逢魔時に出会う誰そ彼

「ここね…。」
夏休みが終わり、新学期の放課後。朱音はガサリと森の奥を抜けた。キラキラと光る湖。
「最近出来た湖…あやかしに気づくには人間の感情や自然の変化を見ておくのが大切って碧兄が言ってたし…。」
兄のアドバイスを思い出す。
「碧兄もあたしほどじゃないけど、あやかしにすぐ気付けないはずなのに。それでも見つけられるのよね。」
あと、黒岩にも怒られたし。と、過去に白水と共に四方を押し付けあって怒られたことを思い出し、苦虫を噛み潰した顔をする。
「にしても、綺麗…」
湖に近寄り、水を少し掬う。ひんやりとした温度が、まだ暑い夏の中に、自然の涼しさを感じさせる。
『ほぉ…これは。』
声が聞こえ、手に掬った水を放す。パシャリと音がした。振り返るとそこには美しい、男…?
『美しい…まるで弁天様ではないか…。』
男は朱音を見て、そう呟いた。
「あんた、人じゃないわね。」
朱音は相手を睨む。
『そう睨むな。新たな命を見に来たが、来て良かった。…あぁ、本当に美しい。弁天様がわたしと結ばれるために人になって生まれ落ちてきたのだろうか…そなた、我が花嫁に来い。』
気づいたときには距離を詰められていた。するりと頬を撫でられる。温度のない手が相手を人でないと決定づけた。「勝てない。」その一言が頭に浮かぶ。タラリと汗が首筋を流れる。朱音は弾かれたように離れ、その勢いのまま立ち去る。立ち尽くす男。
『…ふむ?恥じらいか?まぁ、また迎えに来るか。』
ふふ、と笑うその顔は美しくも恐ろしいものだった。

次の日の放課後。
「朱音、昨日の報告。」
その日の隠し部屋には五神全員揃っていた。凛さんが放課後に緊急の招集をかけたらしい。凛さんが少し険しい顔をしている。僕は席を外した方がいいか聞いたが、その必要はないと言われた。
「私は軽く聞いたんだけど。他のメンバーにも報告して。」
朱音さんが頷く。席を立った。
「昨日、新しく湖ができたと報告があったから、校舎の裏の森の奥に行ったの。湖に異常はなかったけど、『なにか』がいた。」
「『あやかし』か?」
龍哉くんが聞くと朱音さんの顔が曇った。
「分からない…。」
「分からないってなんだよ。悪意とかさ。お前、それも分かんねーの?」
今度は龍哉くんが眉根を寄せる。
「いや、悪意とかは…分からないけど…。あやかしにしては異様に綺麗というか…美形というか…。」
「人型の『なにか』だったわけだ。」
困ったように話す朱音さんに、白水くんが言った。
「綺麗って…。イケメンだったってわけ?」
「客観的な意見よ!」
龍哉くんがつまらなさそうに言った。朱音さんは、何かを言いづらそうに口をもにゃ、とさせた。その姿に龍哉くんは少し苛立った表情をする。
「何、朱音?イケメンだったから、悪意はなさそうってわけ?」
「ちがっ!」
「龍哉、茶化さないで。」
龍哉くんが言うと、朱音さんがガタリと椅子から乗り出した。凛さんの一言で、2人が一瞬止まる。
「じゃあ、なんだよ。その報告で全部じゃねぇんだろ。モジモジすんのやめろ。報告にならねぇ。」
一瞬止まった龍哉くんが、もう一度つっかかる。
「花嫁に、と言われたそうだよ。」
凛さんが言った。龍哉くんがピクリと反応する。
「…っ!凛!」
朱音さんが凛さんの腕を掴み、ゆすった。
「黙っててもしょうがないでしょ。」
ム、と凛さんが顔を顰めた。
「人ではないといえ、イケメンに嫁にって言われたのを報告しただけかよ。物好きがいたってだけの話と変わんねーな。」
ハッと龍哉くんが意地悪く笑った。
「なんでそんなこと言うの⁉︎」
朱音さんが龍哉くんを睨んだ。龍哉くんは顔を背けているが朱音さんの目が少し潤んでいる。
「お前がモジモジしてるからだろ。」
