「「…」」
「…えーと。」
気まずい空気に押しつぶされそうだ。
時は遡ること30分前。僕はいつもの隠し部屋で凛さんに気になる噂の話をしていた。
「男子生徒が通う怪しいお店がある?ズビッ…ごめ、ティッシュ取って。」
「うん。はい、ティッシュ。」
「ズビィィイ‼︎…何それ、えっちな話?やめてよ。」
「違うよ⁉︎」
凛さんの言葉に声を荒げる。あ、やば、ティッシュの箱、ちょっと潰しちゃった。ズビズビと鼻をかみながら凛さんが話を聞く。
「で?通ってる生徒たちはお店に行っては放心状態になり、また行ってを繰り返してるって?」
「うん。気になった他の生徒が跡をつけて行っては同じようになってるんだってさ。」
「へぇ…それは気になるね…えぶちっ‼︎」
凛さんがくしゃみをする。もう一度ティッシュを差し出すと凛さんが箱ごと受け取った。
「ゔ〜ん…ズッ…」
「田浦くんが皆が向かう場所を教えてくれたんだよね。」
田浦くんの妹の保育園がある方向らしい。妹のお迎えに行く途中で何人もの男子生徒がふらふら歩いて行く様子をみたと言っていた。
「上の学年で話題になってたわね。それ。」
朱音さんが凛さんの前にお茶を置く。ふわりと生姜の匂いがした。ジンジャーティーのようだ。
「そうなんだ。ズビ…それは見に行った方がいいね…くしゅんっ‼︎」
くしゃみをしてから、ぐびりとジンジャーティーを飲む凛さん。
「って思ったんだけど…凛さん、不調だよね?」
「どう見てもそうでしょ。」
朱音さんにピシャリと言われる。
「や〜…球技大会で汗かいてから、そのままにしてたから冷えちゃったのかな?…へぷしゅっ!」
ん〜…と凛さんが考え込む。ぽいっとゴミ箱めがけて投げたティッシュは微妙に方向がそれて外しそうになったけど、朱音さんがゴミ箱を足で動かすことによってキャッチする。
「今日は武いないしなぁ〜…偵察なら男子の方がいいよね…。男子ばっかなのに急に女子が行ったら警戒されるかもだし。」
むぐぐ…とティッシュで鼻を抑えながら、凛さんがちらりとキッチンを見た。そのあとに少し離れた机で刀を磨く龍哉くんを見る。
「…。」
「え、龍哉くんと白水くんはダメなの?」
黙り込む凛さんに聞く。
「行かせたらいいわよ。」
朱音さんが凛さんに言う。凛さんが席を立った。
「ね〜あきら〜」
トテテ…とキッチンに入っていく。残された朱音さんが龍哉くんの前に立つ。
「準備して。」
「はぁ〜?オレ?」
「話聞いてたでしょ。四方のご指名よ。」
龍哉くんがチラとこちらを見た。「ごめん。」と「お願い。」の両方の意味を込めて両手を合わせる。
「は・や・く。」
朱音さんが言うと龍哉くんがため息をついた。
「はぁ…へいへい、準備しますよ。」
カチャと刀を鞘にしまう。満足そうに頷く朱音さん。キッチンから凛さんと白水くんが出てくる。
「「…」」
白水くんと龍哉くんが無言で準備する。ズビビ…と凛さんが鼻をかむ音が響く。
「凛ちゃん、ジンジャーティー入れ直せるようにセットしてるから。暖かくしとくんだよ。帰っててもいいからね。」
無言だった白水くんが、部屋を出る前に凛さんに話しかける。
「ありがと。3人とも気をつけるんだよ。」
「あいよ。ほら聖仁、行くぞ。」
龍哉くんが僕を呼ぶ。僕たちは噂の店に向かった。
というのが30分前の出来事だ。
「「…」」
「…えーと。」
無言が続く、気まずい空気に押しつぶされそうになりながら道を確認する。うん、この辺りなはずだ。
「あ、あれかも。」
可愛らしい雰囲気ながらあまり人目に触れなさそうなカフェを指さす。そこにはフルーツや野菜のデザインの看板があった。
「あぁ、間違いないね。」
白水くんが言った。
「え。」
僕の視線に気づいた白水くんが少しムッとする。
「あ。こいつ『あやかし』見つけるの下手なくせになんで分かるの?って思ったでしょ。」
「いやいやいや…」
図星だ。龍哉くんならまだしも白水くんがなんで。
「ぼく、このあたりのカフェなら全部知ってるはずなのに。このカフェ、出来たって噂も聞いてないからさ。」
「あぁ…」
「実家がケーキ屋だからね。カフェが出来るなら噂を聞くはずだし、そうじゃなくても女の子たちが知ってるなら部活で聞くはず。それが男子しか知らないってどう考えてもおかしいよね。」
「入るぞ。」
龍哉くんがスタスタと店に近づき、ドアを開けた。
「いらっしゃいませ。」
店員さんがにこりと微笑み近づいてくる。綺麗な人だ。抜群のスタイルにおっとりとした癒しの雰囲気、これは男子が通うのも分かる。うんうんと頷いていたら2人が店に入っていったので、追いかける。
