あれから、三日後ーー……。
日を追うごとに私の心の中には不平不満が募っていた……。
私の人生……返して……。
私の思うように生きさせて……
もう、叶わぬことは分かっているのに……その思いは増すばかりで……。

ーー……本当の夫婦(めおと)としての契りを交わし、何があっても妻として迎えた巫女の寿命が尽きるまで生涯を共に生きなければならぬーー
ーー楓花よ…()と共に生きよ……ーー
ーー愛しておる…楓花…ーー

頭の中に蘇る風龍様の言葉……。
……本当の夫婦(めおと)になれるのかな……。
ううん……掟通り…本当の|《めおと》にならなきゃいけない。
だって、この国が……下界が天災に見舞われてしまう……。
だけど……。

チラッ……。
私は左薬指に結ばれた細い紐を見つめた……。
これが……深紅色になるなんて……到底信じられない……。
左薬指に結ばれて紐は中界に端を踏み入れた瞬間に自然と左薬指に結ばれた。
どんなに解こうとしても解けない……。
この紐はただの紐ではなくて……古より風龍様のヒゲと風龍様の下へと嫁いだ巫女の髪の毛を使い、一本の紐として編まれ、この紐が十七年間夫婦(めおと)として契りを交わした証となっている。
だから、十七年後、巫女としてのお役目を終え、中界から出た瞬間に左薬指に結ばれていた紐は消えてしまう……。
紐は風龍様が人形になっている時の髪の毛の色と巫女の漆黒の髪の毛で編まれているから干渉縞(かんしょうじま)になっていて規則正しく並んでいる模様は美しいけど、何とも渋い紐だ。
この紐が風龍様と私が少しずつ|《めおと》としての関係を築いていけば、やがて……紐は綺麗な深紅色に染まって、本当の夫婦(めおと)になったことを示すらしい……。
今のところ……なんの変哲のないただの干渉縞(かんしょうじま)の紐……。
風龍様とは何の進展もないから当たり前といえば……当たり前なんだけど
……。
「はぁ……」
天蓋つきの大きな寝台に見を投げ出して私は何度目になるか分からないため息をついたーー……。

コンコン……。
不意に扉を叩く音が部屋に響いた……。
……な、に……?
この三日……この部屋を訪れる者は誰もいなかった……。
食事は何処からともなく、風龍様が手をかざすと出てきて中央の円卓に並ぶ。
食後に食器を片付けることもなくて、また何処からともなく消えてゆく……。
お茶やお菓子もそんな感じで風龍様がちょこちょこ出してくれるから困ることはない。
中界にいた頃は……数人とはいえ、侍女がいて、話し相手にもなってくれてたけど……そういう者は一切いないよう……。
私はのっそりと寝台から起き上がって扉へと向かった……。

