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 村人に「川が氾濫したのは偽の花嫁を龍神に差し出したからだ!」と言われた翌日。
 陽菜は村はずれの川原に立ちながら怒りで顔を赤くしていた。この川はこの間の大雨で氾濫して危険だし、普段の陽菜ならこんな淋しい場所に来ることはない。

 今日は村人が楽しみにしている商人が来る日だった。もちろん陽菜も商人のところに買い物へ行こうとしたのだが、村人たちが陽菜を白い目で見てひそひそ話をしているのを感じ、逃げるようにこの川原まで来たのだった。
(――何よ! あの人たち)
 あの人たちだって、もし自分が龍神の花嫁に選ばれたら、嫌がるのに。たまたま自分が義姉を花嫁として差し出しただけで、あんな目で見て来るなんて許せない……。
(――本当に許せない!)
 しかし、村人に自分が花嫁なのに嫁がなかったことを知られてしまった。この村には住みにくくなってしまった。

(――あーあ、この村を出たい)
 陽菜も最初は婿を迎えて天本家を継ぐつもりだったが、こうなってしまっては村を出て行きたい。東京か大阪の都会の華族の嫡男との縁談がまとまらないだろうか。天本家なんて、誰かにくれてやってもいい……。

 陽菜がそんなことを考えながらぼんやりしていると、誰かの話す声が聞こえてきた。
(――嫌だわ、せっかく一人で静かに過ごしていたのに)
 ここから出ていけ! とでも言ってやろうかしら。陽菜はそう思いながら話し声のする方を見た。
「あっ」
 思わず声を上げてしまう。そこにいたのは一瞬で心が奪われてしまうかのように美しい銀の髪の長身の男性と、同じように銀の髪をした女性だった。
(――あの女性、お姉様じゃない!)
 お姉様は龍神に嫁いだのではなかったの? どうしてあんな銀の髪をして、立派な着物まで着て幸せそうな笑みを浮かべているのかしら? それに、隣にいる男性は誰?
 陽菜は思わず近くの木の陰に隠れて、羽月と男性の話に聞き耳を立てた。

「それにしても、可愛らしい猫だな」
 男性が羽月が抱きしめている猫を撫でながら言う。あの猫は昨日陽菜が屋敷から追い出した白猫だった。
「ええ、この猫、私の唯一のお友だちだったんです」
「そうか。良ければ私の屋敷に一緒に連れて行くか?」
「まあ、龍神様、良いのですか?」
 羽月の言った「龍神」という言葉に陽菜は目を見開いた。
(――まさか、あの美しい男性は龍神なの?)
 龍神は猿や野犬のように卑しい存在ではないのだろうか。陽菜は改めて男性を見た。しかし、確かに男性の美しさは人並み外れている。うかつに近寄れないような雰囲気も漂わせている。

「ああ、かまわない。その猫もお前と一緒にいるのが嬉しそうだ」
「ありがとうございます!」
「では、そろそろ屋敷に帰ろうか」
「ええ」
 男性は猫を抱いた羽月の手を取るとそのまま歩き始めた。そして、その場から煙か何かのように消えてしまったのだった。
(――えっ?)
 陽菜は思わず木の陰から走り出て、辺りを見渡した。さっきまで確かにあの美しい男性と羽月と猫がいたのに、今はどこにもいない。ただ川のせせらぎの音が流れているだけだ。普通の人間が突然煙のように消えるなんて、あり得ない。

(――ということは、やはりあの男性は龍神なの!?)
 陽菜は足元の石を拾い上げると思いっきり川の方へと投げた。陽菜の顔は再び怒りに満ちて真っ赤になっていた。
「――お姉様、許さない!」
 本当なら、私が龍神の花嫁になるはずだったのに。偽物の癖にちゃっかり龍神の花嫁の座に居座るなんて。しかもあんな美しい龍神の花嫁がお姉様なんて、許せない。
「龍神の本当の花嫁は私なんだから!」

 陽菜は怒りの表情をしながら天本家へと帰って行った。陽菜の姿を見た村人がひそひそ話を始めたが、陽菜はもう気にしていなかった。
「お父様、お母様!」
 血相を変えて家に飛び込むように帰ってきた愛娘を見ると、父親と母親は驚いた。
「どうしたんだ? 陽菜」
「まあ、どうしたの? まるで化け物でも見たかのような顔じゃない。村人にいやがらせでもされたの?」
「私、龍神様とお姉様を見たんです!」
「えっ?」

 陽菜は川原で見かけた美しい男性と羽月の話をした。羽月は立派な着物を着て、幸せそうに微笑んでいた。二人の距離はまるで夫婦のように近く、そして最後には煙のように陽菜の目の前から消えてしまった。
「まあ、それでは龍神が猿や野犬のように卑しいと言うのは、ただの噂だったの?」
 陽菜の母親が悔しそうに言う。
「ええ、お姉様、きれいな着物を着て嬉しそうに笑って……。私たちがこんなみじめな目に合っているのに許せない。ねえ、お父様、お母様、私、やっぱり龍神の元に嫁ごうと思うの」
「えっ? 何を言っているんだ?」
 父親が驚いた声を上げたが、陽菜は平然とした表情をしている。

「だって、私が龍神の本当の花嫁ではないですか。偽物のお姉様が龍神の花嫁になって、幸せそうな顔をしているのが許せないんです。それに私が本当に龍神に嫁げば、あの嫌な村人たちも納得するのではなくて?」
「でも、陽菜、お母様、陽菜と離れ離れになるのが淋しいわ」
 母親はそう言ったが、陽菜はにっこりと微笑んで母親の手を取る。
「お母様、お姉様はあの川原へ龍神といらしていたのよ。お姉様が来ることができるなら、私も龍神に嫁いだとしてもここへ来ることができるはずです。確かに一緒に暮らすのは難しいかもしれませんが、帰りたいときに帰られるように龍神様にお願いしますから大丈夫です!」
「まあ! そうね。――そうと決まれば、あなた、早速龍神への輿入れの準備をしましょう!」
「いや、お前、だって……」
 父親は戸惑っているが、陽菜と母親は「打掛はあれがいい」「輿入れする駕篭はこれがいい」と話を進め始めた。