「アタシは本当にあんたがしたいと思った時にすればいいと思うよ」

 その動画が終わり次が始まろうとしていると、空さんは隣でさっきの話の続きを話し始めた。

「多分、他の人には分からないと思う。陽咲を――そんな人を失ったこの気持ちは。心に大きな穴が開いてしまって……。でもそれを埋める術は分からなくて。どれだけ泣いても、時間が経っても。ずっとぽっかり開いたまま。想像するだけじゃ足りない。実際に味わわないと、分かるはずも無い」

 空さんはそう言って手を胸に当てた。

「悶えるようなこの痛みも、涙ですら吐き出せないこの苦しみも、押し潰されそうなこの絶望も」

 今まさにそれらを堪えるように力の籠った声。それと同じくらい服を握り潰さんと力の入った手。

「何かで誤魔化してないと陽咲がいない世界を感じて頭がおかしくなっちゃいそうになる。でも陽咲を忘れる事なんてしたくなくて。でも陽咲との想い出にある幸せに縋りたくて。でもそうすると陽咲がいなくなったって事を思い出す。――苦しいとか辛いとかもうそんなんじゃない」

 すると空さんは握り締めていた手を緩め、嘆息を零した。

「もういっそ殺して欲しいとさえ思っちゃう」

 少しの間を空け、彼女は僕の顔を見た。力の抜けた双眸は飲み過ぎたアルコールで多少なりとも恍惚としており、それが彼女を少し弱々しく感じさせた。

「でも多分、あんたの抱えてるものはアタシにも分からない程なんだろうね。誰よりも一番、苦しんでると思うよ」

 それは共感とも違う。分かってもらえた、というより――共有に近いのかもしれない。これまで陽咲という存在を共有出来たように多分、この苦しみの共有が出来たような気がした。そのお陰で何だかこの苦しみが自分一人で抱えている訳じゃないような気もして、少しだけ楽になれた気がする。はっきりとは言えないけど、そんな感覚だった。

「ありがとう」

 だからだろう自然とお礼が口から出ていたのは。

「だからまぁ、あんまり気にしなくていいと思うけどね。それに別の誰かってそう簡単に見つからない。でしょ?」
「うん」
「あんたとは違うんだろうけど、アタシもさ代わりの誰かを見つけようとしたんだよね。あんたと陽咲が結婚した時も陽咲がいなくなった時にも。どうにかしてでも誤魔化したかったって言うか、忘れたかった。それくらい耐えられなかったから。色んな男と付き合ったり、中途半端な関係続けたり。でも全然ダメだった。代わりも別も見つかる気がしない。それぐらい大きくて特別な存在だったからね」

 それが人を愛するという事への代償なんだろうか。人を心から愛する事で得られる幸せは余りにも大きくて深い。でも逆にその人を失った時の悲しみも余りにも大きくて深い。僕らは知らぬ間にそんな巨大なリスクを背負って誰かを愛しているのかもしれない。
 その人じゃないとダメだからこそ、その愛は特別で何にも勝る。でもそれを失った時、僕らにはどうする事も出来ない。無抵抗の赤子同然だ。
 そう言う意味では、愛とは諸刃の剣なのかもしれない。
 そして僕は正に大きな傷を負った。

「でもその人達はあんたの事をちゃんと心配してるんだと思う。だからそんな事言うんだよ。沈んでるあんたにどうにか元気になってもらいたくてさ。それに心配する方も大変だし。だから、言葉は悪くなっちゃうけど、自分勝手にそれがあんたにとって良いって思って言ってるだと思うけどね。――まぁ、つまり。気持ちだけ有難く受け取ってあんたの自由にすればいいんじゃない? それも含めてあんた次第な訳だし」