「うれしいわ。男の子3人なのね。ご注文は?」
「おすすめのメニューありますか?」
白水くんがにこやかに店員さんと話す。流石、普段女の子たちに囲まれる部活の白水くん。緊張する様子もない。こう並んでみるとやっぱり白水くんと龍哉くん、それぞれが女の子に人気なのも分かる。『一緒にカフェを楽しんでくれる彼氏』と『彼女の頼みだから普段なら入らないカフェに一緒に来てくれる彼氏』って感じだ。こういう特集記事もありか…。頭の中で記事を練る。
「どうぞ。」
店員さんが料理を持ってきた。彩豊かでおしゃれな料理だ。
「野菜たっぷりのキッシュと季節のフルーツのゼリーです。」
にこりと店員さんが笑う。
「あ、あの…」
「?はい。」
僕が声をかけると店員さんが振り返った。
「ちなみに店員さんはお一人でここを?」
「そうなんです〜。あ、私、七美と呼ばれてるので、そう呼んでもらって大丈夫ですよ。」
ふふ、と笑う様子は優しげだ。こくりと頷くと七美さんは満足気にキッチンに戻った。料理を見る。普通の料理に見えるけど、これに何か秘密があるのだろうか。手をつけずに色んな角度で料理を見ていたら、もぐ、と白水くんが一口食べた。
「白水くん!」
「大丈夫だよ。五神と普通の人間じゃ『あやかし』に対する耐性が全然違うから。…うーん、毒とかはないね。おそらく、一口食べるごとにこっちの精気が吸われるようなものだと思う。」
「だな。食べ物自体の旨さと精気が吸われることによる消失感で、食べるのが止まらなくなるんだよ。一口食べると次が食べたくなるのはそれのせいだな。聖仁、お前は食うなよ。」
すん、と龍哉くんも料理の匂いを嗅いでいた。
「料理、どうかしら?お話ししても?」
「あ、どうぞ…」
キッチンから七美さんが出てきた。僕が返事すると、自分の飲み物を置いて、同じテーブルに座る。ちらりと白水くんが龍哉くんを見た。龍哉くんが片眉をあげる。白水くんが七美さんの方を向いて口を開いた。
「ぼくも料理はよくするんですけど…」
「うんうん。」
「ぼくが作る方が美味しいですね。キッシュはパサつきが気になるし、ゼリーはフルーツのカットをもう少し大きめにした方がフルーツの美味しさを引き出せます。」
「…」
白水くんの言葉にピシリと七美さんの笑顔がかたまる。僕はこの空気に気絶しそうだ。
「…心を込めて作ったんだけど…あなたは?美味しくないかしら?」
目をうるうるさせながら、龍哉くんの手を握る。男なら守りたくなる上目遣い。
「料理については何も言わねーけど、許可なく触んな。」
パシッと握られた手を払う龍哉くん。さらにピシリと空気が凍る。
「あ〜…えっと!ここ、男子生徒おすすめの店で!人が集まる秘訣?とかあるんですか!?」
空気に耐えきれず、七美さんに話しかけた。かたまってた七美さんが反応する。
「あら…おすすめなんてうれしいわ。」
うーん、と七美さんが考える仕草をする。
「料理食べてもらって、その後こうやってお話ししたり…そしたら仲良くなって通ってくれる人が多いのよ〜。」
にこりと微笑まれる。
「だからあなたたちも通って、仲良くしてくれたら、うれしいな…♡あら?あなた、まだ食べてないわよね?早く食べてほしいな。」
「あ…え、」
優し気な声にぐらぐらする。でも頭の奥で警鐘が鳴るような感覚。片手はフォークを握り、もう片方の手がぎゅっと鞄を握る。七美さんがにこにこと僕を見る。
「もう来ることねぇよ。」
僕を少し庇うようにして、龍哉くんが席を立った。
「口直しに帰ったら、ぼくが同じメニュー作ろうか?」
煽るように白水くんが言う。七美さんの顔から表情が抜け落ち、少し俯く。
「おい、聖仁、フォーク離せ。」
「え?あ…」
まるで金縛りが解けたように、ぐらぐらする感覚も警鐘も終わる。僕が手放したフォークが床に落ちた。金属特有のカツーンという音が響く。
「「!!」」
「ぐえっ!?」
その瞬間、白水くんに首根っこを引っ張られて後ろに放り投げられる。
「…なんなのよ、あんたら…」
「七美さん?」
七美さんが俯いたまま、ぼそりと言う。
「あんたら!なんなのよ!」
今度は声を張り上げた。ガバッと顔をあげる。その顔は先ほどの穏やかな顔と正反対で…。
『あんたらね!私の魅了が効かないわけ⁉︎少しでも「美人だな〜うわ、貢ぎたい〜」みたいなのはないわけ⁉︎』
七美さんが叫ぶ。
「「ないない。」」
僕以外の2人がふるふると首を振った。
「ぼく、凛ちゃん一筋だから。」
「正直、朱音の方が美人。」
照れ照れと言う白水くん。興味なさそうに答える龍哉くん。七美さんがバッと僕を見る。え、僕?
