物憂げで、どこか曇り空のような市。空は雲ひとつない晴天だというのに、この辺りは喪に服したように暗い。そんな決して広くはない道の左右に店が軒を連ね、その道を行商人やら買い物客が歩くものだから、市は人でごった返していた。しかし、ここまで混み合っているのを、呉羽は見たことがなかった。いつもはもっと人が少なくて、気の毒になる程だったのに。
 ——今日はいつもよりも賑やかね。
 何かあるのだろうか。呉羽は人混みのなかを、菓子を抱え、慎重に進む。今日は椿餅(つばきもち)を作ってきた。椿餅は、餅粉を、甘葛(あまづら)の汁で練って団子のようにし、椿の葉で包んだ餅菓子だ。ちょうどいまぐらいの時期から出始める、冬の菓子である。呉羽は今日も、宣伝する。
「椿餅ですよーっ! 美味しい椿餅はいかがですかーっ!」呉羽の澄み切った水のような声は、人混みの中でもよく響く。その声を聞いて、市の人々は物珍しそうに呉羽の方を見る。
「お嬢ちゃん。そんなに必死になってその椿餅ってやつを売って、なんになるんだい?」
 後ろから話しかけられて、呉羽ははっとそちらを振り返る。話しかけてきたのは、行商人の男だった。膝まであるであろう髪を高く結い上げている。手に持っている籠には、野菜の葉が見える。どうやら野菜を売っているらしい。その目はどこかうつろで、生気がない。博士と同じ、『永夜の民』の特徴だ。
「えっと……ほ、ほら! 椿餅って、この時期しか食べられないお菓子でしょう? 『永夜の民』は往々(おうおう)にして時間に頓着がないし、こうやって季節の物を食べれば、じ、時間を忘れずに済むのかなー……なんて」
 呉羽が『有夜の民』であることは、誰にも知られてはいけない。その前提を踏まえると、呉羽の誤魔化し方というのは、壊滅的な下手さを誇っていた。しかし、行商人はそこには触れずに、「変わりもんだな、お嬢ちゃん」と言って流した。
 ある意味、物事に深い関心を示しにくい『永夜の民』だからこそ誤魔化せたのだ。
「でもなお嬢ちゃん、そんなものひとつも売れやしないさ」行商人の男は言った。ふたりを見ていた他の『永夜の民』は、とりわけ呉羽に蔑むような視線を向けていた。
 それに気づいた呉羽は、みぞおちのあたりが冷えていくのを感じた。
「まだ〝不完全〟なお嬢ちゃんには分からないかもしれないが、俺たち『永遠の民』はそんなものに興味はないんだ。まあ、たまに興味を持つ変わりもんもいるが、そんなやつ、この都にはひと握りもいない」
 悪いことは言わねえ、あきらめろ。そう言われてしまえば、呉羽は何も言い返せず、うつむくことしかできない。
「……じゃあ、おじさんは?」呉羽はしぼりだすように、それだけ()いた。「おじさんはなんで野菜なんて売ってるの? 売ったって、誰も買ってくれないでしょう?」
「そりゃそうだ、誰も買ってくれはしない。だがな、これだけは譲れない。これは『月の女神』が決めた決まり事だからな。俺たちみたいな『永夜の民』でも、こうやって人間のまねごとをして生きていかないといけないっていうな」
 ——月の女神。
 そこで、つと思い出した。
 ——そうだ。『永夜の民』は、みんな『月の女神』を信仰しているんだったわ。
 ちなみに呉羽はというと、育ての親である博士の信仰心が皆無に等しいので、信仰心どころか、知識もほとんどなかった。
 ただ、『月の民』の魂の巡りを管理する神である事と、長く美しい髪を好むのは知っている。だからこそ、信心深い人たちは、男女関係なく髪を伸ばす。『月の女神』に使える巫女や祭祀官(さいしかん)は——実際に見たことはないが——皆、地面につくほど長い髪を持っている。逆に、短い髪を女神は(いと)う。だから、死罪になる人間は、短く髪を切られる。魂の循環を司る『月の女神』に厭われるように。今後一切、生まれ変わらぬようにと。
「……そ、そうよね」呉羽は曖昧に返す。行商人の男を見る限り、きっと、むかしから『月の女神』に対する信仰心が(あつ)いのだろう。下手に刺激しない方がいい。「じゃあ、なおさら意味が分からないわ。わたしもその言いつけを守ってるだけなのに……」
「必死こいてするなってことさ。『月の女神』もそこまでは望んでないさ。この都では、その戒律を遵守しすぎると、逆に変にみられるからな。俺はかまわねえが、あんたは違うだろ?」
 そう言うと、行商人の男は去っていった。それと同時に、ひそひそと話す声が聞こえてきた。
「……変な奴だ。あんなに必死に『有夜の民』の真似事をするだなんて。あれじゃあまるで、本当に『有夜の民』みたいじゃないか」
「ああ、やだやだ。あんなやつら、とっとといなくなればいいのに」
「本当よね。アタシたちの目の前に現れたらと思うと……ああ、ぞっとする」
「んだんだ。おいらたちを散々苦しめた、呪われた民だ」
「都の外には、『有夜の民』がわんさかいるんだろう?」
「この世界は、『永夜の民』だけでいい」
「あんなやつら、とっとと消えてしまえばいいのに」
「……」人々の喧騒が、遠く感じる。周りには人がたくさんいるのに、呉羽は暗闇にひとり取り残されたような気分になった。
 この市に来ると、いつもこんな言葉を投げかけられる。明らかに、自分を(さげす)むような声だ。まるで、「この世界に、お前の居場所なんてない」と言われているような気がした。
 ——どうしてわたしは……『有夜の民』は、こんなにも蔑まれるんだろう。
 生きる時が違うだけで、他は何も変わらない。何も知らなければ、『永夜の民』も『有夜の民』も、変わらないはずなのだ。
なのになぜ……。
 呉羽は唇を引き結んで、その場に立ち尽くす。
 今朝食べた椿餅の味を思い出しながら