「だから、朱音には警護をつけようと思う。」
「「「「は?」」」」
凛さんの言葉に凛さんと僕以外がポカンとした。
「朱音は当分は湖の方…いや、森の方に行っちゃだめ。1人にならないように私たちの誰かと行動すること。」
「…オレ、今回降りるわ。」
龍哉くんが口を開いた。
「いつまでそうするかも分かんねーんだろ?普段なら、それを逆手にとって囮にでもして呼び寄せるじゃねぇか。凛がそういうやり方ならオレはやらねぇ。」
「ぼくもそのやり方は反対だなぁ。キリがないし…。相手の正体も不明なときにやるには効率が悪いよね。せめて、相手が何なのか分かってからやるべきじゃないかな?」
「凛!いいわよ!あたし、自分の身は自分で守れるわ!」
「でも…!」
「黄野、そういうことだ。俺も五神になったからには、自分の身は自分で守るくらいの心づもりでいるべきだと考えている。」
全員に言われて押し黙る凛さん。
「守らなきゃいけねぇお姫様なら大人しくしてろ。五神にもなるな。それか、花嫁にでもなって守ってもらうんだな。」
龍哉くんが今回のことを揶揄するようにそう言い捨てた。
「………っ」
「っ!」
朱音さんの傷ついた表情。龍哉くんはその顔を見て、少し顔色を変えた。早足で部屋を出ようとする。
「っ!なんで、そんな言い方するの!龍哉のバカ!」
凛さんは怒って消しゴムを投げた。龍哉くんの後頭部に命中する。
「って!…チッ!」
龍哉くんは舌打ちを残して、部屋を出た。最悪の空気。
「何もしないとは言っていないからな。」
「なるべく、警戒はするからね。」
武くんと白水くんがそう言って、部屋を出た。
「あ…えっと、僕、役に立つか分からないけど、朱音さんを1人にはしないから…!」
凛さんに励ますように言う。ムスゥっとした顔の凛さん。
「…凛さん?」
「……っ、うぇぇぇぇん‼︎龍哉のバカァァァア‼︎」
凛さんが吼えるように言った。ぽろぽろ涙を溢す。
「えぇっ⁉︎嘘、凛さん、ちょっと…⁉︎」
僕、同級生女子の号泣なんて、手に負えないよ⁉︎だいたい他のメンバーも何⁉︎よくあるじゃん、女の子同士の守る意識というかさ、仲間意識…みたいな‼︎男子がデリカシーないこと言った時とかに袋叩きにされる、あれ‼︎今回の、そういう感じなんだろうから、協力してもいいんじゃない⁉︎…いや、龍哉くんのあれは、勢いもあるか…。朱音さんが『なにか』を美形と思ったのが気に食わなかったのかな…。それ以外にも色々ありそうだけど、あの言い方は争いにしかならない…。なんにせよ、五神の心中なんてきっと複雑で僕には理解できない。
「…えーと。」
僕が頭を抱えていると、朱音さんが僕の肩に手を置いた。
「四方、ありがとう。ちょっと、あたしキッチンにいるから、凛のとこにいて。」
食器洗ったら帰りましょ、と言い、キッチンに行く朱音さん。グスグスと泣く凛さんにティッシュを渡す。キッチンからカチャカチャ、食器の音と共に、グス、という小さい声が聞こえたけど、僕は何も知らないふりをした。

次の日、いつも通りに幼馴染メンバーが登校してくる。
「おい、聖仁…。」
「ちょっと…。」
本山くんと田浦くんが僕をつついた。
「ん?」
「いや、ん?じゃねぇよ…。あれ、どうしたんだよ。」
こそこそと僕に言う本山くんが、ちらりと3人を見る。
「ん、ん〜…喧嘩中、みたいな。」
「みたい、というか、モロ喧嘩してるよね?」
田浦くんがそう言った。2人がそう言うのもしょうがない。いつも通りに過ごしてるけど、怒った顔をした凛さん、真顔の朱音さん、そっぽを向いた龍哉くん。誰がどう見ても喧嘩中だ。逆にいつも通りに一緒にいるのが不思議なくらいだ。
「…はよ。」
龍哉くんが僕たちのところに来た。
