吐く息に白さはないものの、まだまだ肌寒い故郷の風を胸に吸い込み、ロイは懐かしい道をゆっくりと歩いていた。
 毎日のようにここを二人で駆け抜けた。台所からおやつを失敬してきたことがばれないうちに、という気持ちもあったが、何よりも満天の星空を見たい、そのことで頭がいっぱいだったのだ。

 受付の男性は顔なじみだ。もうすっかりしわが増え、髪も白くなったが、今日も変わらぬ笑みでロイを待っていてくれた。
 プラネタリウムのあるドームの入口に立つ。今はまだ明かりがついている。ぐるりと見わたし、ロイは苦笑を浮かべた。

「確かに、これは建て替えたほうがいいな」

 ところどころはげたペンキ。破れたのを、繕っているいす。一歩足を踏み出せば、床がぎしりと音を立てた。
 平日の昼間だからだろうか、今いるのはロイ一人である。いつもの席に陣取り、いすにそっと身を預けてみた。とたん、ギギギギギ……と背もたれが悲鳴を上げる。あわてて飛びおき、後ろを確認する。こらえきれなくなって笑い声を立てながら、もう一度、そおっと身を沈め、人工の空を見上げた。

「今は春だから……、あのあたりに見えるはずだよな」

 イシリアンテの空を彩る星座を思い出し、手で形を作って空に浮かべてみる。
 全てを浮かべ終えた時、ふと、プラネタリウムが置かれている台座が目に入った。とても大きな円形をした台座で、扉が一つだけある。子どもがかがめば何とか入るくらいの大きさで、金具を下ろすだけの簡単な鍵がついていた。中を見たくて、何度かこっそり入った覚えがある。

 ガバッとロイは身を起こした。反動で背もたれが揺れる。かまわず、ロイは台座を凝視し続けていた。


「や。遅くなった」

 ドーム内が薄暗くなりかけた頃、隣にヴィクターが現れた。結局この回は二人きりのようである。同じようにいすに身を預けたヴィクターは、暮れゆく人工の空に目をやる。

「お前か?」

 いきなりそう言われ、ヴィクターはぽかんと口を開けた顔をこちらに向けた。

「へ? 何が?」
「お前なんだな」

 ロイは静かに語気を強める。ヴィクターを見ず、空を見上げたまま、ロイは言った。

「オレを閉じ込めたのは、お前だな、ヴィクター」

 ピチャッ、とヴィクターが唇を合わせ直した。

「……意味がさっぱりわからん。どうした?」
「お前はオレを二回、閉じ込めた」

 中央に置かれたプラネタリウムが、最初の星を灯す。合わせて、ドーム内にオルゴールの音色が静かに満ちる。それがさらに記憶を呼び覚ました。

「最初は子どもの頃だ。あの台座の下に入ったとき、ふざけて鍵をかけた」
「あれは! ……本当にすまない」

 ぐわんとヴィクターの背もたれが揺れる。ロイは話を続けた。

「オレは何度も扉を叩いて、お前も必死になってオレを呼びながら、鍵を壊そうとしてくれていた」
「金具が引っかかって、子どもの力では外せなくなったんだ……。大人を呼びに行って扉を開けてもらったら、お前は中で気を失ってた」
「ああ。気がついたら家のベッドの上だった。……細かいことは今の今まで、忘れていた」

 ヴィクターがさらに頭を下げる。その気配を感じながら、ロイは空を見上げ続ける。あっという間に、無数の星が瞬いていた。

「あのことは、いい。お前に全く悪気がなかったのはわかってる。……問題は二回目だ」

 すうぅっと、星が一つ、流れていった。