「ちょっと、呼ばれたから言ってくるわね。」
スマホをちらりと見て朱音さんが席を立つ。おそらく、弓道部関連だろう。夏休みでも図書室は開けているようで、そして奥にある隠し部屋には凛さんたちもいるようだ。
「みんな、大体部活だもん。ここにいた方が集まりやすくていいんだよ。」
夏休み初日、凛さんがそう言っていた。朱音さんが席を立ち、ガラリと部屋から出るのを見届けた凛さんが、ちょいちょいと他の皆を呼ぶ。
「ね、朱音、もうすぐ誕生日だよね。」
「そうなの?」
「そ、8月7日なんだよね〜。」
「んで、朱音の誕生日だから?これまで各々に誕生日プレゼント渡したりとかじゃんか。」
そうだ。確か、龍哉くんは5月5日が誕生日だった。本山くんや田浦くんがクラスでGW明けに、龍哉くんの机にお菓子のタワーを作ってお祝いしていたのは記憶に新しい。五神の皆もバラバラにプレゼントを用意して渡していたイメージだ。
「そうなんだけどね〜、今回は皆でお祝いしようよ!サプラーイズ‼︎みたいな。」
「どこでやるんだよ。」
「え?この部屋でいいじゃん。」
「玉城、部活以外は凛ちゃんといるんだから気づかれちゃうよ。」
「そうだ。玉城にサプライズは難しいと思うぞ。」
「え〜、ノリ悪い〜。聖人(せいじん)くん、どう思う?」
凛さんが僕を見る。
「えっ?いいんじゃないかな…楽しそうだし…」
「だよね‼︎ということで当日の足止め担当は聖人(せいじん)くんだよ‼︎」
「えぇ⁉︎僕⁉︎」
驚いていると他の皆が呆れた顔をしている。
「あ〜ぁ…聖仁、お前が同意するからだぞ。」
龍哉くんがため息をついた。
「でね〜、私と晶がケーキ作りでしょー。んで、龍哉と武が飾りつけ!」
ニパ!と笑顔の凛さんがどんどん決めていく。
「えっ…!ぼくと凛ちゃんが一緒にケーキ作り?そんなの結婚じゃん…。」
ハッと白水くんが名推理をした顔をする。
「結婚ではないかな〜。」
「ケーキ、勝手に入刀すんなよ。」
凛さんが否定し、龍哉くんがさらに呆れた顔になる。
「僕はどうやって足止めすれば…」
「当日に買い物頼むから2人で行ってきて!」
凛さんはキュポンとペンを取り出して、適当な買い物メモを書き始めた。

8月7日。
「2人とも買い物してきて〜。これ、メモね。」
「何であたしと四方?」
朱音さんが不満そうな顔をする。凛さんがチッチッチと指を振る。
「メモ、ちゃんと見て!」
朱音さんが手に持っているメモを開く。僕も覗き込んだ。
「救急箱の中身の補充、消毒液・包帯・その他、薬。裁縫道具のボタンなど…」
「カメラフィルム…?」
朱音さんと僕が頭に?を浮かべながら読む。
「そう!朱音はよく手当してくれるでしょ?あとボタン取れたらつけてくれたりするじゃん?あとカメラフィルムは白沢先生が、この前、学校のカメラ壊してカメラ買ったのにフィルム忘れたんだってさ〜。白沢先生、カメラ全然わからないらしいから、詳しそうな聖人(せいじん)くん、買ってきてあげて。」
ふふーん!と得意げな顔でいう凛さん。というか、白沢先生相変わらずだな…。
「そういうことね。確かにあたしが適任だわ。」
朱音さんが救急箱と裁縫道具の中身を確認し、メモと照らし合わせる。普段、手当ては朱音さんか白水くん。ボタンの取れとかを直してくれるのは、朱音さんだ。
「分かった。メモに書いてあるのが今持ってるカメラなんだよね?」
僕がいうと凛さんが、うんうんと頷く。
「そう〜それで分かる?」
「カメラの名前が分かれば大丈夫!」
「ということで、はい!」
凛さんから、がまぐちの財布を渡される。
