小暑の月、文月。晴天ではあるが日差しはまだそれほど強くなく、山の風は心地良かった。
梅雨も明け、暑くなり始めるこの季節。移ろいゆく自然を感じつつ近づく夏の空気を胸に含み、日和は本当に楽しそうだった。傍から見れば、共人を連れ物見遊山に行かれるどこかのお姫様――と思われているだろう。
唯一、訝しく見えるとすれば、その纏う衣服。一見、袴姿に見える衣は着物に似て少し違っていた。巫女装束に近い術服。もし、詳しいものが見れば、霊山といわれる山へ豊穣の神楽を捧げにいく姫巫女と思うかもしれない。
長く綺麗な黒髪を風に流し、着物の袖を弛ませる姿は本当に自然で穏やかで――決して、辛い現実を、理不尽な使命を背負っているとは見えないだろう。
「ここまでで大丈夫ですよ、陽織」
「しかし……」
山頂までにはまだ距離があるが、振り返り微笑んだ日和の言葉に共をしていた陽織は事前に分かっていたこととはいえ戸惑った声を上げた。
「最初に話したように、わたしが戻って来なければ死んだと思いあなたは帰りなさい。後のことは皆に伝えてある通りです。くれぐれも頼みます」
「日和様……」
言うべきかを迷う。だが、迷っている時間もなければ、迷うべき時でもない。ここを迷えば二度と話すことすらできなくなるかもしれないのだ。
それを分かってなお迷ったのは……伝えても確実に受け入れられないことを知っているからこそだった。伝えたいのは自分の我侭でしかない。
それでもなお、
「逃げましょう」
陽織は言葉を発し、自らの我侭を通した。