『多数決だけはどうにもならぬな』
大小母様はそう話し寂しそうに笑ったという。政治を嫌い不義を許さず、その豪気な性格ゆえお慕いする者も多かったが、それ以上に敵対する者も多かった。
『不徳のいたすところ、などとは自分では思いたくないものだが』
と続けて話し、今度は快活に笑ったというのだが、誰もが不徳などとは思っていないはずだ。自らの意に沿わなくても快活に笑えるほどの器と徳があったために恐れられ敵を作った。
だからだろう。だからこそ、大小母様は早くに隠居の道を選んだ。面倒なのを嫌ったのが一番だが、席を退いても次代の当主に好きにさせなかったのは流石だと思わずにはいられない。しかし、そのことがまた敵を作る要因になったことはいうまでもないが。
それはともあれ、
先ほど「始まりは葬儀の折」とは自身で思ったことだが、考えてみれば大小母様の代替わりから当家の不幸は始まっていたのかもしれない。
次代の第一家当主は何よりも家柄と規律を重んずる人間であった。表に出すことはなかったが、その能力ゆえ牢番を担っていた当家は、まさに第一家当主にとっては席に置くにも穢わらしい存在だったのだろう。そして、その嫌悪は次々代の当主まで受け継がれ、月代十一家全体にも浸透した。年々、目に見えて我が家は廃れていっている。
だが、それでも保ってこれたのは大小母様が居られたからこそ。だからかもしれない……現当主の積もりに積もった不満が、大小母様が亡くなられてから一度に噴出してしまった。