「あ〜…『あやかし』感あるなって思ってたから、あんまりそういう目では…」
あ、『あやかし』と指摘してしまった。思わず口を押さえると、彼女は般若のような顔になった。
『はぁ!?あなたたち、知ってて此処にきたの?』
叫ぶと同時に七美さんの服装が変わった。先ほどまでは店員らしいエプロン姿だったのに着物になる。元々、綺麗だった見た目には妖艶さが足されたようだ。
「『飛縁魔』、か。」
龍哉くんがつぶやく。聞いたことない名前だ。龍哉くんと目があう。
「飛縁魔、または火の閻魔とも言う。悪い障害をもたらす暗示って言われていて、男を惑わせ身を滅ぼさせる。早死にさせる。血や精気を吸い取るとも言われている。悪女と言われる『あやかし』の一種だな。」
龍哉くんの説明に七美さんがニタリと笑う。
「あなた、詳しいのね?」
「まぁ、こういうことだから。」
龍哉くんの両手に刀が現れる。刀の切先を七美さんにむけた。白水くんの手にも薙刀が握られている。七美さん…いや、飛縁魔がすぅ…と冷たい目をする。
「五神、ね…。はぁ〜ぁ。噂には聞いてたけど、こんなに早く見つかっちゃうなんて。」
やれやれ、とでも言うように首を振った。
「まぁ、色んな人間からちまちま精気を奪うより、五神の精気を奪う方が手間が省けそうね。」
ペロリと舌なめずりをする。
「先手必勝、だな…!」
龍哉くんが刀を振る。
『蒼天への龍驤!』
下から上に昇るような斬撃。飛縁魔が横に飛び、避ける。天井まで届いた攻撃により、バラバラと天井の一部が欠けて落ちてくる。
「青山!何してるんだよ!屋内戦だろ⁉︎頭使いなよ!」
落ちてきた破片を薙刀で払いながら白水くんが叫んだ。
「あ⁉︎文句言ってんじゃねーよ!」
「常々思ってるんだけど、ガサツだよね!」
「馬鹿力の癖になよなよしやがって…」
「そもそも今日のアレだって、ぼくまだ怒ってるんだけど!」
「はぁ!?しつけーやつだな!」
「2人とも!前!」
言い合う2人に叫ぶ。
『天和の大火!』
炎がこちらに襲いかかる。
「天恵の春霖雨!」
龍哉くんのまじないによる雨が炎を消した。
『ふうん?』
飛縁魔がつまらなそうに口を尖らす。
『獅子乱刀!』
白水くんの攻撃を飛縁魔がギリギリのところでかわした。斬撃が店の柱に当たる。ミシリと音を立てる柱。
「おい!お前の方が店を破壊してんだろ!」
「長物だから室内向きじゃないんだよ!」
言い合う龍哉くんと白水くん。この2人、ここに来る時もムスッとしてたけど、大喧嘩中じゃないか。言い合う2人の背後に睨み合う龍と虎が見えるようだ。僕の頭の中の凛さんが「やれやれ。」と肩をすくめる。個性派揃いの五神をまとめる凛さんの苦労に同情した。
『そんな仲間割れの状態で私を倒しにきたの?』
飛縁魔が鼻で笑う。
「はぁ?お前なんてオレだけで十分だっつーの。」
挑発され、青筋をたてる龍哉くん。
『どうかしらね?』
スゥと飛縁魔が目を細めた。
『辻風、炎を纏い空を舞え、魅せられた者、天魔が全て食い尽くす―――』
歌うように飛縁魔が言葉を紡ぐ。
「「‼︎」」
「え…これって……『真言』⁉︎」
飛縁魔の目が炎を宿す。
『火炎地獄!』
さっきとは比にならない炎が店内に広がる。
「な…⁈これまで、『あやかし』が『真言』なんか…」
「よく分からねぇけど…消すしかねぇぞ!」
2人が動揺し、龍哉くんが焦った声で叫ぶ。白水くんが火の粉を薙刀で払いながら頷く。
『天恵の春霖雨!』
『途切れぬ秋黴雨!』
龍哉くんと白水くんが同時に叫んだ。途端に雨が降る。それでも消えない大火が僕らに迫る。
「嘘だろ…」
「これが『あやかし』が使う『真言』の力…?」
龍哉くんと白水くんが目を見開く。
『いつまで、もつかしらね。』
ニヤリと笑う飛縁魔。
「ゔっ…あつい…」
ジリジリと焼ける感覚がする。
「聖仁!」
龍哉くんがこちらに駆け寄ろうとする。
「青山!集中しろ!」
白水くんが叫ぶ。
「っ!あつっ‼︎」
駆け寄ろうとする龍哉くんを炎が遮る。ダンッ‼︎と音がした。音の方を見ると白水くんが石突を地面に当てた音だった。
『竹に虎、咆哮よ吹き迷え、あからしまかぜ―――』
早口に唱える白水くんの瞳がアイスブルーに輝く。その瞳を見て龍哉くんが足を止め、目を瞑った。
『龍の玉、願うは―――…っ!』
『そうはさせるもんですか!』
飛縁魔が龍哉くんの方に来ようとした。龍哉くんの『真言』が一瞬、止まる。そのとき、チャリと音がした。球技大会のときも助けてくれたあの音。彼を思い出した。こんなとき、彼がいれば…。僕は鞄ごとそれを掴む。
「っ!お願い!助けて!」
どうにかなれ、と鞄を投げる。返事をするようにチャリチャリと鳴る鈴。飛縁魔が、飛んできた鞄を手で叩き落とす。
『パキパキパキ…‼︎』
『きゃっ⁉︎』
「「「⁉︎」」」
鞄が落ちた瞬間に、冷気が立ち込めた。いるはずのない彼の存在を感じる。その冷気は、飛縁魔の足ごと地面を凍らせた。
