「カンパーイ!」

 嬉々とした声と共に天井へと伸びるジャッキグラス。照明を浴び、向日葵畑のように煌めく液体が零れんばかりに揺れ動く。
 そして集まった五つのジャッキグラスは最高のハーモニーでも奏でるように心地好い音を響かせた。
 その一つが僕の元へ戻ってくると、そのまま口元へ。口一杯に広がる仕事終わりの味、喉を駆け抜ける炭酸。それらを味わえば自然と最早、単語と化した声が溢れ出る。

「んはぁ〜」

 同時にそれと似た声が周囲から聞こえてくる。それを聞きながら訪れるべきして訪れた沈黙の中、(恐らく皆んなそうしてると思う)目を瞑り余韻を堪能していた。
 そして後にも先にも一番の静寂が過ぎ去ると、ゆっくりと目を開く。

「いやぁ〜。この瞬間の為に、俺は仕事してるんだよ!」

 社会人にとっては聖なる瞬間とも言えるこの静寂を(以前、翔琉が言ってた)破ったのは、翔琉の感情の籠った力強い声。と、ジョッキを置く音。

「何食べよっかなぁー」
「おれ、まずは唐揚げと刺身だな」
「アタシ馬刺し。あと焼き鳥」

 だけどそんな翔琉の声など聞こえてないかのようにメニューのタブレットへ視線を落としては、各々の食べたい料理を指差していた。
 今日、一緒に呑みに来てたのは翔琉の他に先輩と同僚の長谷川圭介と内海彩夏。

「じゃー私はサラダ」

 ゆるふわパーマの掛かったミドルヘアの彩夏は甘えるような声でタブレットを指差した。

「合コンじゃないんだから無理すんなって」

 眼鏡の似合う圭介がそんな彩夏へツッコミを入れるように言う。

「確かにぃ〜」

 圭介に肩を小突かれると彩夏は、さっきまでの声とは違い少し低めでダラけた声で答えた。彼を指差しながら。

「じぁあガッツリ食べよー。んーっと。このガーリックサイコロステーキと梅水晶かな」
「あぁ、あとだし巻きも」

 もう半分減ったジョッキを片手に先輩がタブレットを指差した。

「はーい」
「ちょっ! お前ら聞いてんのか?」
「蒼太は? 何食べたい?」

 更に無視された翔琉の言葉を飛び越え彩夏は僕の方へ視線を向けた。

「いや、今はいいかな」
「おっけー。じゃあ、取り敢えずこれで」

 そして彩夏はタブレットへ指を伸ばした。

「俺は!? 俺の意見は?」
「どーせ他と被ってるじゃん」
「唐揚げ!」

 勢い良く指を差しながら翔琉はそう叫んだ。

「黙ってても出てくるって」
「刺身!」
「あるー」
「だし巻き!」
「先輩の好物」
「んじゃあ――この梅水晶!」
「あたし食べるー」

 いつの間にか立ち上がっていた翔琉は少しの間を空けて再度、叫んだ。もちろん指も。

「ハイボール!」

 だがそれに対して彩夏は無言でタブレットを差し出した。それを受け取り静かに座る翔琉。

「アタシ生」
「あたしもぉ〜」

 返事はせず、言われた注文に答えタブレットを押していく。

「にしてもこーやってお前と呑むのも久しぶりだなぁー」

 翔琉がお酒の追加注文するのを傍に圭介は、僕の方へジョッキを差し出した。まるで数年ぶりに友達と再会したかのような口ぶりと共に。
 そんな彼に答え僕は再度(今度は静かに)乾杯をした。

「そうだね」
「でも良かったぁ~。蒼汰がまたこーやって呑みに行けるぐらいに元気になって。あたし心配てたんだからぁ~」
「その割に相変わらず合コン行きまくってたけどな」