「おはよう…。」
「お…おっす!なんだよ〜龍哉。テンション低いじゃん〜!どうしたんだよ?」
本山くんが無理して明るく言う。田浦くんは本山くんを見て頭を抱えた。
「…何もねぇ。」
「そ、そっか〜。」
そう返した本山くんが、ガシッと僕と田浦くんを掴み、後ろを向く。
「あいつ、こぇぇよ‼︎」
「空気を読めない本山も怖いよ。あれは触れちゃいけないやつだろ。」
田浦くんが冷静に言う。僕は今日からあの空気が続くことを考え、胃が痛くなった。

報告での大喧嘩から約1週間。僕の胃は穴が開きそうだった。あの幼馴染メンバーの空気は変わらずに凍ってる。龍哉くんは「部活に行く。」とだけいい、隠し部屋には来ていない。残りの4人は部屋に来るけど何とも言えない空気というか、龍哉くんと違い、喧嘩をしたわけではないけど、少し静かだ。元々お喋りで温和なタイプは凛さんと龍哉くんだ。凛さんがニコニコしてて、龍哉くんの人当たりの良い明るい感じがあるから、平和な空気があるだけで。白水くんや武くんはいつも通り。白水くんがたまに凛さんに話しかけると、凛さんが少し元気なさげに返事する。白水くんは、その様子を見て、いつも通りに微笑み、振る舞っているけど、少し困ったような笑い方だった。

とある大雨の次の日。屋外の渡り廊下でキラキラと水たまりが光る。僕は凛さんと朱音さんと隠し部屋に向かっていた。
「ん?ない…。」
「凛さん?どうしたの?」
「ケロ太郎、机に忘れた。」
「お金入ってるんでしょ?取ってきたら?」
財布を机に忘れたらしい。確かに今日、凛さんはお昼に買い食いしてた。あの時にカバンから出して、机に入れたのだろう。凛さんが少し迷った顔をする。朱音さんが微笑んだ。
「四方と2人で先に部屋に行ってるから。」
「ん。すぐ追いかけるね。」
パタパタと来た道を戻って行った。
「四方、面倒かけてるわね。」
「いや、僕はいいよ。全然。」
「…龍哉のあれ、本心かしら?」
「あれ?」
「あたしが、本当に花嫁にされても…どうでもいいのかな…って。」
寂しそうな顔をする朱音さん。
「そんなことない!龍哉くんは…!」
朱音さんのことを大切に思ってる…!そう言おうとした時、ぞわりと心臓がざわめいた。
『わたしの花嫁…泣いているのか?あぁ、今、迎えにきたぞ。』
光る水たまりから手が伸びてくるのが見えた。
「え、」
朱音さんが引き込まれる。
「朱音さん!」
朱音さんが伸ばした手を、僕が掴む。僕と朱音さんはズブリと水たまりの中に引き込まれてた。

「う…?」
「四方!」
目を開くと、そこは森の奥だった。湖がキラキラ光る。
「朱音さん…?」
「やられた。ここ、あの場所だわ…」
『どこがいいかと思ったが、やはり出逢いの場所で、と思ってな。』
知らない声にハッとする。そこには美しい男が立っていた。
『して、それは?』
スッと僕を指さす。
「朱音さんの友人です。」
敵意は感じないので、普通に返事をする。
『ほぉ…友人か。花嫁の儀式にはいた方がよいか…?』
ふむ、と考えるそぶりをする。
『それにしても朱音、とな。名も美しい。』
ふわり、と朱音さんの前に立ち、朱音さんの顎に手を添え、目を合わす。
「っ…。」
刺激するべきでないと判断したのか、朱音さんは動かない。
『麗しい黒髪。清い瞳。どこをとっても我が花嫁にふさわしい。』
ふふ、と美しく笑う男。
『待たせたな。花嫁を迎える準備が整ったのだ。ここで儀式をすませたら、わたしの住む場所に向かおう。美しい場所だ。そなたも気にいるだろう。』
まずい。儀式を終えると、どこかへ向かうつもりだ。そもそも儀式自体、まずいのかもしれない。でも朱音さんでさえ、刺激しないようにしている相手を僕がどうにか出来るのか?
