秀一さんは「黒猫」を出ると、日本橋方面へと歩き始めた。

 座っていたので気が付かなかったが、秀一さんは背が高く、歩幅が大きかった。
 私はほとんど早足になりながら秀一さんの後を追った。

 少し頼めば秀一さんは速度を緩めてくれたかもしれないが、私は彼の隣に並びたくなかった。

 パナマ帽と毛皮のついた外套がよく似合っている秀一さんに対して、地味な柄の着物に羽織とショールを合わせただけの自分がひどく不釣り合いに思えたからだ。

 「ハネムーンという言葉を知っているかい」

 後ろ姿に見惚れていると、前を歩く秀一さんが問いかけてきた。

 ハネムーン……。
 聞いたことがなかった。

 私が知らないと答えると、「新婚旅行のことさ」と秀一さんは教えてくれた。
 しかし、残念ながらその言葉にも馴染みがなかった。

 「少しずつ日本でも浸透しているようだけど、外国では結婚した男女は旅行をするんだよ」

 「そうなんですか。何のために……」

 私が首を傾げると、秀一さんもよくわかっていないようで「実は僕もそこまで詳しくないんだけど……」と頭をかいた。

 「まあ、文化というか、儀式というか……。結婚式と同じようなものかな」

 「はあ……」
 
 「僕はこのハネムーンに憧れがあってね。いつか結婚をしたら体験したいと思っていたんだ。もっとも、嫁入り前の娘さんを遠方へ連れ出すわけにはいかないから、ここは『銀ブラ』と洒落込もうじゃないか」

 外国の文化に疎い私には、秀一さんの話が嘘か本当かはわからなかったが、どちらにしてもハネムーンが私の知りたいことに繋がるとも思えない。

 「あの」

 痺れを切らした私が本題に入ろうとすると、秀一さんは「本当に、少しだけでいいんだ」と、寂しそうに言った。

 その横顔を見て、私は何も言えなくなってしまった。