静かな管制室には、平穏な日常と心地よい緊張感が満ちている。ロイはスイッチを押した。

「おはよう。気分はどうだい? いよいよ明日帰還だな」

 飛行士達が思い思いに声をかけてくる。皆、声に張りがある。元気そうだと胸をなで下ろした。
 スバルの声が聞こえると、くるりとイーハンが背を向け立ち上がった。

「さぁて、ボク、紅茶の時間にしよう」
「イーハンさん、持ち場離れちゃダメですよ」

 目を白黒しているロイを尻目に、イーハンは席を立ち上がる。すると、じゃあオレも、私も、と、その場にいた管制官が次々と立ち上がった。

「明日帰還なんだ。リラックスさせてやれよ」

 ポンとロイの肩を叩くと、グレイグが最後に出て行く。一人取り残された管制室で、仕方なく正面のモニターを見ると、映しだされている映像にぽかんと口を開けた。
 少々乱れた画面には、飛行士が二人、背を向け耳をふさいでいる。若干頬を染めながら、スバルがこちらを見ていた。

「お……おはよう、スバル」
「……おはよう、ロイ」

 お互いまごつき、下を向いてしまう。少しの間モジモジしていた。が、襟元を少し押し広げると、ロイは顔を引き締めた。

「スバル、オレはいつか、キミに謝らなければいけない」
「え?」
「あ、……いや」

 口をつぐむと、もう一度スバルを見た。

「明日、待ってるから」

 言葉に詰まり、スバルはただ、頷いた。



 ******



 ゆらり、と白い煙が立ち上る。それに透かしながら、テッドはゲート付近をながめていた。

「あ、来た来た」

 数人の人影がこちらに向かってくる。中央にいる二人を取り囲むように、黒いスーツに身を包んだものと、紺色の軍服を着た兵が続く。
 二人のうちの一人は、自分と同じ淡い灰色の目をし、もう一人は浅黒い肌にしわをたたえ、今日はいびつな左手をしっかり見せて歩いていた。

 一群が到着する。マルコは相変わらず微動だにせず、水煙草を吹かしていた。

「初めまして。イシリアンテ空軍宇宙開発局局長のイアン・フロックハートです」

 手を差し出そうとすると、マルコは自分のそばにいすを引き寄せ、手をそちらに延べた。

「兄さん、座って」

 テッドが言うと、おそるおそるイアンはそばに腰掛ける。すると、マルコは水煙草のパイプを差し出した。おののき、眉をしかめるイアンを、テッドが目でうながす。仕方なくイアンはパイプをくわえ、吸い込む。瞬間、イアンはえずくようにむせ始めた。

「慣れないうちから深く吸い込んではいけませんよ、局長」

 笑いながらも、むせるイアンからパイプをそっと放してやる。イーハンの父が小さなテーブルを用意すると、紅茶と、花の香りのするジャムが添え置かれた。
 食べるように紅茶を飲み、一つ深く息を吐くと、イアンがマルコに向き直った。

「話し合いのテーブルに着こう。お互いが納得できる道を探りましょう」
「ワシもそうしたい。五十年も連れ添うと、何かと情が移るもんでね」

 今日はきちんと並んだ歯でほほえむ。それを見届けると、テッドはそっとその場を離れた。


 まっすぐゲートに向かって歩くと、ミラの店の前で止まる。店には足場が組まれ、今まさに工事が始まろうとしていた。

「じゃ、ミラ。きっちり直しておくから」
「お願いします」

 店の前には車が停められており、ミラがトランクをのせている。テッドに気がつくと、ミラは軽く頭を下げた。

「行ってくるの?」
「はい。ひと月はかかるそうなので、その間にイシリアンテを二人で見て回ろうかと」

 トランクの上にとぐろを巻いていた黒猫が、ニャアと声を上げた。

 三日前の打ち上げ直後に降った雨は、ミラの店の痛み具合を決定的に示した。屋根のほとんどから雨もりがし、全面的な修繕を余儀なくされたのだ。

「味覚も戻ったので、いろんなものを味わってきます」

 たおやかにほほえむと、黒猫を抱き上げる。黒猫はうれしそうに喉をゴロゴロいわせながら、ミラの腕に体を埋めた。
 黒猫の頭をなでながら、テッドは照れくさそうに言った。

「なぁ、ソーイチ聞いてくれよ。ボクさ、この年でお父さんになる事になったんだ。……タバコ、やめさせなきゃね」

 黒猫は感心したかのように声を上げながら、目を細めた。


 呼べば返事は、する。
 だが打ち上げ以来、ソーイチは「ニャア」としか、言わなくなってしまった。