「え、えっと!あの!」
僕が声を出すと男は僕の方を向いた。
『なんだ?』
「あの!朱音さん、まだ結婚できる歳じゃないです!」
『…?』
「えっと、だから…その…」
「四方…?」
朱音さんがポカンとする。僕がしどろもどろになると男はコロコロと上品に笑った。
『ふふっ!なんだ、そんなことか。人間にはそういうものがあるのだな。…まぁ、わたしには関係ないのだが。』
笑うのをやめ、スッと目を細める。
『朱音、ここでは、儀式だけになる。白無垢は戻ったら着せてやろう。式はあちらで盛大にしような。』
スッと手元から何かを出した。盃だ。
『人の儀式は詳しくないが、これは、わたしの用意した水だ。これを飲めばお前は晴れてわたしの花嫁。さぁ。』
盃を朱音さんに持たせようとする。朱音さんが僕を見た後、盃を見つめた。
神解(かみと)け!』
バリバリと轟く雷鳴。男を狙った雷撃は男が身を翻したことによって避けられる。
「その結婚!ちょっと待ったぁぁあ!」
「凛…!」
汗だくになった凛さんがそこには立っていた。後ろに武器を構えた武くんと白水くんもいる。
『ほぉ…?なんだ?不思議な人間だな。わたしの花嫁の友人は神の力をつかうのか?』
「あなたは…五頭竜(ごずりゅう)ですね?」
武くんが言った。
『なんだ。わたしを知っているのか。』
興味深そうに男が言った。
「湖の様子を見に来てたんだって?朱音のことを『弁天のようだ』と言ってたとも聞いたよ。弁天に一目惚れした湖の神。それはかつてあらゆる天変地異を起こし、残虐非道な行いを理由に弁天に求婚を断られたあんただって思ったよ。」
凛さんが挑発するように言う。
「黄野やめろ。相手は神だ。怒らせるな。」
武くんが五頭竜という男と向き合いながら、凛さんを止める。
「だが、五頭竜は改心したことで弁天とは夫婦になったはずだ。それがなぜ、朱音を花嫁に?」
武くんが聞く。
『ふふ。そのような逸話があるのだな。…確かにわたしは改心し、弁天様にもう一度求婚をした。しかし、わたしと弁天様は違った。弁天様は生粋の神。改心をして神になったわたしとは違ったのだ。気持ちをうれしく思う、とは言ってくれたが、あの方と夫婦になることはなかった。』
「所詮、伝説だからね。人間がハッピーエンドにしたってわけだ。」
白水くんが言った。
『もうあの御方に会うことはないと思っていた。だが、朱音と会った。弁天様を思わせる美しさと清らかさ。やっとわたしと一緒になるために弁天様が生まれ直してくださったのだ。そうに違いない。』
何かを見ているようで何も見ていないようなその言い方にこの男は人ではないということを感じる。
「朱音は、あんたの花嫁にはならない。」
凛さんは相手が神であることなど気に留める様子もなく、言い放った。
『…あのときは…弁天様と一緒になれなかった。攫ってでも花嫁になってもらうぞ。』
五頭竜は神らしく微笑んだ。空気が変わる。
「朱音を連れて行かせない。返してもらうよ。」
凛さんが扇子を構えた。
『かけら星!』
凛さんが動いた。降り注ぐ星屑。
『竜巻―――』
激しい嵐が、凛さんのかけら星を散らす。その嵐は凛さんを狙う。
『―――鶴の(いまし)め!』
武くんのまじないによる霜の壁が凛さんを守る。
『片割れ月!』
五頭竜に向かって、白水くんからの斬撃が飛ぶ。