『なっ⁉︎その子、もしや、玄武…⁉︎』
「えっ⁉︎いや…」
「武…?」
白水くんを見ると『まじない』のために薙刀を構えたまま、凍った地面を見ている。龍哉くんも目を見開いている。何が起きたか分からない…でも、今は
「龍哉くん!続けて!」
ハッとした龍哉くんが目をぎゅっと瞑り、『真言』を紡いだ。
『…っ、全てを消し流す、篠突く雨―――』
龍哉くんが目を開く。蒼色に輝く瞳。
『『つきづきし雲龍風虎!』』
暴風が吹き、冷たく突き刺しそうな雨が、店内に降る。
『きゃぁぁあ⁉︎』
飛縁魔の悲鳴。雨で視界が真っ白になったあとその姿が見える。炎が消え、足元の氷は雨の勢いに溶けていた。大雨の後の濡れた着物が飛縁魔の動きを鈍らせる。
「青山、頼んだ!」
「っしゃ‼︎」
白水くんの言葉に龍哉くんが走り出す。
『勝色の飛雨‼︎』
雨に濡れた店内をものともせず、跳ね上がる。激しく叩きこんだ剣筋は飛縁魔を捉える。
『ぎゃぁぁぁぁあ‼︎』
人型といえど『あやかし』。切り裂かれたにも関わらず、血ではなく黒々とした煙が出ていた。そのままどろりと形を変える。雨と共にどろりと流れる黒。
「終わった…」
白水くんが言った。僕は鞄を拾い、全体を触ったけど、何も変わったところは無かった。
3人で並んで帰る。
「ところで2人の喧嘩の理由はなんだったの?」
「あ〜…」
僕に聞かれた龍哉くんが頭をガシガシとかいた。
「聞いてよ‼︎」
白水くんが僕の肩をガシッと掴む。痛い痛い。肩がとれる!やんわり手を離すようにぺしぺしと手を叩いた。白水くんが僕の肩を解放する。
「凛ちゃんに作った生キャラメルを青山が食べたんだよ!」
白水くんがうるうると目を潤ませて訴える。龍哉くんが舌打ちをした。
「食ったのは悪いと思ってるけど、謝ったのにキャメルクラッチきめてきたやつが被害者ぶるなよ。なんだよ、あの『そんなにキャラメルが好きならくれてやるよ!』って。キャメルはラクダだろ。そういう問題でもねーけど。」
キャメルクラッチをきめる白水くんを想像する。白水くんは手加減したんだろうけど、白水くんの怪力を考えると龍哉くんは首がもげるような思いをしただろう…。また言い争いを始めそうな2人を止めるため、話題を変える。
「そういえば、通ってた人たちはどうなるの?」
「明日にでも来たら、店が潰れたってことになるはず。」
ちらりとスマホを確認して龍哉くんが言う。
「がっかりする人も多そう。」
「まぁ、精気が吸い尽くされるよりはいいだろ。」
「いかにも男を惑わす『あやかし』だったね。『あやかし』じゃなければ、人気カフェとして取材したかったなぁ。」
僕が言うと白水くんが、あぁ…と同意の相槌を打つ。
「色っぽい『あやかし』って定番だよね〜。」
「まぁ、よく聞く話ではあるよな。聖仁も気をつけろよ?」
「『あやかし』じゃなくても美人で怖い人がいることを知ってるから…」
僕が言うと2人は空を見つめた。
「「確かに…。」」
おそらく3人とも想像したのは同じ人だと思う。
「遅いじゃない。凛が待ってるわよ。」
『あやかし』にも負けない怖い美人に出迎えられる。龍哉くんが朱音さんを指さしたので、手を叩く。やめろやめろ。
「お疲れ〜。紅茶用意してるよ。」
隠し部屋に入ると凛さんが紅茶を用意しながら待ってくれていた。
「あの2人、だいじょぶだった?」
凛さんが僕にコソッと聞いてくる。僕は力なく笑った。凛さんがポンポンと労るように僕の肩を叩いた。
「…。」
「なによ、龍哉。」
テーブルの方を見ると、龍哉くんは桃の香りがする紅茶を飲み、朱音さんを見ていた。
「ん〜…改めて見ると美人っちゃ美人だけど、色気はないよな。」
かちゃり、とカップを置いて、一言言った瞬間に龍哉くんは吹っ飛んだ。吹っ飛んだ龍哉くんを目で追うと、朱音さんが龍哉くんに馬乗りになって弓を向けている。
「朱音さん、抑えて!?龍哉くんが100%悪いけど、それはダメだって!」
「放しなさい!龍哉なら矢の1本や2本刺さっても大丈夫よ!」
「何すんだよ!流石に大丈夫じゃねーよ!」
「落ち着いてぇぇえ!」
後ろから引き剥がそうとするが、僕では朱音さんの力に敵わない。少し離れて凛さんと白水くんが話している。
「晶、今回は人間の女性に化けた『あやかし』だったそうだね。」
「美人ではあったけど、凛ちゃんの方が可愛いかったよ〜」
「龍哉の話す限り、色っぽいあやかしだったんだ?」
「まぁ…でも凛ちゃんの方がぼくは好きだな。安心感があって…」
白水くんは凛さんの全身をチラリと見た。
「今、どこ見たの?」
凛さんの穏やかな表情が抜け落ち、顔に影がさす。それはおそらく余計な一言に対しての怒りの感情で…。そして、僕が手を離した瞬間に、朱音さんは弓を手放し右手を振り上げた。それは凛さんが手を振り上げたのと同時で。
「「色っぽいあやかしと比べるんじゃない/わよ!!!」」
『『バチーン!!!』』