キィィ……。
「ーーっ⁉」
ゆっくりと扉を開けた瞬間……廊下にいたであろう人物が素早く部屋の中へと押し入り、後手で器用に扉を閉め、もう一方の手に持っていた扇子を使って、私の顎をくいっ……と、持ち上げた……。
「へぇーーこれがあの(・・)巫女殿か……」
ずいっ……と、顔を寄せて、じーっと私の顔を見つめる……。
……風龍……様……?
……に、とてもよく似ている風貌……。
私の目の前にいる人物(・・)……と、言っていいのかな……?
その人物もやっぱり風龍様同様、人間離れしている程の白く透き通った肌に透明でキラキラと光沢のある長い髪の毛。
透明と思いきや……光の加減によってやや水色っぽく見える二重の瞳。
形の整った眉毛にすーっと鼻筋の通った鼻、薄い紅色の唇。
着ている衣服は風龍様よりも淡い青系の龍袍(りゅうほう)
こちらも襟元と袖口は漆黒で、やや黄色に近い色の糸を使い、細かな龍の文様が施されていた。
「…だ…だれ?」
突然、部屋の中へと押し入ってきて、私の顎を扇子で持ち上げてまるで品定めをするかのように扱う行為に少し腹が立っていたから、キッ……とら睨みつけた。
「おぉ……こわっ。話に聞いた通り……物怖じしない巫女殿だ」
ニッ……と、口元を緩めて、ゆっくりと扇子を私の顎から離した……。
「我は風龍の弟。龍は名前を持たぬ故……そなたの好きなように呼んでくれて構わぬ」
「ーーっ⁉」
えっ……。
……弟がいるなんて……聞いてない……。
そもそもその上界に風龍様以外にどんな龍神様がいるのかさえ、聞かされていなかったから、すごく驚いてしまった……。
「……お、と……う……と……?」
「さよう。兄上が言っていた通り……何とも面白そうな巫女殿だ。兄上が興味を持ったというのも頷ける」
一人納得したように弟御様(おとうとごさま)は首をコクコクと上下に動かした。
「なぁ……そなた、我の妻にならぬか?」
「ーーっ⁉」
「ならぬっ!」
絶句していると……どこからともなく風龍様が現れて、私を力強く抱きしめた。
まるで弟御様(おとうとごさま)から私を守るように……。
「断じてならぬっ‼」
「やだな〜。冗談ですよ、冗談。そんなこと(はな)から無理なことは十分にご存知のはずでしょう」
「……あぁ。お前こそ知っているのなら、そのようなこと軽々しく口にするでないっ!」
「申し訳ありません。兄上が心の底から愛しておられる巫女殿がとても可愛くてつい……」
「ーーっ……」
あっ、赤くなった。
弟御様(おとうとごさま)の言葉にほんの一瞬だけど、風龍様が頬を赤らめた姿を私は見逃さなかった。
龍神様もテレたりするんだ……と、またも親近感が湧くと共に……
風龍様がテレてる姿見るのは初めてかも……。
なんか、新鮮……。
ちょっぴり嬉しい気持ちにもなって……口許が自然と緩んでしまっていた……。
どうして……?
自分がこんな感情を抱いてしまったのか……全くもって意味が分からなかった……。
「コホンッ……」
私を抱きしめている腕をゆっくりと離して、少し距離を取ると風龍様は小さく咳払いをして、弟御様(おとうとごさま)に尋ねた。
「ーーして、何故此処に?」
「兄上が本当の夫婦(めおと)になるべく迎えた巫女殿の姿をこの目で一度見てみたくて……それに一度たりとて、(わたくし)人間(・・)という生物を見たことがなく、どういう生物が気になってもいましたので……」
「ほぅ……」
「こうして間近に見れるとは……」
「さようか……。()が不在の時にわざわざ此処を訪れることはなかったであろう?」
「そうですね。(わたくし)が巫女殿にお会いしたい……と、申し出たら……兄上はすんなりと巫女殿を(わたくし)に会わせて下さいましたか?」
「……それはどういう意味だ?」
「わざわざ一人の人間の巫女殿に対してこのような建物を造られるとは……相当気に入っていらっしゃるというもの。そう簡単には会わせてもらえぬと思っても仕方がないと(わたくし)は思ったのですが……」
「……母上が承諾せぬ故。本来ならば……龍神が住まう屋敷で共に暮らすのだが……」
「それは龍同士(・・・)のみの場合……人間の巫女を娶った場合は龍が住まう屋敷の離れにもう一つ屋敷を造りますが……こんなにも上界の端に屋敷を造るのはかなり特殊なこと……。まぁ……母上が人間を忌み嫌っておられる……と、いうが一番の大きな要因ではありますけどね……」
ドクン……。
弟御様(おとうとごさま)の言葉に鼓動が大きく打ちつけた……。
……そうなの……?
……私……風龍様の母親……つまり、お義母様に嫌われているんだ……。
直接、本人から面と向かって言われた言葉ではないけれど……『嫌っている』と、いうその言葉の破壊力は他の人(龍神様)の口から紡がれた言葉だとしても心が傷ついたことには変わりなかった……。
「これっ‼」
風龍様の叱咤する声が飛ぶも……私の傷ついた心は治ることはなくて……。
「もう用は済んだであろう。さっさと屋敷へと帰れ‼ 二度とここへは来るなっ‼」
「分かりました。それでは……兄上、巫女殿失礼致します」
深々と(こうべ)を垂れて、弟御様(おとうとごさま)は挨拶をするとすんなりと帰っていったーー……。

「……やれやれ……」
小さく息を吐いて、ゆっくりと風龍様が私の方へと向いた……。
申し訳ない表情(かお)をして、ボソッ……と、呟くように言った……。
「いろいろすまなかったな……」
私は言葉なく、首を左右に振った。
「あやつの振る舞いは全く困ったものだ……」
「……弟御様(おとうとごさま)がいるんだね。あと、他の家族も……」
「あぁ……前もって伝えてなくてすまぬ。まさか、わざわざあやつが此処に来るとは思ってなくてな……」
「……それは……私が人間だから……?」
「……っ……」
「ハッキリ言ってくれて構わないよ。それにさっき……少しばかり話……聞いちゃったし……」
「……楓花……」
「ちゃんと教えてほしい……。本当の夫婦(めおと)になるっていうのなら……尚更……」
「……っ……」
少しの沈黙の後……。
風龍様はゆっくりと言葉を口にした……。
「前にも話をしたと思うが……この国では巫女を妻に娶るということが極めて稀であり、なおかつ、母上は一度も人間を見たことがないのだ。簾越しではあるが人間を見ることが出来るのは『風龍』になった龍のみ。人間を知らぬ故……得体のしれぬ人間(もの)を恐れて忌み嫌っているのだ……」
……そういうことだったんだ……。
()ではなくて……人間そのもの(・・・・・・)がよく分からなくて、嫌ってるんだね……。
「嫌な思いをさせてしまって……すまぬな……」
「ううん、大丈夫だよ。きちんと理由をしれて良かった……。話しにくいことを話してくれて……ありがとう」
風龍様がきちんと話してくれたことで傷ついた心がほんの少しだけ和らいだのは確かなこと……感謝しなきゃね。
私はニコッ……と、微笑んだ。
「……楓花……」
風龍様は少し躊躇った後……私をそっと、抱き寄せた。
もー何かしらすぐに抱きしめるんだから……。
風龍様には困ったもの……って、風龍様に抱きしめられる度に思っていたけれど……今は違った……。
とくんっ……。
風龍様の体調(ぬくもり)がとても心地よく感じたんだーー……。