『逆巻く波濤(はとう)―――』
スッと五頭竜が手をあげると、波のようなものが現れて斬撃を防いだ。
「っ…まじか。」
攻撃を防がれ、後ろに飛んだ白水くんが言う。
「神相手だからな。そうそう勝たせてはくれんぞ。」
武くんが言った。ニヤリと笑う五頭竜。
『なるほど。お前たち、加護を受けているな。ふむ…』
「「っ!」」
僕と朱音さんが体をこわばらせる。体を見ると湖の水が足を絡め取っていた。
『朱音と友人はそこで待っているといい。儀式を見守る友人は1人でいいだろう。残りは立ち去ってもらおうか。』
五頭竜が凛さんと武くんと白水くんを見た。3人が五頭竜を睨む。
『龍の爪―――』
三つに分かれた鋭い波が3人を襲う。
「武!」
「任せろ‼︎」
凛さんの声で武くんが盾で地面を叩く。
(げん)の筆!』
波が3人に当たる前にバシャリと崩れる。3人の姿が一瞬見えなくなった。ふわり、五頭竜の後ろで影が揺れる。
「強引な男は嫌われるよ。」
白水くんが五頭竜の背後から言った。薙刀を振るう。
大黒鼠(だいこくねずみ)‼︎』
白水くんの力強い一振りが五頭竜に当たる―――はずだった。
『龍脈』
五頭竜と白水くんの間の地面が急に盛り上がる。
「は⁉︎…っ‼︎」
『惜しかったな。』
五頭竜がバランスを崩した白水くんに手を伸ばす。
「…っく!」
襲ってくるであろう攻撃に身を固める白水くん。
何時迄草(いつまでぐさ)!』
ビュン!っと飛んできた蔦が白水くんの薙刀に巻き付いた。グイ!と白水くんが蔦で引き寄せられる。蔦の根には凛さんと武くんがいた。凛さんのまじないの蔦を武くんが引っ張り、白水くんを救出したようだ。
「2人とも、あまり神を挑発するな。」
「玉城連れて帰るつもりだから、どうなっても怒ってるでしょ。」
武くんの言葉に白水くんは飄々と言った。
「はぁ…まぁいい。晶、黄野、あわせられるか?」
「珍しいね。」
「任せてよ。」
武くんが盾を手放す。それは拳鍔になり、武くんの拳を覆った。
『ほぉ…後ろにいるだけかと思ったが。』
「そういう性分でもなくてな。お手合わせ願いたい。」
ドッ!と低い姿勢で走り出した武くん。
『色なき風!』
白水くんが起こした突風が追い風になり、武くんの速さが加速する。
風花(かざはな)―――』
走った勢いのまま、拳を放つ。軽く身を翻して五頭竜が避けるも、そのまま攻撃を繰り出す。
耀(かがよ)水鞠(みずまり)!』
落英繽紛(らくえいひんぷん)銀花(ぎんか)!』
水飛沫のように飛ぶ拳。凛さんの花びらのような不規則に揺れる刃。怒涛の攻撃。凛さんの攻撃は武くんにも当たりかねないのに武くんは気にする様子もない。凛さんの攻撃の操作を信じている証拠だ。絶え間ない攻撃を避けた五頭竜に一瞬、隙ができる。
『…!―――瑞花(ずいか)!』
『ガッ‼︎パキパキ…』
武くんの拳が五頭竜に当たる。そこから氷の華が咲く。
『―――お見事。』
武くんの拳を腕で受けた五頭竜が、笑った。その目は残虐非道と言われたそれを連想させる。
「っ!黒岩、下がって!」
朱音さんの手に弓が現れる。
玉章(たまずさ)!』
放った弓からレース状の火の網がでる。それが五頭竜を包もうとした。
『なんだ。朱音も、か?』
平然と五頭竜は言った。
雨龍間道(あまりゅうかんとう)