 圭介の語尾を喰うように飛んで来た拳が肩を殴る。

「ホントだからね?」

 隣で痛がる圭介を無視し彩夏は釈明でもするようにそう言った。

「分かってる。ありがとう」
「――ていうかよ。彩夏って新人の時からずっーと良い男探してんのに、まだ見つからねーの?」

 その言葉に彩夏は(多少だが)大袈裟に首を振って見せた。

「全然ダメ! このあたしのお眼鏡に適うレベルの男は居ないわねぇ」

 最後の方は溜息交じりで。彼女はそんなやり切れない気持ちごと流し込むようにビールを一口。

「なんかアンタって結局……理想とは真逆の男と結婚して小言言いながら家事してそうだわ」

 すると彩夏を眺めながら不意に先輩がそんな一言を言い放った。
 その言葉に(彩夏も含め)一度、全員そんな光景を想像したのだろう。一瞬の静寂が室内を包み込む。
(恐らく全員そうだったんだと思う)少なくとも僕は昨日観た映画を思い出すが如く鮮明に、それを想像する事が出来た。赤ん坊を背負いながら文句を口にし、洗い物をする彩夏の姿がそれはもうハッキリと。
 しかもそれは彩夏自身も出来てしまったのだろう。真っ先に、そして掻き消すように必死かつ慌てながら否定の反論を始めた。

「いやいや! それはないですって! 絶対に! 本当に月で兎が餅ついてるぐらいありえません!」

 特に最後は力強く、つい立ち上がってしまうくらいには心の籠った大声だった。

「全く、何も根拠にそんな事を……」

 半ば倒れるように腰を下ろす彩夏は少し呆れ声。

「友達のアンタに似た奴が実際そうだから」
「いやぁ~。ダメですね。全然ダメ! その人は妥協しちゃってます。そんなんじゃ理想は掴めませんよ!」

 演説かと言いたくなる程、力強く決意を感じられる声だったが、先輩には微塵も刺さっていなかった。それどころかより確信的なモノを与えたらしい。

「アイツも同じ事言ってたわぁー。ホント似てる」

 返す言葉が見つからなかったのか彩夏はジョッキを呷った。そして叩きつけるようにテーブルへ置くと、翔琉を指差し一言「焼酎!」。それに従ってタブレットを操作する翔琉。
 それから彩夏の事はさておき、運ばれてきた料理に僕らは箸を伸ばし始めた。
 お酒と料理。それを心を許した人達と楽しむ。明日には忘れてしまうような他愛ない話をしながら呑んで食べて。
 それは今この瞬間に生まれては消費されていく時間だったが、懐かしさすら感じ笑いが絶えないとても楽しい時間だった。
 新たなものや二度目三度目と繰り返し並ぶもの。テーブル上で入れ替わる料理と進むお酒。

「いやぁー。にしても改めてこのメンツ見ると、最初に呑みに行った時のこと思い出すよなぁ」

 すると翔琉は左隣の先輩から始まり右隣の僕まで視線を歩ませると、しみじみとそんな事を口にした。
 それに釣られ僕らも改めて皆んなを見回してみる。確かあの時も同じ席順だったっけ。

「まだ彩夏がバリバリ猫被ってた時じゃん」

 思い出を語りながらも隣の彩夏を揶揄う圭介。

「初めましてぇ〜! わぁたしぃ~彩夏って言いまーす」

 そんな圭介に乗っかり彩夏(合コン時)の真似をする翔琉。

「わぁたしぃ〜、お酒苦手なんですけどぉ〜。今日は頑張って飲んじゃおっかな! でもぉ。酔っちゃって正直になっちゃったらごめんねっ」

 それに続く彩夏は数段上げた丸みのあるいつも通りの声と仕草をして見せた。さながらご本人登場だ。
 とは言いつつ直後、彩夏が口にしたのは焼酎だった。

「て言うか最初って言ったらあれだな。彩夏が蒼太に狙いを定めてた」
「うわっ! 覚えてるわぁ。蒼太の隣に座ってな!」

 コミュ力が物凄い人、彩夏の第一印象はそれだった。隣に来たと思えば、どんどん質問してきたのを今でも覚えてる。

「ちなみに何で蒼太だった訳? 俺は?」

 翔琉は自分を指差しながらそんな事を尋ねた。確かにそれは少し気になる。

「まず、コイツは知ってるからない」

 真っ先に除外されたのは圭介。二人は会社に入る前からの知り合いらしい。

「翔琉は慣れてそうって感じで、結構チョロそうだったから」

 彩夏はまず翔琉を指を指しながら理由を説明し始めた。
 そしてその次に指先は僕へ。

「蒼太はねぇ。あんまり女慣れしてなさそうだし、押し過ぎないようにしないと怖がられそうって思ったからかなぁ。要は、一番難しそうだったから」
「うわっ! アンタ、さっき話した友達と全く同じ事言ってるわ。アイツもゲーム感覚で男を狙っては持ち帰ってたからさ」

 自分の友達の話をしているはずなのに、先輩は何故か眉を微かに顰めていた。