モニターの端にある時計が残り五分を示したときだった。
「大変です! 発射台西方に雨雲が発生しています!」
正面モニターの右すみに映し出されていた衛星画像には、白く渦巻く雲があった。
「こんなときに……!」
イーハンがぎりりと歯がみする。積み上げられた書類の上にいたソーイチが、管制官に聞いた。
「何分後に到着するんだ?」
「このままでいけば、四分から六分後だ」
「なんだよ、その曖昧なのは」
「仕方ないだろ!」
怒鳴りつける管制官にシャーッと威嚇をすると、ソーイチはスズカに向き直った。
「どうする? 四分後ならダメだが、六分後なら成層圏にいる」
「あなたならどうするの?」
「――賭ける」
まっすぐスズカを見た。するとスズカは珍しく、ククク、とうつむきながら喉を鳴らした。
「本当に……、ソーイチだ。変わらないわね。ここ一番の時の度胸は」
「なんだよ、その確認方法は」
苦虫をかみつぶし、意見を言おうとしているイーハンを、浮かべた笑みで押しとどめる。その後ろにいるロイに目配せをすると、ロイはカウントダウンを始めた。
「発射一分前。五十九、五十八、五十七」
「エンジン点火。第一制御棒離脱」
ロイの声が響く中、イーハンが冷静に指示を出す。それを聞きながら、ソーイチはモニターをにらみつける。発射台を映した映像のすぐ後ろには、砂嵐を引き連れた黒い雲が迫っている。
「持ってくれよ……!」
ひげをピクリと上げた。
「五、四、三、二、一」
「――飛べ!」
腹に響くうなり声が、かすかに届く。
船体は白い煙を噴き上げて、染まらぬ空へと顔をもたげた。モニター右上に、ロケットの高度がグラフで映し出される。ぐんぐん、上がっていた。
「第一段ロケット分離」
「よし! あと少しだ」
モニター左側には飛行士がいる。前足の爪が出てしまったせいで、一番上の書類が少し破けた。
「脱出用ロケット、フェアリング分離」
ロイの淡々としたカウントダウンと、イーハンの冷静な指示が奏をなす。
「第二段ロケット分離、第三段ロケット燃焼開始」
食い入るように皆、画面を見る。中には、モニターに向かって祈るように手を合わせ、頭を垂れる者もいる。
ソーイチは、クシャリ、と完全に書類を一枚引き破った。
「第三段ロケット燃焼終了――分離!」
――遠くに走る雨音。その音を、唸るような歓声がかき消した。
ぺたりと書類に座り込む。その間にも、ロケットは空を突き破る。全ての毛がふわっと浮き上がり、体が小刻みに震えはじめた。
衛星画像が、発射台が、グラフが、船内が、じわりとゆがむ。自らは見ることのなかった景色が、潤んで見えた。
「ん? なんだ? あれ?」
船内を映しているカメラの前を、黒いものが覆う。とっさに全員が息をのんだ。
「ご、ごめんなさい! これなの!」
スバルの声が管制室に響く。黒いものに付けていた糸をたぐり寄せると、スバルはカメラに映るようにそれを見せる。手にしていたものは、ずんぐりとした黒い猫の、小さなぬいぐるみだった。
「……何? それ?」
「町の子どもたちがね、お守りだ、って言ってくれたの。黒猫は幸運を運んできてくれるからって」
管制室中の視線が書類の上にいる黒猫に集まる。
「オレは、招き猫じゃねぇぞ!」
管制室にドッ! と笑いが満ちあふれた。
******
白く沸き上がる煙を引き連れながら、女神が空へと舞いあがった。とたん、辺り一面に雨が降り注ぐ。ミラはさえぎることもせずに、じっと空を見上げていた。
じわりと景色がゆがむ。ゆがめた後は頬を伝って流れ落ちる。いくつかの粒が、ミラの薄い唇に落ちた。
「やだ……。私ったら、泣いてる」
拭おうと指を添えて、目を見張った。唇を舌で舐める。もう一度、涙を指ですくい取ると、舌に塗りつけてみた。
「塩辛い……。うそ……。塩辛い」
何度も何度も塗りつける。そのたびに涙の辛さがはっきりとした。
雲が通り過ぎ、鉄骨を雨水が伝い落ちる。発射台は、再び差し込む日の光に照らされる。
放射状にひろがるそれはまるで、押し上げた皆の広げた手に、似ていた。