五頭竜が着物をバサリと翻すと、周りに水が集まる。その水は火の網を消した。
『朱音はお転婆だな。少しおとなしくしておいてくれ。』
「っ‼︎」
バシャリ、湖が動く。足を絡め取っていた水が朱音さんの体を包んだ。
「離して!」
「朱音!」
武器も湖の水に飲まれているせいで上手く使えない。水に取り込まれる朱音さんを見て、凛さんが叫んだ。
『―――炎駒(えんく)の咆哮!』
『っ⁉︎』
凛さんが叫ぶ。吼えるような炎が五頭竜を襲った。
「!」
凛さんの目が…普段は金色に輝くはずの瞳が、焔のように赤く揺らめくのが僕には見えた。
『…っち、当たったか。』
五頭竜の頬が焦げている。焦げた頬には五頭竜を守るかのように鱗が生えていた。五頭竜の顔に怒りが滲む。
『おい、お前―――。そこの半端者、朱音の友人といえど、無礼だぞ。』
五頭竜が凛さんを見据えた。
「神の加護で戦ってるからって()()()?感じ悪っ…はぁ…」
凛さんは更に挑発する。けど、かなり体力消費してるのか息が荒い。
『あまり調子に乗るな。』
ぶわりと台風のような風が吹く。その場にいたみんなが突風に目を細めた。
「うぁっ…‼︎」
「…⁉︎…凛ちゃん‼︎」
ぶわりと凛さんが、五頭竜に向かって飛ばされる。咄嗟に白水くんが反応するも彼の手は、空を掴んだ。
「っ⁉︎」
『半端者が神に敵うと思うな。』
飛ばされてきた凛さんの首を水でできた竜の手を使って掴む五頭竜。掴まれた凛さんが、そのまま持ち上げられた。
「ぐ…う…‼︎」
「離せっ!」
「黄野!」
白水くんと武くんが駆け寄ろうとするも、突風と同時に、足は水に掴まれていた。それでも、動こうとする2人の首元に鋭利な水の刃物が当てられる。そのせいで、2人とも身動きが取れない。
『朱音、選ばせてやろう。大人しく儀式を終え、ついてくるか。それとも、このまま、この半端者が苦しむのを見るか。』
五頭竜が握りしめるように手を動かすと、同じように水が動き、凛さんの首がさらに絞まる。
「…くぅっ、かはっ‼︎」
「‼︎…っ」
「晶、足を止めろ!」
凛さんが苦しそうに足をばたつかせる。白水くんが助けようと動き、首に刃がぷつりと刺さった。赤い玉が白い首筋をつたう。
「花嫁になるから!あなたのとこに行く!だから…凛に酷いことをしないで!」
朱音さんがポロポロと涙を流しながら、叫ぶ。
『あぁ、盃の水を飲むがいい。』
五頭竜が微笑んだ。朱音さんが解放され、自ら渡された盃を持つ。
「あ…かね…!だ、め…‼︎」
『黙れ。半端者が。』
朱音さんが盃に口をつけた。唇が震えている。
『…春疾風(はるはやて)―――』
「きゃっ⁉︎」
風が吹き、朱音さんの持っていた盃にピシリとヒビが入る。パキ…と盃が割れ、水が溢れた。その鋭い太刀筋のような風は僕たちを捕らえていた水をも斬る。解放された武くんと白水くんが脱力する。空中で首を絞められていた凛さんもバランスを崩したが、なんとか受け身をとった。
「…っ、けほ‼︎」
「凛ちゃん!」
「聖仁!」
白水くんが、倒れ込む凛さんの元に駆け寄り、抱えて下がる。武くんの手招きで、足が自由になった僕もみんなの元へ走った。朱音さんも走ろうとするが五頭竜が遮る。
『なんだ?また朱音の友人か?』
「…花嫁ってのは幸せなもんなんだよ。…朱音が幸せになれねぇのは…朱音が泣いてんのは、ちげぇだろ。」