「あの…凛さんこれは…。」
「私のお気に入りのカエルのがま財布、ケロ太郎だよ!ここにあるお金で買い出し、よろしく!」
カエルの財布を首に下げられる。僕と朱音さんは学校から出発した。

僕と朱音さんはそれぞれの店をまわるのは大変だろうということで、ショッピングモールに行くことにした。
「カメラフィルムからかしら?」
「そうしよっか。」
カメラフィルムを見る。カメラの種類まで分かっているので見つけるのは簡単だった。
「白沢先生って吉兆の神獣なんだよね…?」
「そうらしいわね。とてもそうは思えないけど。」
白沢先生、不幸に見舞われる様子しか見たことないな…。
「次は裁縫道具かな。」
手芸屋に行く。
「朱音さん、何気に裁縫上手いよね?」
「何気に、は余計よ。」
糸やボタンを見ながら朱音さんが返事する。龍哉くんや武くんの制服のボタンが取れたとき、つけてあげているのを見たことがある。凛さんも、自慢げに靴下の刺繍を見せてきたことがある。朱音さんに刺繍をしてもらったと言っていた。
「…玉結びって分かる?」
「?裁縫のでしょ?」
「そ。裁縫の玉結びと魂の結びの魂結びをかけてるのよ。あたしなりのおまじない。」
「魂結び?」
「魂が身体から離れませんようにって。」
魂が身体から離れないように…つまりは生きていられますようにってことか。
「あたし、いじめられっ子でね。」
「え⁉︎朱音さんが⁉︎」
想像もつかない。こんな強気で、実際強くて、そんな朱音さんが?
「小さい頃だけどね?いじめられっ子の上に運が悪い。碧ちゃ…碧兄がよく守ってくれたの。そのうち、弥太郎と仲良くなった碧兄に四神の可能性を見出した青山先生はあやかしのことをはっきりは言わなかったけど、あやかしに会った時の護身の方法を弥太郎と碧兄に教えるようになった。」
「青山先生が…?」
「そう。あたし、子供ながらに何か感じていたのよね。碧兄が何か悩んでることに。そのうち、碧兄や凛、龍哉が危ない目にあいませんように。何があっても何とか無事に帰って来れますようにって。何か出来ることがないか考えたの。」
「それでおまじない…?」
「まぁ、正直、黒岩や美宇さんには叶わないわよ?でも、青山先生に『形に気持ちを込めることは強いまじないになる』って言われたことがあってね。」
「そっか。」
朱音さんの目は強く光っていて。それはまるで込められた想いの強さを表しているようだった。

「ちなみにさ、朱音さんにとって龍哉くんってどういう存在?」
ドラッグストアで絆創膏を手に取り、たずねる。
「随分、インタビューみたいなことするのね?記者さん?」
「あっ…ごめ…」
「冗談よ。…幼馴染。」
短い言葉で返したそれは怒ってもいないし、冷たい言葉でもなかった。ちらりと横目で見た朱音さんの顔をみる。
「結構好きって意味よ。」
そういった顔はいつもより和らげだった。気になって他の人も聞く。
「武くん。」
「玄武のプライドがウザいけど、黒岩にしか凛を助けられないときはあるわね。」
悔しそうに消毒液を握りしめる。手の中の消毒液を横から受け取り、カゴに入れる。
「白水くん。」
「あいつは天敵。」
やっぱりそうなんだ…。白水くんだけ意外性がない。
「凛さんは?」
「何よりも大切よ。なんというか…お姫様と王子様と恩人と赤ちゃんを混ぜたような…」
ぐーるぐーると指で混ぜるような仕草をする朱音さん。
「複雑だな⁉︎」
「愛しい存在ってやつね。お子ちゃまには分からないでしょうけど。」
「急に失礼だ…。」
むむ…となりながらもツッコんだ。
「…。」
「…?」