「大変です! 発射台西方に雨雲が発生しています!」
正面モニターの右すみに映し出されていた衛星画像には、白く渦巻く雲があった。
「こんなときに……!」
イーハンがぎりりと歯がみする。積み上げられた書類の上にいたソーイチが、管制官に聞いた。
「何分後に到着するんだ?」
「このままでいけば、四分から六分後だ」
「なんだよ、その曖昧なのは」
「仕方ないだろ!」
怒鳴りつける管制官にシャーッと威嚇をすると、ソーイチはスズカに向き直った。
「どうする? 四分後ならダメだが、六分後なら成層圏にいる」
「あなたならどうするの?」
「――賭ける」
まっすぐスズカを見た。するとスズカは珍しく、ククク、とうつむきながら喉を鳴らした。
「本当に……、ソーイチだ。変わらないわね。ここ一番の時の度胸は」
「なんだよ、その確認方法は」
苦虫をかみつぶし、意見を言おうとしているイーハンを、浮かべた笑みで押しとどめる。その後ろにいるロイに目配せをすると、ロイはカウントダウンを始めた。
「発射一分前。五十九、五十八、五十七」
「エンジン点火。第一制御棒離脱」
ロイの声が響く中、イーハンが冷静に指示を出す。それを聞きながら、ソーイチはモニターをにらみつける。発射台を映した映像のすぐ後ろには、砂嵐を引き連れた黒い雲が迫っている。
「持ってくれよ……!」
ひげをピクリと上げた。
「五、四、三、二、一」
「――飛べ!」
腹に響くうなり声が、かすかに届く。
船体は白い煙を噴き上げて、染まらぬ空へと顔をもたげた。モニター右上に、ロケットの高度がグラフで映し出される。ぐんぐん、上がっていた。
「第一段ロケット分離」
「よし! あと少しだ」
モニター左側には飛行士がいる。前足の爪が出てしまったせいで、一番上の書類が少し破けた。
「脱出用ロケット、フェアリング分離」
ロイの淡々としたカウントダウンと、イーハンの冷静な指示が奏をなす。
「第二段ロケット分離、第三段ロケット燃焼開始」
食い入るように皆、画面を見る。中には、モニターに向かって祈るように手を合わせ、頭を垂れる者もいる。
ソーイチは、クシャリ、と完全に書類を一枚引き破った。
「第三段ロケット燃焼終了――分離!」
――遠くに走る雨音。その音を、唸るような歓声がかき消した。
ぺたりと書類に座り込む。その間にも、ロケットは空を突き破る。全ての毛がふわっと浮き上がり、体が小刻みに震えはじめた。
衛星画像が、発射台が、グラフが、船内が、じわりとゆがむ。自らは見ることのなかった景色が、潤んで見えた。
「ん? なんだ? あれ?」
船内を映しているカメラの前を、黒いものが覆う。とっさに全員が息をのんだ。
「ご、ごめんなさい! これなの!」
スバルの声が管制室に響く。黒いものに付けていた糸をたぐり寄せると、スバルはカメラに映るようにそれを見せる。手にしていたものは、ずんぐりとした黒い猫の、小さなぬいぐるみだった。
「……何? それ?」
「町の子どもたちがね、お守りだ、って言ってくれたの。黒猫は幸運を運んできてくれるからって」
管制室中の視線が書類の上にいる黒猫に集まる。
「オレは、招き猫じゃねぇぞ!」
管制室にドッ! と笑いが満ちあふれた。
******
白く沸き上がる煙を引き連れながら、女神が空へと舞いあがった。とたん、辺り一面に雨が降り注ぐ。ミラはさえぎることもせずに、じっと空を見上げていた。
じわりと景色がゆがむ。ゆがめた後は頬を伝って流れ落ちる。いくつかの粒が、ミラの薄い唇に落ちた。
「やだ……。私ったら、泣いてる」
拭おうと指を添えて、目を見張った。唇を舌で舐める。もう一度、涙を指ですくい取ると、舌に塗りつけてみた。
「塩辛い……。うそ……。塩辛い」
何度も何度も塗りつける。そのたびに涙の辛さがはっきりとした。
雲が通り過ぎ、鉄骨を雨水が伝い落ちる。発射台は、再び差し込む日の光に照らされる。
放射状にひろがるそれはまるで、押し上げた皆の広げた手に、似ていた。