そして話が尽きぬまま時間が来ると僕らはお会計を済ませお店の外へ。
 僕はまだ冷めやらぬ気持ちを抱えたまま、今日のお礼を言おうと北沢さんの方へ体ごと向けた。

「あの」

 するとそんな僕を止めるように、北沢さんがそう切り出した。少し間はあったが僕は続きの言葉を行き交う足音の中、黙って待った。

「もし良かったら……もう一軒どうですか?」

 僅かに遠慮気味で恐々とした彼女の声。ついさっきまで向かい合い座っていた時の事を思い出す。楽しくて、まだ話足りない。
 そう思うと自然と口角は緩やかに上がり、当然と言うように返事をした。

「もちろん。――あっ、僕ここら辺でいいバー知ってるんですけど、そこなんてどうですか?」
「ホントですか? 是非!」

 なんて言って意気揚々と歩き出したはいいものの、数歩進むと僕は重大な事実を思い出した。
 北沢さんが彩夏の友人だということだ。

「あっ、でもそこ彩夏に教えてもらったのでもしかしたら知ってるかもしれないですけど……」

 得意げに連れて行ったはいいものの知っていたら――それが彩夏に教えてもらってでもしたら……。「コイツ彩夏に教えてもらったお店を我が物顔で紹介してる」そんな風に思われてしまうかもしれないと臆病になってしまった僕は訂正するようにそう付け加えた。
 でも北沢さんはそんな心配する必要ないと思わせてくれるような笑みを浮かべながら何度か頷いて見せた。

「なるほど。彩夏って色んなお店知ってますからねぇ。自分で開拓してるのもそうですけど、男の人に連れて行ってもらったり、凄いですからね」
「彩夏とは結構一緒にお店とか行ってるんですか?」
「食べ物関係はよく行きますけど、お酒関係は一人で行ってるって言ってましたよ。酒蔵の見学とかしに他の県とかに行ったりとか」

 お酒が強くて好きという事は知っていたけど、そんなに好きだったとは。今度から彼女の誕生日は変に悩まなくて済みそうだと思いつつ、そこからバーまでは共通の友達である彩夏の話題が緩やかに続いた。
 知っていると言ったもののまだ二回のバーに内心では緊張しながら入店すると、前回の彩夏を真似同じものを注文。あまり悩まない方がいいかと思い(正直に言うと多少なりとも恰好を付けたのかもしれない)そうしたが、隣で北沢さんは手慣れた様子でバーテンダーへ大まかな要望を伝えていた。

「柑橘系でアルコールは少し低めのロングで何かお願いしたいんですけど、大丈夫ですか?」
「はい。甘さはどう致しますか?」
「そこまで甘くなければ」
「かしこまりました」

 そんな彼女を見て、僕は少しだけ自分が恥ずかしく思えた。見栄を張るように澄まし顔でカクテルの名前を言って注文。今、本当に呑みたいと思っているのならまだしもそれを考えずにしてしまった。

「バーとかってよく来るんですか?」

 僕は噴き出す感情から逃げるように北沢さんへそんな質問を投げかけていた。

「全然ですよ。一回か二回、来た事があるぐらいです」

 そうして緩やかに始まった会話は、バーから映画へと進みそこからドラマ。主題歌ということで居酒屋の続きであるミディークルムの話題が舞い戻り、更に数時間僕らはお酒を呑みながら尽きる事の無い話を続けた。
 今の僕らを見て今日初めて会ったばかりなんてほとんどの人が思わないだろう。実際、当の本人である僕でさえ昔から付き合いのある友達のように思ってしまっていたのだから。それ程までに好きなバンドや映画やドラマ、僕らには共通の話題が沢山あった。言ってしまえば初めて会った陽咲よりも多くの共通が、僕らの間には存在していた。陽咲とは最初、直近で見た二月の流星群という映画だけ。
 でも北沢さんとは既に幾つもの話題を経ていた。それにお酒も相俟って(例え無かったとしても結果は変わらなかったはず)満足感に満ちた時間を過ごさせて貰った。
 久しぶりに同僚である彼らじゃない誰かと――しかも初めましての女性と呑んだのに駅までの帰路に就いた時の僕はあまり変わらず心もお腹も満たされていた。まだ北沢さんが隣を歩いていたのにも関わらず、最早そこに緊張は無い(でもこれはお酒のお陰がほとんどだろう)。

「旭川さん」

 すると、会話が少し途切れ休憩のような沈黙が流れていたかと思うと突然、北沢さんは立ち止まり僕の名前を呼んだ。
 遅れて数歩だけ前に進んだ僕が立ち止まり振り返る。僅かに俯く彼女。僕は感情に従い小首を傾げた。

「今日はありがとうございました。最初は緊張してたけど、本当に楽しかったです」

 彼女は目線は合わぬまま頭を下げた。

「こっちこそ。話しやすくて本当に楽しかったです」

 そんな彼女を真似るように僕もお礼とお辞儀をする。
 そしてゆっくりと同じタイミングで上がる顔。目が合うとすぐに彼女は視線を逸らすように顔を俯かせた。

「あの――」

 手を伸ばすような声の後、人けが無い所為か辺りは隙を突くようにすぐさま静寂に包み込まれる。
 そんな中、僕はただじっと言葉の続きを待った。

「もし良かったら、また会いませんか? ――今度はその、デートとして……」

 邪魔する緊張を勇気で無理矢理押し出したと言うような声で僕へ届けられた言葉。その気持ちが嬉しく思えたのは本当だ。
 でもそれ以上に僕を埋め尽くす感情がそこにあったのもまた事実。
 正直、僕は忘れてしまっていた。僕と北沢さんの関係性を。僕らはマッチングアプリ的に共通の友達が繋げてくれた相手が欲しい存在。でも僕の場合は表向きだ。だからか、僕自身はただ単に友達と呑むかのように楽しんでしまっていた。
 だけどそう。僕らはこれからデートを重ね、付き合い始め、いずれは結婚するかもしれない関係性。
 その瞬間、そんな現実を突きつけられたような気持だった。同時に僕の脳裏に思い浮かんだのは――陽咲。そこに根拠はない。でも僕は何故か、北沢さんを受け入れば入れる程に陽咲が遠ざかっていくような気がした。自分は今、どっちの手を掴むかを問われている。
 でもさっきまでの楽しい時間を投げ捨てるが如く反射的に陽咲が離れていくのが嫌だと思った時点で僕の心は決まっていたのかもしれない。
 それなのに僕はすぐには答えず一秒二秒と焦らすかのように沈黙を貫いた。

「あの――」

 答えはもう既にそこにあるのに、彼女に対する罪悪感のような感情が邪魔をして言葉を上手く口に出来ない。そんな僕の返事をただ静かに待ち続ける北沢さんの視線が更に言葉を詰まらせる。