見事にシンクロした怒号とビンタの音が部屋に響いた。なんで2人とも怒らせちゃうんだ。僕はその光景から目を逸らした。
運動部も帰る時間帯。
「なんで、まだ明かりがついてるんだ。遅いんだから、そろそろ閉めるぞ。」
ガラリと部活終わりの武くんが隠し部屋に入ってきた。
「っと、なんだお前ら…」
武くんの視線は龍哉くんと白水くんの頬の見事な紅葉に向けられていた。
「チッ。」
「いや〜…。褒めてたんだけどな〜?」
龍哉くんと白水くんが気まずそうに目を逸らした。武くんが僕を見る。僕はふるふると首を振るだけだった。似ていないようでやっぱり似ていて、でも似ていない気がする龍哉くんと白水くんの頬の紅葉は次の日になっても治っていなかった。
「…えーと。」
気まずい空気に押しつぶされそうだ。
時は遡ること30分前。僕はいつもの隠し部屋で凛さんに気になる噂の話をしていた。
「男子生徒が通う怪しいお店がある?ズビッ…ごめ、ティッシュ取って。」
「うん。はい、ティッシュ。」
「ズビィィイ‼︎…何それ、えっちな話?やめてよ。」
「違うよ⁉︎」
凛さんの言葉に声を荒げる。あ、やば、ティッシュの箱、ちょっと潰しちゃった。ズビズビと鼻をかみながら凛さんが話を聞く。
「で?通ってる生徒たちはお店に行っては放心状態になり、また行ってを繰り返してるって?」
「うん。気になった他の生徒が跡をつけて行っては同じようになってるんだってさ。」
「へぇ…それは気になるね…えぶちっ‼︎」
凛さんがくしゃみをする。もう一度ティッシュを差し出すと凛さんが箱ごと受け取った。
「ゔ〜ん…ズッ…」
「田浦くんが皆が向かう場所を教えてくれたんだよね。」
田浦くんの妹の保育園がある方向らしい。妹のお迎えに行く途中で何人もの男子生徒がふらふら歩いて行く様子をみたと言っていた。
「上の学年で話題になってたわね。それ。」
朱音さんが凛さんの前にお茶を置く。ふわりと生姜の匂いがした。ジンジャーティーのようだ。
「そうなんだ。ズビ…それは見に行った方がいいね…くしゅんっ‼︎」
くしゃみをしてから、ぐびりとジンジャーティーを飲む凛さん。
「って思ったんだけど…凛さん、不調だよね?」
「どう見てもそうでしょ。」
朱音さんにピシャリと言われる。
「や〜…球技大会で汗かいてから、そのままにしてたから冷えちゃったのかな?…へぷしゅっ!」
ん〜…と凛さんが考え込む。ぽいっとゴミ箱めがけて投げたティッシュは微妙に方向がそれて外しそうになったけど、朱音さんがゴミ箱を足で動かすことによってキャッチする。
「今日は武いないしなぁ〜…偵察なら男子の方がいいよね…。男子ばっかなのに急に女子が行ったら警戒されるかもだし。」
むぐぐ…とティッシュで鼻を抑えながら、凛さんがちらりとキッチンを見た。そのあとに少し離れた机で刀を磨く龍哉くんを見る。
「…。」
「え、龍哉くんと白水くんはダメなの?」
黙り込む凛さんに聞く。
「行かせたらいいわよ。」
朱音さんが凛さんに言う。凛さんが席を立った。
「ね〜あきら〜」
トテテ…とキッチンに入っていく。残された朱音さんが龍哉くんの前に立つ。
「準備して。」
「はぁ〜?オレ?」
「話聞いてたでしょ。四方のご指名よ。」
龍哉くんがチラとこちらを見た。「ごめん。」と「お願い。」の両方の意味を込めて両手を合わせる。
「は・や・く。」
朱音さんが言うと龍哉くんがため息をついた。
「はぁ…へいへい、準備しますよ。」
カチャと刀を鞘にしまう。満足そうに頷く朱音さん。キッチンから凛さんと白水くんが出てくる。
「「…」」
白水くんと龍哉くんが無言で準備する。ズビビ…と凛さんが鼻をかむ音が響く。
「凛ちゃん、ジンジャーティー入れ直せるようにセットしてるから。暖かくしとくんだよ。帰っててもいいからね。」
無言だった白水くんが、部屋を出る前に凛さんに話しかける。
「ありがと。3人とも気をつけるんだよ。」
「あいよ。ほら聖仁、行くぞ。」
龍哉くんが僕を呼ぶ。僕たちは噂の店に向かった。
というのが30分前の出来事だ。
「「…」」
「…えーと。」
無言が続く、気まずい空気に押しつぶされそうになりながら道を確認する。うん、この辺りなはずだ。
「あ、あれかも。」
可愛らしい雰囲気ながらあまり人目に触れなさそうなカフェを指さす。そこにはフルーツや野菜のデザインの看板があった。
「あぁ、間違いないね。」
白水くんが言った。
「え。」
僕の視線に気づいた白水くんが少しムッとする。
「あ。こいつ『あやかし』見つけるの下手なくせになんで分かるの?って思ったでしょ。」
「いやいやいや…」
図星だ。龍哉くんならまだしも白水くんがなんで。
「ぼく、このあたりのカフェなら全部知ってるはずなのに。このカフェ、出来たって噂も聞いてないからさ。」
「あぁ…」
「実家がケーキ屋だからね。カフェが出来るなら噂を聞くはずだし、そうじゃなくても女の子たちが知ってるなら部活で聞くはず。それが男子しか知らないってどう考えてもおかしいよね。」