朱音さんが僕をじっと見た。
「えっと…?」
「自分のことは聞かないわけ?」
「えっ!僕?」
あわわ、と僕は自分を指さす。こくりと朱音さんが頷いた。
「えっ、えっと、じゃあ、僕は…?」
「な・い・しょ。」
真顔だった朱音さんが、ニィと少し悪い顔をした。
「えぇ…」
美人に弄ばれた…。僕はうれしいような悔しいような複雑な男心を覚えたのだった。

さて、そろそろ大丈夫だろうか。凛さんからの連絡をトイレで確認する。あ、連絡きてる。『大ピンチ!晶が生クリームをモコモコにしすぎたり、武がお祝いバルーンに空気入れすぎて紙吹雪爆発!あと1時間、朱音を連れまわして〜!』伸びる生クリームと紙吹雪を掃除する龍哉くんの写真が送られてきた。スマホを一旦閉じる。
「いや、何やってんだよ⁉︎」
ダン‼︎と壁を叩く。隣で手を洗っている人がビクッとなった。すみません。
「どうしたもんか…」
「おかえり。」
朱音さんから荷物を受け取る。朱音さんが立っていた壁に貼ってあるポスターが目に入った。

「へぇ。ショッピングモールのイベント広場って、結構大きいのね。」
「すごいよね!あ、あれかも!」
まるで、少し小さめの遊園地のようだ。あるものを指さす。『迷宮!ミラーハウス!』その看板を見る。
「これこれ、さっき見て、気になったんだよね〜。」
これなら、程よく時間を潰せると考えた僕は朱音さんとミラーハウスに入ることにした。
「鏡だから道が分からなくなるんだって〜。」
「ふうん…。」
物珍しそうに朱音さんが見る。
「あれ!玉城 朱音?」
「「?」」
朱音さんの名前が呼ばれたので振り返る。そこには同い年くらいか、少し上の男の子が立っていた。
「知り合い?」
僕が聞くと、朱音さんは眉を顰める。その人はニヤニヤと朱音さんに近寄った。
「なんだよ。小学校一緒だったじゃん。話したこともあるし。忘れてんのかよ〜。」
肩に手をおこうとする。パシリと朱音さんが手を叩いた。
「生憎、あなたのことは知らないわ。四方、行くわよ。」
ぎゅっと僕の手を引いて朱音さんはミラーハウスに入った。僕は男の子に軽くお辞儀をして朱音さんについていく。その人はなんだか、叩かれた手もそのままに朱音さんをじっと見ていた。
「知り合いじゃないの?」
僕が聞く。
「本当に分からないわ。仲良かったのは龍哉と凛だけだし。女子生徒ならまだしも男子生徒は本当に覚えてない。もし…あるとすれば…」
「…?」
「あたしをいじめてた人じゃないかしら?あたし、いじめられっ子だったっていったでしょ?でも相手の顔をほぼ覚えてないのよ。話したことがあるかつ、顔を覚えていないならそうなるわね。あたしはそれを『話した』とは思ってないけど。」
朱音さんが冷たく言った。当たり前だ。いい記憶ではないはず。
「ま、まぁ…気を取り直して、楽しもう?」
「そうね。」
ミラーに映った朱音さんの顔はなんとも思っていない表情で、いつもの様子に少し安心した。

「おかしくないかしら?」
「長いよね…?」
迷った?だとしても、なんか長くないか?僕は首を傾げる。
「四方、こういうときって大抵どうするか分かる?」
「…え?」
「壁にね、片手をついて歩くのよ。ミラーハウスは迷路ではない。道をミラーで混乱させるだけのはず。なのに歩いても歩いても辿り着かないのよ。」
『歩いても歩いても辿り着かないよぉ。』
「えっ⁉︎」
バッと上を見る。どこからか声がした。
『すぐに出られるはずなのにねぇ。』
少し馬鹿にしたような僕たちの話してたことを繰り返すように言うその声。
