ダーツを楽しんだ後は、バーカウンターへと移動し今度はゆっくりとお酒を楽しむ。話題はさっきやったダーツからビリヤード、そこからスポーツへと移り、最終的には陽咲の話へ。
 この前は聞いてばかりだったが、今回は僕も彼女の話をしては聞かせてあげた。流石は陽咲とは長い付き合いだけあって、僕の話に空さんは納得したように頷く事が何度もあった。それに同じような事が昔あったと話をしてくれたりも。話をする空さんは表情を懐古色に染めながら、その瞬間と繋がっているように笑みを浮かべていた。その表情を見ているだけで自然と彼女と一緒に笑う陽咲が思い浮かぶ。
 他の話もそれなりに楽しかったけど、やっぱり陽咲の話が一番盛り上がった気がする。話題は尽きる事無く、話題の彼女へ変わってから結局は最後までずっとそれが続いた。気が付けば終電が近づいてたって感じだ。

「今度はビリヤードとか教えてよ」
「別にいいよ」
「それじゃあまた」

 軽く手を上げて返した空さんはくるりと背を向け、言葉を交わした僕らは店前でそのままそれぞれの帰路へ。
 駅までの道のりは時間帯も相俟っているのだろう、あまり人とすれ違うことも無く静まり返っていた。
 そんな帰路の途中、僕はついさっきまでの事を思い出していた。空さんと二人で陽咲の話に花を咲かせていた時の事。それはまるで頬が落ちそうな程な料理を食べた後、またあの食べる瞬間や食べてる時に戻りたいと思うような感覚だった。一生に一度だけタイムスリップが使えるとしたら使おうかと考えてしまう程にはあの時間は心地好く楽しさに溢れていた。
 別に最近は誰かと何気ない会話をしてないって訳じゃない。翔琉や彩夏や圭介に先輩、会社の人や食事に行った人。むしろ色々な人と色んな会話をして、もちろんそのほとんどが同じように楽しい時間だった。けれど、何故か空さんとの時間はそれらとはどこか違う。より惹かれるモノがあった。他の人とじゃ満たされない何か。
 すると僕の脳裏にその何かがふと思い浮かんだ。一直線に飛んだダーツがど真ん中へ突き刺さるようにピンポイントでその何かが分かった気がした。思わず足を止め、咀嚼するように考えてみる。最初に会った日と今日の会話を思い出し、脳裏に大々的に浮ぶその言葉を並べた。

「そうかぁ」

 喉に詰まったモノが取れるようなスッキリとした感覚が全身へと広がるのを感じる。
 確かに空さんとの時間だけが僕のそれを満たしてくれていた。それに気が付くとどこか嬉しくなり自然と口角が上がっていた。

「陽咲か」

 一言そう呟きながら止めていた足を動かし始めた。
 僕は空さんとだけ陽咲を共有してたんだ。同じ想い出はないけれど、そこには知らない陽咲がいたり、容易に想像出来るような僕の知ってる陽咲がいたり。空さんとする陽咲の話は他の人とじゃ味わえないような愛おしくも楽しいものだったんだ。それは直接あの場所で陽咲自身とする話ともまた違う、彼女を外から見てきた者同士だからこそ出来る話。あるあるだったり、新しい一面だったり。
 空さんと出来る陽咲の共有が僕にとっては特別なモノになっていたらしい。


 その日、僕はいつも通り仕事をしていた。日常の何気ない日。

「蒼汰ぁ」

 すると先輩に呼ばれ、手を止めた僕はデスクへと向かった。
 一人だけ少し離れた場所に位置する先輩のデスク。その前にはネクタイはしてないがスーツ姿の男性がいた。少し強面の顔に顎髭を生やしオールバック、あまり身長は無いがガタイが良く見えるお腹の出た先輩よりも年上の方だ。

「お疲れ様です」

 一瞬、誰だか分からなかったがデスク前へ着く頃にはその男性が何者かに気が付き、僕は労いの挨拶と共に頭を下げた。
 その間に、僕はその人との間へ来てはデスクに座るように凭れかかった先輩。

「このおっさん誰か分かってる?」

 先輩はその人を親指で指差しながらそんな事を口にした。
 僕は質問よりもその言葉に一瞬にして焦りが込み上げる。
 でも僕より先に向かいから声が飛んだ。

「誰がおっさんだ」

 笑い交じりで先輩の言葉を気に留めている様子はない。
 僕はそれを見て気持ちが山を描きホッと安堵した。

「伊澤本部長ですよね?」

 うちの会社の本部長、伊澤武雄さん。直接関わる事は皆無に等しいと言ってもいいかもしれないけど、上司だし、そりゃあ知ってる。
 でもそんな事より今は、どうして僕が呼ばれたのか。それが頭を埋め尽くしていた。僕は一瞬にして何かしでかしてしまったかと、必死に脳内で検索をかけ始めた。