「入るぞ。」
龍哉くんがスタスタと店に近づき、ドアを開けた。
「いらっしゃいませ。」
店員さんがにこりと微笑み近づいてくる。綺麗な人だ。抜群のスタイルにおっとりとした癒しの雰囲気、これは男子が通うのも分かる。うんうんと頷いていたら2人が店に入っていったので、追いかける。
「うれしいわ。男の子3人なのね。ご注文は?」
「おすすめのメニューありますか?」
白水くんがにこやかに店員さんと話す。流石、普段女の子たちに囲まれる部活の白水くん。緊張する様子もない。こう並んでみるとやっぱり白水くんと龍哉くん、それぞれが女の子に人気なのも分かる。『一緒にカフェを楽しんでくれる彼氏』と『彼女の頼みだから普段なら入らないカフェに一緒に来てくれる彼氏』って感じだ。こういう特集記事もありか…。頭の中で記事を練る。
「どうぞ。」
店員さんが料理を持ってきた。彩豊かでおしゃれな料理だ。
「野菜たっぷりのキッシュと季節のフルーツのゼリーです。」
にこりと店員さんが笑う。
「あ、あの…」
「?はい。」
僕が声をかけると店員さんが振り返った。
「ちなみに店員さんはお一人でここを?」
「そうなんです〜。あ、私、七美と呼ばれてるので、そう呼んでもらって大丈夫ですよ。」
ふふ、と笑う様子は優しげだ。こくりと頷くと七美さんは満足気にキッチンに戻った。料理を見る。普通の料理に見えるけど、これに何か秘密があるのだろうか。手をつけずに色んな角度で料理を見ていたら、もぐ、と白水くんが一口食べた。
「白水くん!」
「大丈夫だよ。五神と普通の人間じゃ『あやかし』に対する耐性が全然違うから。…うーん、毒とかはないね。おそらく、一口食べるごとにこっちの精気が吸われるようなものだと思う。」
「だな。食べ物自体の旨さと精気が吸われることによる消失感で、食べるのが止まらなくなるんだよ。一口食べると次が食べたくなるのはそれのせいだな。聖仁、お前は食うなよ。」
すん、と龍哉くんも料理の匂いを嗅いでいた。
「料理、どうかしら?お話ししても?」
「あ、どうぞ…」
キッチンから七美さんが出てきた。僕が返事すると、自分の飲み物を置いて、同じテーブルに座る。ちらりと白水くんが龍哉くんを見た。龍哉くんが片眉をあげる。白水くんが七美さんの方を向いて口を開いた。
「ぼくも料理はよくするんですけど…」
「うんうん。」
「ぼくが作る方が美味しいですね。キッシュはパサつきが気になるし、ゼリーはフルーツのカットをもう少し大きめにした方がフルーツの美味しさを引き出せます。」
「…」
白水くんの言葉にピシリと七美さんの笑顔がかたまる。僕はこの空気に気絶しそうだ。
「…心を込めて作ったんだけど…あなたは?美味しくないかしら?」
目をうるうるさせながら、龍哉くんの手を握る。男なら守りたくなる上目遣い。
「料理については何も言わねーけど、許可なく触んな。」
パシッと握られた手を払う龍哉くん。さらにピシリと空気が凍る。
「あ〜…えっと!ここ、男子生徒おすすめの店で!人が集まる秘訣?とかあるんですか!?」
空気に耐えきれず、七美さんに話しかけた。かたまってた七美さんが反応する。
「あら…おすすめなんてうれしいわ。」
うーん、と七美さんが考える仕草をする。
「料理食べてもらって、その後こうやってお話ししたり…そしたら仲良くなって通ってくれる人が多いのよ〜。」
にこりと微笑まれる。
「だからあなたたちも通って、仲良くしてくれたら、うれしいな…♡あら?あなた、まだ食べてないわよね?早く食べてほしいな。」
「あ…え、」
優し気な声にぐらぐらする。でも頭の奥で警鐘が鳴るような感覚。片手はフォークを握り、もう片方の手がぎゅっと鞄を握る。七美さんがにこにこと僕を見る。
「もう来ることねぇよ。」
僕を少し庇うようにして、龍哉くんが席を立った。
「口直しに帰ったら、ぼくが同じメニュー作ろうか?」
煽るように白水くんが言う。七美さんの顔から表情が抜け落ち、少し俯く。
「おい、聖仁、フォーク離せ。」
「え?あ…」
まるで金縛りが解けたように、ぐらぐらする感覚も警鐘も終わる。僕が手放したフォークが床に落ちた。金属特有のカツーンという音が響く。
「「!!」」
「ぐえっ!?」
その瞬間、白水くんに首根っこを引っ張られて後ろに放り投げられる。
「…なんなのよ、あんたら…」
「七美さん?」
七美さんが俯いたまま、ぼそりと言う。
「あんたら!なんなのよ!」
今度は声を張り上げた。ガバッと顔をあげる。その顔は先ほどの穏やかな顔と正反対で…。
『あんたらね!私の魅了が効かないわけ⁉︎少しでも「美人だな〜うわ、貢ぎたい〜」みたいなのはないわけ⁉︎』
七美さんが叫ぶ。
「「ないない。」」
僕以外の2人がふるふると首を振った。
「ぼく、凛ちゃん一筋だから。」
「正直、朱音の方が美人。」
照れ照れと言う白水くん。興味なさそうに答える龍哉くん。七美さんがバッと僕を見る。え、僕?