「これって…ミラーハウスの仕掛けの声では…。」
「なさそうね…」
『仕掛けの声ではなさそうだねぇ。』
ゾクリとする。この声は…
「さっき朱音さんに声をかけてきた人の声だ…。」
全身に鳥肌が立つ。朱音さんが僕に荷物を渡し、腕を振った。手元に現れる弓矢。
『玉城 朱音…お前を探していたよ…』
「本当に心当たりがないわ。」
ぴしゃりと言い放つ朱音さん。
『お前は知ってるよぉ。』
「…」
朱音さんの顔が険しくなる。
『相変わらず、黒くて美しい髪だねぇ。あのとき手に入らなかったのが残念で残念で…』
「…⁉︎」
朱音さんがビクリと足を一歩引いた。
『あのときの小さいのさえ、いなければ…うるさいやつらの邪魔さえなければ…』
ぐらぐらと揺れるような少し恨めしそうな声。
『手に入ったのに』その声はとても近くで響いた。朱音さんが後ろを振り向いて矢を放つ。
桃花鳥(とうかちょう)の風切り―――』
ピシリと鏡にあたり、ひび割れる。割れた鏡はそれぞれがまた僕らを映した。
「いない…」
鏡に当たったが相手はいない。
『当たらないねぇ、お前には難しいだろう。』
鏡に映った朱音さんが話す。
「っ…⁉︎そこか…‼︎」
きりりと弓を構えるも鏡がゆらりと消え、姿を消す。
「朱音さん…これって…」
「相手は鏡の中のあたしたちに化けてるわね…。」
ミラーハウスの中は涼しいはずなのに、じんわりと嫌な汗をかく。朱音さんの目は忙しなくキョロキョロと動いている。
「四方、あたしから離れないでよ。離れたら守りきれない。」
「う、うん…」
ぎゅっと荷物を胸に抱えて、縮こまる。少しでも、朱音さんの邪魔にならないように。
「こんなところで…最悪…。」
朱音さんのつぶやきにドキリとする。
「ごめん、僕がミラーハウスに入ろうって言ったから…」
「責めたわけじゃないわよ…。この状況、あたしとは相性が悪すぎる…」
矢を引いたまま、警戒を続ける朱音さん。弓矢は相手を定めて打つから相手が見つからない状況は不利なんだ…。静かな時間。張り詰めた空気が続く。ふいに声が響いた。
『幽霊の正体みたり枯れ尾花、我に誑かされ、不吉を予知し、全て見紛う―――』
「これって…」
朱音さんの汗がぽたりと落ちる。
「真言‼︎」
僕が言った瞬間、空気の歪みを感じる。
『惑わしの空言(そらごと)―――』
「そこか‼︎」
朱音さんが弓を引いた。
桃花鳥(とうかちょう)の風切り―――』
ヒュンと音を立てて、矢が飛ぶ。その矢はどういうことか、まるで鏡が跳ね返したように、こちらに飛んできた。
「⁉︎」
「っこっち‼︎」
目を見開く朱音さん。咄嗟に、固まったように動かない朱音さんの腕を引く。
「きゃ…⁉︎」
「朱音さん‼︎」
朱音さんが悲鳴をあげる。腕を引いたので、矢は朱音さんに刺さらなかったものの、掠ってしまったようだ。
「…っつ、」
「肩が‼︎」
じわりと服に血が滲む。
「大丈夫、ありがと。ごめん。油断した。」
痛みに顔を歪めながら、朱音さんは僕にお礼を言った。
『当たった当たった。自分の矢に当たって血を流した。』
踊るように、揶揄うように声が響く。
「この…!」
眉をつりあげ、もう一度、弓を引こうとする朱音さん。
「ゔっ!」
カランと手に持っていた弓を落とす。
『加護を得ても弱いお前は変わらない。』
そのあやかしの言葉で朱音さんの目にじわりと涙が滲む。
「そんなことない!朱音さんは強いんだ!」
僕はあやかしの言葉を消すように、大声で叫んだ。
『なんだ?お前。邪魔だ…。』
シャカシャカと音がしたと思ったら、虫が無数に集まっていた。気持ちが悪い。そこから、僕の喉を狙い伸びる手、人をも切り裂くような長い爪。…まずい。