激しい春嵐を思わせる烈風の中、トンっと軽やかに着地したのは青龍の彼だった。
「その結婚、ちょっと待った〜ってやつ?」
龍哉くんが、少しふざけたように言った。
「青山、それ、凛ちゃんがすでにやった。」
「まじかよ。かっこ悪りぃじゃん、オレ。」
まじで?と龍哉くんが白水くんを見た。武くんも頷く。
「龍哉くん!」
「…聖仁、連絡サンキュ。」
僕が叫ぶと龍哉くんは刀を軽く振り、言った。みんなが苦戦する中、足止めだけだった僕は龍哉くんに急いで連絡を送ったのだ。五頭竜がスマホを知らないことが救いだった。下手に気づかれることもなく、連絡出来た。けど、部活中の龍哉くんが気づくかは、正直賭けだった。龍哉くんが、五頭竜に向き直る。
「オレは青龍の加護を受ける者。そいつを…朱雀の加護を受ける我が四神の仲間、朱音を取り返しにきた。」
そう言った龍哉くんの刀は、キラリと雨上がりの雫のように輝いた。

黎明(れいめい)!』
勝色(かちいろ)飛雨(ひう)‼︎』
『っ‼︎…っ⁉︎』
龍哉くんは攻撃の手を止めない。五頭竜は、繰り出される攻撃を避け続ける。
「龍哉くんっ!」
「は〜やいな…」
ハラハラする僕の隣で白水くんが呟く。
「ねぇっ!龍哉くんが!」
武くんにいうと、武くんは軽く目を閉じ首を振った。
「俺や晶だと龍哉の邪魔になる。お互いに攻撃を当たらないようにした時点で隙ができる可能性が高い。かと言って、龍哉のスピードについていける黄野はこの状態だ。」
白水くんに抱えられている凛さんは、ぐったりとしながら薄く目を開けて、龍哉くんの方を見ている。首には、赤く痛々しいあざが出来ていた。カヒュ、と息を漏らす。
紫電(しでん)‼︎』
ビュン!と龍哉くんの斬撃が五頭竜のスレスレを飛ぶ。
『青龍、そんなに朱音が大事か?』
「っ‼︎大事だよ‼︎じゃなきゃ、お前みてぇな神と戦うかっつーの‼︎」
龍哉くんは刀を振り、五頭竜はそれを避けながら話す。
『神嫁なら朱音は幸せだろう?』
その言葉を聞いて、龍哉くんの額に青筋が入った。
「おっまえなぁ‼︎何も見えてねーよ‼︎あいつの幸せをちゃんと見つけてやれねぇやつにあいつは渡せねぇ‼︎」
「龍哉っ…‼︎」
朱音さんが龍哉くんの名前を呼ぶ。朱音さんを見て…五頭竜が目を見開いた気がした。
『―――計都星(けいとせい)‼︎』
ぶわりと湖から龍を模った水が現れ、龍哉くんの元に行く。龍哉くんはその龍に飛び乗った。龍哉くんの乗ったその龍は飲み込むような勢いで五頭竜に突っ込む。
『っ!』
五頭竜が吹っ飛んだ。水飛沫に僕たちは目を瞑る。
「っ⁉︎っぷ‼︎」
口に入った水を吹き出し、目を開けると五頭竜が立っていた。
『―――人にここまでされるとは。』
長い髪がバッサリと切れている。龍哉くんの刀は五頭竜の髪を落としていた。
「まだ続けるか?」
チャキ…と刀を構え直す龍哉くん。彼も水が滴っている。
『―――いや、いい。』
ふ、と五頭竜は笑った。
『朱音の幸せ…わたしは神嫁になれば幸せとばかり考えていたが…』
ちらりと朱音さんを見る。朱音さんは五頭竜に見向きもせず、龍哉くんを見ていた。
『一度考えてみる必要があるようだ。』
「はっ!何回でも追っ払ってやるよ。」
『おい、青龍。』
「あ?」
『名は。』