「あ〜…『あやかし』感あるなって思ってたから、あんまりそういう目では…」
あ、『あやかし』と指摘してしまった。思わず口を押さえると、彼女は般若のような顔になった。
『はぁ!?あなたたち、知ってて此処にきたの?』
叫ぶと同時に七美さんの服装が変わった。先ほどまでは店員らしいエプロン姿だったのに着物になる。元々、綺麗だった見た目には妖艶さが足されたようだ。
「『飛縁魔』、か。」
龍哉くんがつぶやく。聞いたことない名前だ。龍哉くんと目があう。
「飛縁魔、または火の閻魔とも言う。悪い障害をもたらす暗示って言われていて、男を惑わせ身を滅ぼさせる。早死にさせる。血や精気を吸い取るとも言われている。悪女と言われる『あやかし』の一種だな。」
龍哉くんの説明に七美さんがニタリと笑う。
「あなた、詳しいのね?」
「まぁ、こういうことだから。」
龍哉くんの両手に刀が現れる。刀の切先を七美さんにむけた。白水くんの手にも薙刀が握られている。七美さん…いや、飛縁魔がすぅ…と冷たい目をする。
「五神、ね…。はぁ〜ぁ。噂には聞いてたけど、こんなに早く見つかっちゃうなんて。」
やれやれ、とでも言うように首を振った。
「まぁ、色んな人間からちまちま精気を奪うより、五神の精気を奪う方が手間が省けそうね。」
ペロリと舌なめずりをする。
「先手必勝、だな…!」
龍哉くんが刀を振る。
『蒼天への龍驤!』
下から上に昇るような斬撃。飛縁魔が横に飛び、避ける。天井まで届いた攻撃により、バラバラと天井の一部が欠けて落ちてくる。
「青山!何してるんだよ!屋内戦だろ⁉︎頭使いなよ!」
落ちてきた破片を薙刀で払いながら白水くんが叫んだ。
「あ⁉︎文句言ってんじゃねーよ!」
「常々思ってるんだけど、ガサツだよね!」
「馬鹿力の癖になよなよしやがって…」
「そもそも今日のアレだって、ぼくまだ怒ってるんだけど!」
「はぁ!?しつけーやつだな!」
「2人とも!前!」
言い合う2人に叫ぶ。
『天和の大火!』
炎がこちらに襲いかかる。
「天恵の春霖雨!」
龍哉くんのまじないによる雨が炎を消した。
『ふうん?』
飛縁魔がつまらなそうに口を尖らす。
『獅子乱刀!』
白水くんの攻撃を飛縁魔がギリギリのところでかわした。斬撃が店の柱に当たる。ミシリと音を立てる柱。
「おい!お前の方が店を破壊してんだろ!」
「長物だから室内向きじゃないんだよ!」
言い合う龍哉くんと白水くん。この2人、ここに来る時もムスッとしてたけど、大喧嘩中じゃないか。言い合う2人の背後に睨み合う龍と虎が見えるようだ。僕の頭の中の凛さんが「やれやれ。」と肩をすくめる。個性派揃いの五神をまとめる凛さんの苦労に同情した。
『そんな仲間割れの状態で私を倒しにきたの?』
飛縁魔が鼻で笑う。
「はぁ?お前なんてオレだけで十分だっつーの。」
挑発され、青筋をたてる龍哉くん。
『どうかしらね?』
スゥと飛縁魔が目を細めた。
『辻風、炎を纏い空を舞え、魅せられた者、天魔が全て食い尽くす―――』
歌うように飛縁魔が言葉を紡ぐ。
「「‼︎」」
「え…これって……『真言』⁉︎」
飛縁魔の目が炎を宿す。
『火炎地獄!』
さっきとは比にならない炎が店内に広がる。
「な…⁈これまで、『あやかし』が『真言』なんか…」
「よく分からねぇけど…消すしかねぇぞ!」
2人が動揺し、龍哉くんが焦った声で叫ぶ。白水くんが火の粉を薙刀で払いながら頷く。
『天恵の春霖雨!』
『途切れぬ秋黴雨!』
龍哉くんと白水くんが同時に叫んだ。途端に雨が降る。それでも消えない大火が僕らに迫る。
「嘘だろ…」
「これが『あやかし』が使う『真言』の力…?」
龍哉くんと白水くんが目を見開く。
『いつまで、もつかしらね。』
ニヤリと笑う飛縁魔。
「ゔっ…あつい…」
ジリジリと焼ける感覚がする。
「聖仁!」
龍哉くんがこちらに駆け寄ろうとする。
「青山!集中しろ!」
白水くんが叫ぶ。
「っ!あつっ‼︎」
駆け寄ろうとする龍哉くんを炎が遮る。ダンッ‼︎と音がした。音の方を見ると白水くんが石突を地面に当てた音だった。
『竹に虎、咆哮よ吹き迷え、あからしまかぜ―――』
早口に唱える白水くんの瞳がアイスブルーに輝く。その瞳を見て龍哉くんが足を止め、目を瞑った。
『龍の玉、願うは―――…っ!』
『そうはさせるもんですか!』
飛縁魔が龍哉くんの方に来ようとした。龍哉くんの『真言』が一瞬、止まる。そのとき、チャリと音がした。球技大会のときも助けてくれたあの音。彼を思い出した。こんなとき、彼がいれば…。僕は鞄ごとそれを掴む。
「っ!お願い!助けて!」
どうにかなれ、と鞄を投げる。返事をするようにチャリチャリと鳴る鈴。飛縁魔が、飛んできた鞄を手で叩き落とす。
『パキパキパキ…‼︎』
『きゃっ⁉︎』
「「「⁉︎」」」
鞄が落ちた瞬間に、冷気が立ち込めた。いるはずのない彼の存在を感じる。その冷気は、飛縁魔の足ごと地面を凍らせた。
『なっ⁉︎その子、もしや、玄武…⁉︎』
「えっ⁉︎いや…」
「武…?」
白水くんを見ると『まじない』のために薙刀を構えたまま、凍った地面を見ている。龍哉くんも目を見開いている。何が起きたか分からない…でも、今は
「龍哉くん!続けて!」
ハッとした龍哉くんが目をぎゅっと瞑り、『真言』を紡いだ。