「伏せて!」
後ろにいる朱音さんの一言でしゃがみ込んだ。
『火の(いん)‼︎』
ゴォォオと音をたて、僕の頭の上を過ぎる炎。朱音さんの炎が、手を焼き切ろうとする。
『ちっ…』
炎の熱さに虫は焼き焦げたが、そこに僕を狙った腕はない。痛むのか、朱音さんは肩を抑える。手が震えている。
「りん…」
朱音さんがつぶやいた、それは小さい女の子のような声で。何としてでも帰らなきゃ。そう思ったとき、ふわりと柔らかくて甘い金木犀の香りがした。
「…?」
自分の胸元をみる。凛さんから預かったがま口財布。私物だと言っていたから、凛さんの香りが移っているんだろうか。急に頭の中がすっきりする。考えろ。見えない相手とどう戦うか。これまでにそんな相手はいなかったか。
『さぁ、玉城 朱音を渡してもらおうか。』
いや、見えないんじゃない。相手は化けている。そのせいで、どんな『あやかし』なのかも分からない。じゃあ、どうすれば?きらりと目に映るのは…
「…鏡。」
「…四方?」
朱音さんが僕を見た。朱音さんの後ろの鏡から手がはえるのが見える。ドン!と朱音さんを突き飛ばす。伸びた爪が僕の首元をかすった。
「…っ!」
「四方‼︎」
傷の熱が頭をフル回転させている気がした。こいつは人に化ける。人を馬鹿にしたような態度の『あやかし』。朱音さんの弓矢の傷…。僕は、五神のように、あやかしに詳しくない。でも、もし…。そう、鏡。彼女のまじないだ。凛さんを頭に思い浮かべる。『よく見てるんだよ、聖人(せいじん)くん。』、凛さんに言われた言葉が頭に響く。ズリ…と爪によって紐が切られた財布が僕から離れる。
「…お前の正体は…『天邪鬼』!」
財布が落ちた瞬間、きらりとミラーハウスの鏡が全て光った気がした。
「!」
朱音さんが反応する。視線の先には鬼の映る鏡。朱音さんが弓と、自身の当たった矢を拾い上げ、言葉を紡ぐ。
『天に届きし大兇 加護の血含むその矢 悪しを貫く―――』
炎より強い輝きが朱音さんの瞳に宿る。
真桑(まくわ)還矢(かえしや)―――』
赤のついたその矢が、ヒュン!と飛ぶ。
『な…⁉︎』
その矢は揺らぐことなく、鬼のいる鏡に刺さり、鬼を貫いた。ビシリと蜘蛛の巣状のヒビが入る鏡。
『ギィャァァア‼︎』
悲鳴が聞こえ、どろりと闇が映る鏡。それは鏡が割れ散ると共に崩れた。
「終わった…。」
膝から崩れた朱音さんに駆け寄る。
「肩の傷…!」
朱音さんの傷を見ようとすると、ぐにゃりと視界が歪んだ。
「…ん?…え、なんか…。」
眠い。ぐらりと世界がまわる。
「四方⁉︎」
朱音さんの焦った声が、遠くで聞こえた。

「ぉぃ…おい‼︎」
大きな声に起こされる。僕を覗き込んでいるのは龍哉くん、晶くん、白水くん。
「気分はどう?」
白水くんが僕に水を渡す。
「あ、えっと…」
「あんた、あたしの傷見て気絶したのよ。」
朱音さんが少し離れたところから言った。気絶…やけに眠くなったと思ったけど、気絶だったのか。凛さんが朱音さんの肩の傷の手当てをしている。
「出血は派手だったみたいだけど、酷い傷ではないよ。一線に切れてるから綺麗に塞がると思う。ちゃんとお家でも手当てしてもらってね?碧ちゃんに言っとくから。」
凛さんの言葉に、げ、という顔をする朱音さん。
「いや〜焦ったよ。朱音から武に電話が来てね。『四方が気絶したから迎えに来なさい!』って。」
「え…武くん、僕を運んでくれたの?」
「あぁ。」
ショッピングモールで気絶して同級生に運ばれる僕。決して他のクラスメイトに見られてませんように…。