「そっ。アタシ達の上司様」

 だけど何も思い当たるような事は無い。

「――えーっと。それでどうして僕は?」

 何も身に覚えが無いという事が余計に不安を煽る。
 だけどそんな僕を苦しめるかのように返事がすぐに返ってくることは無かった。微かに強まった鼓動が丁寧に全身へと広がっていくのを感じながら僕はただ答えを求め先輩を見ていたが、本部長へ一度視線をやった後に先輩は部下達を眺め始めた。知っているのか何も知らないのか、本部長の言葉を待つ時間を持て余しているようだ。
 一方僕は、視線を本部長へ。
 すると本部長の僕を見る双眸と目が合う。

「あの……」

 上司だからかその外見の所為か、僕は不安も相俟った圧に耐えられず急かすように声を漏らした。
 だけど本部長は顎髭を触りながら僕を見続けるだけ。

「齢は?」
「えっ?」

 不意の問いかけに意味が分からず咄嗟に僕は素で訊き返してしまった。本部長相手にする返事じゃない事にすぐさま気が付いたが、それと同時に先輩の鼻を鳴らすような笑い声が聞こえた。
 動揺と不安が混じり合ったまま僕はさっきの言葉を訂正するようにもう一度仕切り直す。

「すみませんでした。もう一度いいですか?」
「年齢は?」

 一先ず怒ってない事に僅かだが気は楽になった。

「二十六です」

 何度か頷く本部長。奇妙な世界にでも放り込まれたみたいに意味不明だ。

「お前さん今、独身なんだって?」
「――ま、まぁはい。一応そうですけど?」

 危うく同じ過ちを繰り返すところだった。死別してしまった僕は独身なんだろうか? なんて真面目な疑問が過りもしたが、真意の見えない質問に答えるとまた本部長は、うんうんと頷く。

「――実はな」

 あまり気持ちの良いとは言い難い時間が過ぎ去り、やっと求めていた言葉が始まると僕はそれだけで安堵の溜息が心の中で零れた。

「俺の友人が一人娘のお見合い相手を探しててな。良い奴がいないか真白に訊いたんだよ」

 僕は思わず「何で?」と問うように先輩を見た。その視線を感じたのか一歩遅れて目が合う。

「アタシはうちの独身共を全員教えただけだから。当然、恋人いる奴も除いて」
「その中でも一番、娘さんの好みに合いそうなのがお前さんだったって訳だ」

 何故かどこか得意げで既に満足気な本部長。まだ本題を口にされてはないが、もう予想は容易に出来る。

「あくまで娘さんの結婚相手探しだからな。親父さんは関係ないんだが――」

 一歩前へ踏み出し少し前のめりになった本部長は、横から見られないように口元を隠しながら秘密話のように小さな声で続きを口にした。

「中々に良い企業のトップだぞ。その一人娘だからな。跡継ぎの有力候補だ」

 それを教えると元の位置へ戻って行った。

「どうだ? 一回飯だけでも」
「いやぁ……その……」

 相手が誰だろうと関係ない。彩夏と翔琉の時と同様に乗り気にはなれなかった。
 でも間に入っているのが、彩夏や翔琉とは違う。親しみのないような上司。しかも先輩よりも。僕はどうやって断ろうか頭を必死で回転させた。

「なぁに。別に企業同士の戦略なんてもんじゃない。ただの相手を探してるってだけだ。会社の事なんて気にするな。それに飯代はあっちの親父持ちらしい。タダで美味いもんが食えるぐらいの気持ちでいいからな」
「はぁあ。でも……」

 そんな事を言われても結局は人間。もしかしたらこれを断ってしまったら本部長の中で僕に対して悪印象がつくかもしれない。そんな不安が嫌でも過る。別にそう見えてるって訳じゃないんだけど(むしろ今のとこは言葉通り大丈夫そうではある)。

「それって仕事の後なんですか?」

 僕を他所に個人的に何となく気になったんだろうか、先輩はそんな質問をし始めた。

「多分そうだろ。あっちさんも忙しいらしいしな」
「残業代出ます?」
「出るか! 何だと思ってんだよ」

 透かさずツッコミのような返しが本部長から飛び出す。

「でも飯代は出る。しかも中々に良いとこのだ」
「へぇー」

 あまり興味の無さそうな声がゆるりと宙を漂う。