……。
池に入ったというのに、水の冷たさを感じなければ服が濡れた感じもしない。その代わりに何か温かいものに包まれているような感覚がある。
「もう目を開けてもいいぞ」
龍神の言葉を聞いて、羽月は瞼を開けた。
「まあ、ここは……!」
羽月の目の前に小さいが何とも品のいい屋敷が建っていた。隣にはさっき自分が入った池がある。自分はどうやら池を通ってこの場所へたどり着いたらしい。
「ここが私の住んでいるところだ。あやかしの屋敷がある場所や人間の世界とはまったく違う場所だ」
「神様の住む場所、なのでしょうか?」
「まあ、そういえばそういうことになるな」
「では、私は死んでしまったのでしょうか?」
羽月が真顔で聞くと、龍神は優しそうな表情のまま首を横に振った。
「神の住む場所が人間にとっての死者が行く場所とは限らない。もちろんここは人間の世界とは違う場所ではあるが……。気分はどうだ?」
「いえ、何ともありません。ただ何となく体が温かくとても心地よいような感じがします」
羽月はさっきから身体の温かさを感じていた。何といえばいいのか、さっきまでいた場所よりも体がすっきりとして心地が良いような気持ちがする。
「それは良かった。この世界は人間が入ると、身体に不調を感じてしまうこともあるのだ。ただお前の髪はすっかり銀色になっているし、ここに来ても大丈夫だったようだ」
「だから、一年間もあのあやかしのお屋敷で過ごさなくてはいけなかったのですね」
「そうだ。――さあ、これからお前が住む家がここだ。これから私の世話をよろしく頼む」
「はい、よろしくお願いいたします。――あの、ここには他にどなたかはいらっしゃらないのでしょうか?」
羽月は周りをきょろきょろと見渡した。前の屋敷はあやかしたちがたくさんいてにぎやかだったが、ここはとても静かな場所だった。
「ああ、ここには私とお前しかいない」
「ええっ? そうなのですか?」
まさか龍神と二人きりになってしまうとは。しかも自分は龍神と離婚している。神様とはいえ、結婚していない男性と二人きりとは。羽月は顔を赤くしたが、龍神は微笑んだ。
「大丈夫だ、心配しなくていい。私は一応神だから、もう離婚した人間に手を出すことはない。ただお前の髪が黒く戻るまでここにいて、私の世話をしてもらえればいいんだ」
「でも、龍神様、私と離婚したのはいいですが、次の花嫁はお探しになるのでしょうか?」
羽月はずっと気になっていたことを聞いてみた。龍神と自分は離婚したが、龍神は次の花嫁を娶りはしないのだろうか。
「それはお前がここからいなくなったら考えよう。まずはお前を人間の世界へ無事に帰すことが先だ」
龍神と羽月、離婚してしまった二人の奇妙といえる同居生活が始まった。
龍神の屋敷は今までいたあやかしの屋敷よりは小さいとはいえ、人間の世界の村に住んでいた時の羽月の家よりも大きかった。龍神は屋敷の奥の部屋を羽月の部屋に宛がってくれた。
「龍神様のお世話と言うと、何をすればよろしいのでしょうか?」
羽月が恐る恐る聞くと、龍神は答えた。
「それこそ花嫁のようなことをしてくれればいい。私は龍神の仕事をするから、食事を作って屋敷の掃除をしてもらえればありがたい。あやかしからお前の料理は美味しいと聞いているから、とても楽しみだ」
「まあ、そんな……」
羽月は恥ずかしくなり顔を赤くして俯いた。しかし、龍神が偽の花嫁と気づいても優しく接してくれて「人間の世界へ帰してやる」と言った言葉を思い出した。
あやかしだけでなく龍神にも良くしてもらった。この恩はちゃんと返さなくてはいけない。羽月は顔を上げた。
「あやかしの皆さまがおっしゃるほど美味しいとは言い切れませんが……、龍神様が喜ばれるように頑張ってお料理をお作りします!」
羽月が気ごちない笑顔を浮かべながら言うと、龍神は嬉しそうに頷いた。
「ああ、楽しみにしている」
羽月は龍神から宛がってもらった部屋で寝起きをしながら、精いっぱい龍神の世話をした。
龍神は羽月の料理をとても喜び「旨い」と言いながら、美味しそうに食べてくれる。屋敷を掃除すると、「お前がきれいに掃除してくれるから、快適に過ごせて助かる」とお礼を言ってくれる。羽月は離婚したとはいえ、旦那様ともいえる立場の龍神がここまで自分に優しい言葉をかけてくれるのが嬉しかった。
羽月のいた天本家では使用人が何か世話を焼くのが当たり前で、父親も義母も義妹の陽菜も使用人にお礼を言うことなんてなかった。もちろん自分が何かしても家族から何かお礼を言われることはなかったし、それが当然だと思っていた。
通いの結婚している使用人も「旦那は本当に何もしない。私も働いているのに、ご飯を作っても当たり前のような顔をしている」とため息を吐いているのを見て、それが当たり前なのだろうと思っていた。
しかし、龍神は違った。神様だと言うのに、それこそ人間に併せ持っているような「善意の心」を持っていた。羽月は龍神にお礼を言われたり喜ばれたりするのがうれしくて、ますます精を出して龍神の身の回りの世話を熱心にするようになった。
龍神はお礼をいうだけでなく、事あるごとに羽月にきれいな着物や小物や本を贈ってくれた。
「まあ、龍神様、私は龍神様の本当の花嫁ではないのです。こんなに高価なものをいただくわけには……」
羽月は遠慮したが、龍神は「ぜひ受け取ってほしい」と言った。
「確かにお前と私は離婚した間柄だ。でも私はお前がここに来てからとても助かっている。そのほんのお礼だからぜひ受け取ってほしい」
そう言われ、羽月はお礼をいって龍神の贈り物を受け取った。羽月の部屋はそんな龍神の贈り物が段々と増えて行った。
羽月は一日の自分の仕事を終えて部屋に戻ると、時々龍神からの贈り物を眺めてはうれしい気持ちになり、反対に淋しい気持ちにもなった。
(――この生活も一年だけの限定なのだ)
羽月はそっと部屋の鏡を見た。自分の髪は相変わらず銀色だ。髪の間をかき分けてみても、黒い髪が一本も見つからない。しかし、やがて龍神の言った通り、この銀色の髪が黒く戻り始めて、すっかりすべてが黒くなった時、自分は龍神の屋敷から立ち去って人間の世界へ戻らなくてはいけないのだ。
(――私が人間の世界へ戻ったら、龍神様はまた別の花嫁を娶るのだろうか)
そんなの当たり前だろう。龍神には花嫁が必要なのだ。しかし、そのことを考えると羽月は胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちになるのだった。
(――できれば、このままずっと龍神様の近くにいたい)
あの時、どうして龍神の花嫁に選ばれたのが陽菜だったのだろうか。もし私が本当の花嫁だったら、あやかしや龍神に囲まれて花嫁としてずっと暮らしていけたのに。
やはり自分は薄命の運命なのだ、生まれた時から呪われた運命なのだ。羽月は大きなため息をついた。