「あ、そういえば、天邪鬼…。」
「あぁ、天邪鬼はお前らに話しかけた男子に取り憑いていたんだよ。たまに精神を乗っ取ってたっぽい。そいつも知らないうちに人に迷惑をかけてることがあったらしくて、悩んでたみたいだ。まさに化けて成り代わってるような状態だったんだろうな。」
「そっか…。」
朱音さんをチラリと見た。朱音さんは真顔で表情が読みとれない。
「彼はたまたまこっちに来てただけで、普段は遠方にいるそうだよ。だからもう会うことはないんじゃないかな。」
凛さんが言った。理由はあやかしであれ、朱音さんは彼を見たくもないと思っていただろうから、安心した。白水くんからもらった水を一口飲む。
「気になることがあるんだけど…」
武くんを見ると、武くんもこちらをしっかりと見た。
「僕が正体を言った瞬間に、化けていたのが解けたんだ。」
「あ?」
「なにそれ?」
龍哉くんと白水くんが不思議そうな顔をする。
「正体を言った瞬間…。…『鬼の名当て』か‼︎」
武くんが少し考えてから、大きな声を出した。
「鬼の名当て?」
僕の質問に、朱音さんの傷を手当てしながら、凛さんがこくりと頷く。
「だろうね。『鬼の名当て』。名前の神秘性によるものだね。対象の名前を知ることによって、相手を…支配できる、という話だよ。名前と『それ』は強く結びついていて、名前で相手を支配さえ出来てしまうってこと。言葉の強さ、だね。」
なぜか凛さんは少し寂しげに笑った。
「もちろん名前を知ったことで支配まで出来るというのは大袈裟な話だが…。『鬼の名当て』は、天邪鬼のような何かに化けたものを見抜くときに、見破りの術を使えない者が使う。さらに天邪鬼…つまり、『鬼』。効果てきめんってやつだったんだろう。」
武くんが詳しく説明してくれた。僕は一つ思い出した。
「相手、朱音さんを知ってるみたいだった。」
「朱音を?」
凛さんが眉を顰める。
「りん、」
朱音さんが凛さんに手当てされながら、凛さんの耳元に近づいた。少しだけ声が溢れて聞こえる。
「…年前…。…のとき、の。…多分…。」
眉を顰めていた凛さんが、目を見開く。耳のいい龍哉くんは聞いてはいけない話と判断したのか、耳を塞いでいた。白水くんと武くんも2人に背を向けている。僕も少し2人から視線を逸らした。
「…分かった。みんな、今回の詳しい報告は控えさせてもらう。」
「了解。」
「あぁ。」
「分かったよ。」
凛さんが言うと、龍哉くん、武くん、白水くんが返事する。凛さんは手当てが終わった朱音さんを見た。
「でも…朱音、この件、八咫烏(やたがらす)の一部には報告させてもらうよ。該当者は…分かるね?」
朱音さんは凛さんをじっと見つめて、頷いた。
「分かった。」
「…八咫烏?」
初めて聞く単語に僕は首を傾げた。
「あぁ、歴代の『加護を持つ者』たちが多く所属する組織だ。『あやかし』退治の組織だな。四神・五神はそこに属す。」
「全国に散ってるし、連絡取れねーやつも多いって言うけどな。」
武くんの後に龍哉くんが続く。
「ぼくの母親も瑞桃に戻ってくるまでは連絡取れない人だったそうだしね〜。」
白水くんが言った。
「まぁ…この話は置いといて。お前ら、運が良かったな。」
コレ、と武くんが僕が手に持っているがま口財布を指差した。
「ん?あ、財布?」
こくりと武くんが頷いた。
「その財布、カエルだろう。カエル、つまりは帰るだ。何かあっても、帰ってくることが出来るというまじないだ。」
カエルの財布を見る。
「あ!凛さん、ごめんなさい…。コレ、千切れちゃって…。」