 僕は頭をソファへ倒し天井を見上げた。

「もし陽咲がここに現れたとして、周りと同じ事を言ってきたら。――それも彼女の自分勝手なのかな?」

 天井を見上げながら僕は空さんには内緒の陽咲を思い出していた。空さんの言ってる事が正しいのなら、陽咲もそうなのかと。

「違うよ。陽咲だけは違うよ」

 別に何かを予想してた訳じゃないけど、そんな返事が返ってくるとは思わなくて空さんの方へと意味を問うように視線を向けた。

「だって――陽咲はあんたの事、誰よりも愛してたから。ホントに、悔しいぐらいにさ」

 そう言う空さんは本気で悔しがってるって言うより、清々しい感じだった。

「それによくあんたの話してたし。お酒が入ったら特にね。こういう事があっただとか、こういうとこが良いだとか、こんなとこが好きだとか。幸せモード全開でよく喋ってったよ」
「ごめん」

 自分じゃないにしろ自分との惚気話を聞かせて申し訳ない――というよりそれは空さんの想いを知ってるからこそ、そんな話を聞かされる彼女に対しての心苦しさだった。

「いや、どちらかと言えば悪いのは伝えてないアタシだし。それを知らなかったら言いたくなるでしょ。それに陽咲は昔から小さくても嬉しい事があったら大袈裟なぐらいに話してたし。あのパンが美味しかったとか、今日はあのドラマがやるだとか。何気ない事をね」

 その数々を思い出しているのか空さんは頬を緩めながらお酒を一口。

「それに、正直最初はまたあんたの話かってって思ってたけどさ。話を聞いてる内に――幸せそうな陽咲の顔見てる内に、段々と何だかアタシまで心地好くなってくるんだよね。悔しいけど、アタシには向けてくれないような表情をあんたの話をしてる時は浮かべてる。――買い物とかに行った時なんかも、あんたに買ってたら喜ぶかなとか、あんたがこーゆーの欲しがってたとか」

 すると空さんは依然とソファに寝そべらせた僕の顔へ視線を合わせた。

「つまり陽咲の頭の中はあんたの事で一杯ってわけ」

 そう言いながら缶を持った手の指で蟀谷当たりをトントンと叩いた。

「好きでたまらないんだよ。あんたの事が」

 顔を戻しもう一度お酒を挟む空さん。

「――だから陽咲はあんたの幸せを心から願ってると思う。願ってるからこそ、自分が一番愛してる人が自分じゃない他の誰かを愛して愛されてもいいって思ってるんじゃない。それでその人が幸せならね。もう自分は何もしてあげられない訳だしさ」

 それは少しだけ彼女自身の事を言っているようにも思えた。彼女もそうやって自分の気持ちを押し殺していたのかもしれないと。

「空さんもそうだったの?」

 もしお酒が入ってなかったら思っただけかもしれないけど、気が付けば僕は呟くように尋ねていた。

「アタシは……違うんじゃない。もしそうだったら多分、もっとあんたと三人で色々としてただろうし。だってそれが陽咲の一番の幸せに繋がる訳だから。でもそうしなかった時点でそうじゃないのかも」
「だけど別に不幸にしてる訳じゃないんだし、そうやってちゃんと自分の幸せっていうか不幸にしないようにするっていうのも大事なんじゃない」
「――まぁとにかく。陽咲がどう思ってるかなんて分かんない訳だし。それに……もういない訳だから、あんたは自分の為にどうするか選べば」

 この話をさっさと終わらせるように空さんはそう結論を口にすると、残りのお酒を一気に呑みほした。

「そうだね」

 自分の為にどうするか。そう言われても今は分からない。
 でもやっぱり新しい誰かを見つけるとかそう言うのはいいのかも。
 なんて思いながらも今の僕の頭を埋め尽くしていたのはあの出来事だった。亡くなってもなお僕の事を心配してくれてる陽咲に――こんなにも僕の事を愛してくれてる彼女に、あんな思いをさせてしまうなんて。動画で陽咲との想い出を懐かしみながらも、空さんの話で陽咲の愛を感じながらも心に刺さった悔恨の棘が鼓動に痛みを乗せる。
 それは自分の事よりも痛く、彼女を愛してるからこその苦しみ。
 僕は残りのお酒を飲み干すと共に心に誓った。