『…っ、全てを消し流す、篠突く雨―――』
龍哉くんが目を開く。蒼色に輝く瞳。
『『つきづきし雲龍風虎!』』
暴風が吹き、冷たく突き刺しそうな雨が、店内に降る。
『きゃぁぁあ⁉︎』
飛縁魔の悲鳴。雨で視界が真っ白になったあとその姿が見える。炎が消え、足元の氷は雨の勢いに溶けていた。大雨の後の濡れた着物が飛縁魔の動きを鈍らせる。
「青山、頼んだ!」
「っしゃ‼︎」
白水くんの言葉に龍哉くんが走り出す。
『勝色の飛雨‼︎』
雨に濡れた店内をものともせず、跳ね上がる。激しく叩きこんだ剣筋は飛縁魔を捉える。
『ぎゃぁぁぁぁあ‼︎』
人型といえど『あやかし』。切り裂かれたにも関わらず、血ではなく黒々とした煙が出ていた。そのままどろりと形を変える。雨と共にどろりと流れる黒。
「終わった…」
白水くんが言った。僕は鞄を拾い、全体を触ったけど、何も変わったところは無かった。
3人で並んで帰る。
「ところで2人の喧嘩の理由はなんだったの?」
「あ〜…」
僕に聞かれた龍哉くんが頭をガシガシとかいた。
「聞いてよ‼︎」
白水くんが僕の肩をガシッと掴む。痛い痛い。肩がとれる!やんわり手を離すようにぺしぺしと手を叩いた。白水くんが僕の肩を解放する。
「凛ちゃんに作った生キャラメルを青山が食べたんだよ!」
白水くんがうるうると目を潤ませて訴える。龍哉くんが舌打ちをした。
「食ったのは悪いと思ってるけど、謝ったのにキャメルクラッチきめてきたやつが被害者ぶるなよ。なんだよ、あの『そんなにキャラメルが好きならくれてやるよ!』って。キャメルはラクダだろ。そういう問題でもねーけど。」
キャメルクラッチをきめる白水くんを想像する。白水くんは手加減したんだろうけど、白水くんの怪力を考えると龍哉くんは首がもげるような思いをしただろう…。また言い争いを始めそうな2人を止めるため、話題を変える。
「そういえば、通ってた人たちはどうなるの?」
「明日にでも来たら、店が潰れたってことになるはず。」
ちらりとスマホを確認して龍哉くんが言う。
「がっかりする人も多そう。」
「まぁ、精気が吸い尽くされるよりはいいだろ。」
「いかにも男を惑わす『あやかし』だったね。『あやかし』じゃなければ、人気カフェとして取材したかったなぁ。」
僕が言うと白水くんが、あぁ…と同意の相槌を打つ。
「色っぽい『あやかし』って定番だよね〜。」
「まぁ、よく聞く話ではあるよな。聖仁も気をつけろよ?」
「『あやかし』じゃなくても美人で怖い人がいることを知ってるから…」
僕が言うと2人は空を見つめた。
「「確かに…。」」
おそらく3人とも想像したのは同じ人だと思う。
「遅いじゃない。凛が待ってるわよ。」
『あやかし』にも負けない怖い美人に出迎えられる。龍哉くんが朱音さんを指さしたので、手を叩く。やめろやめろ。
「お疲れ〜。紅茶用意してるよ。」
隠し部屋に入ると凛さんが紅茶を用意しながら待ってくれていた。
「あの2人、だいじょぶだった?」
凛さんが僕にコソッと聞いてくる。僕は力なく笑った。凛さんがポンポンと労るように僕の肩を叩いた。
「…。」
「なによ、龍哉。」
テーブルの方を見ると、龍哉くんは桃の香りがする紅茶を飲み、朱音さんを見ていた。
「ん〜…改めて見ると美人っちゃ美人だけど、色気はないよな。」
かちゃり、とカップを置いて、一言言った瞬間に龍哉くんは吹っ飛んだ。吹っ飛んだ龍哉くんを目で追うと、朱音さんが龍哉くんに馬乗りになって弓を向けている。
「朱音さん、抑えて!?龍哉くんが100%悪いけど、それはダメだって!」
「放しなさい!龍哉なら矢の1本や2本刺さっても大丈夫よ!」
「何すんだよ!流石に大丈夫じゃねーよ!」
「落ち着いてぇぇえ!」
後ろから引き剥がそうとするが、僕では朱音さんの力に敵わない。少し離れて凛さんと白水くんが話している。
「晶、今回は人間の女性に化けた『あやかし』だったそうだね。」
「美人ではあったけど、凛ちゃんの方が可愛いかったよ〜」
「龍哉の話す限り、色っぽいあやかしだったんだ?」
「まぁ…でも凛ちゃんの方がぼくは好きだな。安心感があって…」
白水くんは凛さんの全身をチラリと見た。
「今、どこ見たの?」
凛さんの穏やかな表情が抜け落ち、顔に影がさす。それはおそらく余計な一言に対しての怒りの感情で…。そして、僕が手を離した瞬間に、朱音さんは弓を手放し右手を振り上げた。それは凛さんが手を振り上げたのと同時で。
「「色っぽいあやかしと比べるんじゃない/わよ!!!」」
『『バチーン!!!』』
見事にシンクロした怒号とビンタの音が部屋に響いた。なんで2人とも怒らせちゃうんだ。僕はその光景から目を逸らした。
運動部も帰る時間帯。
「なんで、まだ明かりがついてるんだ。遅いんだから、そろそろ閉めるぞ。」
ガラリと部活終わりの武くんが隠し部屋に入ってきた。
「っと、なんだお前ら…」
武くんの視線は龍哉くんと白水くんの頬の見事な紅葉に向けられていた。
「チッ。」
「いや〜…。褒めてたんだけどな〜?」
龍哉くんと白水くんが気まずそうに目を逸らした。武くんが僕を見る。僕はふるふると首を振るだけだった。似ていないようでやっぱり似ていて、でも似ていない気がする龍哉くんと白水くんの頬の紅葉は次の日になっても治っていなかった。