「ありゃあ…しょうがないね、ケロ太郎も許してくれるよ。」
よしよしと財布を撫でる凛さん。
「凛、あたしが直すわ。」
買ってきた裁縫道具の糸を取り出す朱音さん。手際よく直していく。直した財布を凛さんに返す。
「おぉ〜良かったね、ケロ太郎〜!」
「付喪神っていうのは、ああいうやつの物だとすぐ話し出すんだろうな…。」
武くんが凛さんを見ながら言った。
「さて!始めようか‼︎」
凛さんがにこりと笑い、朱音さんを見る。不思議そうな朱音さんの後ろで龍哉くんが朱音さんに三角帽子を被せた。
「え⁉︎」
「「朱音、お誕生日おめでとう‼︎」」
「「玉城、誕生日おめでとう。」」
驚いた顔の朱音さん。
「朱音さん、お誕生日おめでとう‼︎」
僕もみんなに続いた。凛さんがキッチンに走り、バルーンを抱えて帰ってくる。そして、部屋にバルーンを浮かばせていく。一緒にキッチンに行った白水くんがケーキを台に乗せて持ってきた。
「あ、え…あ、今日…。色々あって忘れてた…。」
ポカンと口を開けたレアな朱音さんの姿だ。その光景をパシャリとカメラにおさめる。今日の僕は撮影係だ。
「ちょっと…‼︎四方!急に撮らないで!」
顔を真っ赤にした朱音さん。僕のカメラを取り上げようとしたときに、凛さんが朱音さんに抱きつく。
「あかね!大好きだよ‼︎」
さらに真っ赤になる朱音さん。
「玉城〜、ケーキ、見ないの?凛ちゃん、頑張ってたんだけど。」
「え⁉︎凛が作ったの…?」
「晶とだけど…朱音をイメージしたんだよ〜!」
凛さん曰く、朱音さんをイメージしたケーキは生クリームをベースに桃と真っ赤なイチゴとイチゴのジュレで鮮やかに飾りつけたもので、とても綺麗だった。朱音さんが、ケーキと部屋の飾り付けを交互に見る。
「風船も武と青山、頑張ったよね〜。」
「ヘリウムガスで膨らますとか初めてだったわ。」
白水くんの言葉に龍哉くんが返す。
「さて、ケーキ、食べよっか!」
凛さんの言葉に、お腹がくぅ…となった。
「そういえば、僕、すごいお腹減ってるかも。」
「色々あったからな〜。」
「晶が、軽食も作ってくれてる。それも食べるといい。」
龍哉くんと武くんが、僕に言った。みんなで席につく。切り分けたケーキをパクリと一口食べた朱音さんを、隣に座っている凛さんが覗き込んだ。
「…ね、朱音、どう?」
「最高の誕生日よ!」
にこりと笑った朱音さんはとても幸せそうだった。

―――
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―――――

「ん。そう。多分、あのときの。取り憑かれてた。あの後、あっちが転校したとかで会わなかったから。真言を使ったらしい。」
「…―――?―――。」
「おそらくだけど、当時より、強くなってたんだと思う。あの2人には伝えておいて。」
「―――。」
「大丈夫。詳しく聞かないけど、なんとなく分かってると思うし。」
「―――。」
「そうだよ。私たちは仲良しなんだから。他の八咫烏には詳細は省いて、真言の情報だけ渡しといて。そういうの得意でしょ?」
「―――!…―――。」
「はいはい。じゃあね。よろしく。」
ピッと電話を切る音が自室に響く。ふぅ…と息を漏らした。ベッドに体育座りをし、顔を手で覆う。目を閉じると、ぐらぐらと自分と自分じゃない狭間を揺れるような感覚になる。
「何かが…おかしい…?」
何百年も続く八咫烏達は警戒している。これまでとは違うナニカが瑞桃で蠢いている。
「異質は…私か?」
指の間から見た鏡には、黄金が光って見えた。