「…龍哉。」
『たつや…ふふ、お前も龍か。それは縁があるな。』
五頭竜が乱れた着物を整える。
『朱音。』
朱音さんが身構えた。五頭竜が朱音さんの前に跪き、微笑む。
『今回は引こう。だが、お前の気が向いたら、嫁に来るといい。』
―――ちゅ。
「「「‼︎」」」
朱音さんの手にキスをして、五頭竜がチャプン、と湖の中に消えた。
「てめぇっ!ふざけんなよぉぉお‼︎」
何もいない湖に向かって、龍哉くんが叫ぶ。
「朱音!怪我してねぇか⁉︎」
龍哉くんが朱音さんを振り返ると、朱音さんはこくりと頷いた。そして、龍哉くんと朱音さんはバッ!っとこっちを見る。
「「凛‼︎」」
白水くんの方に走り、抱えられている凛さんを覗き込む。
「おい、凛!大丈夫かよ‼︎」
「青山、揺らさないで。」
「凛‼︎…凛‼︎」
「玉城も龍哉も。晶ごと揺らすのやめろ。」
凛さんの周りで他のメンバーがガチャガチャ騒ぐ。凛さんは少し苦しそうにしながらも笑っていた。
「…カヒュ…ヒュ…ん、ね、みんな帰ろっか!」
その賑やかな雰囲気は、いつもの五神たちだった。

「部活中だったのによく気づいたね!」
「おぉ…あぁ。」
「頻繁にスマホ見てたんでしょ。」
僕に曖昧な返事を返す龍哉くんに白水くんがそう言った。
「玉城や黄野に何かあるかもしれないのに部活に集中出来るやつではないからな。」
武くんも言う。
「でも、ちょっと遅かった!」
ぷん!と凛さんがふくれた。
「わりぃって。」
龍哉くんが困ったように笑った。ポンと凛さんの頭を撫でる。
「…でも来るって信じてたよ!」
凛さんの口元が照れくさそうに和らいだ。
「龍哉!」
「ん?」
朱音さんが呼んだので、龍哉くんが振り返った。
「わぷっ⁉︎」
その瞬間、朱音さんが龍哉くんに飛びつき、抱きつく。
「…ほんっと遅いわよ!でも、ありがとう!」
朱音さんの満面の笑み。その笑みは、五頭竜が弁天様の再来と思うのも分かるくらい綺麗だ。すごい勢いで突っ込んできた朱音さんをなんとか抱き留めた龍哉くんは、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「…へいへい。オレ、まだ濡れてんだから、お前も濡れんぞ。」
「いいの!」
ぎゅっと朱音さんが、龍哉くんを抱きしめた。
「っ!ちゃんと!オレがお前を幸せな花嫁にしてやるから!」
龍哉くんが、そう言った。周りの空気が急に止まる。
「え、なんだよ?この空気。」
龍哉くんが不思議そうにキョロキョロする。朱音さんの顔がボッと赤くなった。
「いや、青山…それって玉城への、プロポーズ?」
白水くんが言う。あわあわと混乱した凛さんが、僕の目を覆った。いや、もう聞いたし、言葉だから目を覆っても意味ないよね⁉︎武くんが、ゴホン、と赤くなりながら咳をした。
「え…あ…⁉︎」
理解した龍哉くんが、耳まで真っ赤になる。
「ち、ちげぇし‼︎あれだよ、これからも、朱音がちゃんと幸せになれるような相手か見てやるよっていうか‼︎分かんだろ⁉︎碧ちゃんとオレのチェックをクリアしたやつしか許さねーぞ的なやつだよ‼︎」
「いや、玉城の父親が見るべきだろ、それ。」
白水くんの冷静なツッコミ。パッと離れる龍哉くんと朱音さん。僕は帰るまで、ここ1週間とはまた違う気まずい空気を味わうのだった。