「ですが、日和様。日和様には……」
「…………」

 日和は目を伏せ――自らのお腹へと手を触れた。陽織の話したいことはよく分かっている。分からないはずがない。自らに宿ることなのだから。

「……大丈夫です。大丈夫。だからこそ、わたしは生きなければなりません」

 日和は顔を上げ、凛と声を発した。当主として家の者を守り、大小母様の恩を守り――そして、自らに宿った命を守るため、信念を言霊に託し誓う。

「必ず無事に帰ります」

 その姿と声に――

「…………」

 陽織は何もいえなかった。もう何もいえない。これ以上何かをいうことは主の意に反することであり、信念を疑うことだ。仕える者としてそれは決してしてはならないことだった。

「……日和様、御無事で」

 握り締めた拳で、震えた声で、ただその一言だけを搾り出す。
 憤りと悔しさと、我が身の不甲斐なさと悲しさを噛み殺し、ただ祈りだけを込め。

「ありがとう。行って来ます」

 にこと微笑み、ふわりと袖を揺らし髪を靡かせ静かに歩き出す。
 柔らかく、本当に散歩するかのように暖かな陽と涼やかな自然を楽しみつつ――日和は頂上を目指し歩を進めた。