今日のエントランスは静かだ。
 
 やはり、三年ぶりの有人ロケット打ち上げに皆、集中しているのだろう。がらんとした空間の片すみに置かれている植木鉢の影に、ソーイチは身を潜めた。

「中は変わってねぇな」

 入口正面に開発局のロゴマーク。その下に受付。受付の両側に階段とエレベーターがあり、向かって右には訓練棟に向かう渡り廊下が延びている。大きく開かれたはめ殺しの窓からは、外とは違う、和らいだ日の光が降り注いでいる。
 光が、渡り廊下そばの壁ではね返った。そこにはずらりと写真が並ぶ。一番下にある三枚を、ソーイチは感慨深げにながめた。

「へぇー……。もう少し男前に写ってるヤツもあったろ」

 ミラは第七期の写真を飾っていない。ニヤリと斜に構えた笑みを見せる、かつての自分に苦笑した。

「あれ? 猫がいる」

 ぎくりとソーイチは肩を上げた。写真を飾っている壁には二つ、黒い影が映り込んでいる。おそるおそる振り向くと、さっきまで受付に座っていた局員が二人、こちらを見下ろしていた。

「今日はダメよー。大事な日だからね」

 両脇を持たれると、ひょいと抱え上げられる。後ろ足を必死に動かしばたつかせ、力任せに降りようとするが、「あーら元気ね」と、手を添えられ、たたみ込まれてしまった。

(くっそー! なんだよ! この猫の体ってヤツは!)

 席に戻った局員の膝にのせられると、頭から背をゆっくりなでられ、もう一人からは喉をくすぐられる。ついつい、体から力が抜け、餅のように膝の上にべたりと伸びていく。

(あ、やべ。喉がゴロゴロと……)

 心とは裏腹な条件反射がもどかしい。

 目まで細めようとしたとき、受付の電話が鳴る。それではたと我に返った。局員が電話に気を取られている隙に、ソーイチはそろりと、柔らかい膝から逃れた。

「あ!」
「ダメよ! そっちに行っちゃ!」

 電話が終わった局員が、背後から追いかけてくる。ソーイチは縦横無尽に走り始めた。

「しまった! そっち!」

 受付のカウンターの上。
 エントランスのど真ん中。
 端にまとめてあるブラインドを蹴りあげて、局員の背に着地すると、今度はソファの下に滑り込んだ。

「この下ね」
「挟み撃ちだ」

 エントランスには、四角いソファがさまざまな形をとり、置かれている。長方形をかたどる長いソファの真ん中に滑り込んだ。
 局員は左右から一つずつ、ソファをどかせ、迫ってくる。

「なんかねぇかな……。煙とか」

 いつもマルコにやられていることをつい思い出す。その時、しっぽの辺りが妙にむずむずし始めた。「同時にずらすよ」と声がし、ソーイチは覚悟を決めた。

「三……、二……、一」
「それ!」

 光が差し込んだとたん、ソーイチは飛び上がると、右側の局員に向かって尻を大きく突きだした。

「いやあぁぁっ! くっさーい!」

 そのまま蹴り飛ばし、うろたえる眼前の局員の肩を踏み台に、とんと飛ぶ。ソーイチは階段へと走り抜けた。


 金切り声を上げながら文句を言う局員を背にし、ソーイチは階段を駆け上がる。

 気になる。どうしても。
 先日のロイが引っかかるのだ。

 あの時、何も言わなかったが、スバルと仲違いをしただけなのだろうか。何かもっと、他にあったのではないだろうか。
 根掘り葉掘り聞くのは、自分の趣味には合わない。だが、今回はもっと深く追求しておくべきだったのではないだろうか。
 ロイが持ってきてくれたタイルが砕けた。もちろん、偶然かもしれない。だが、心を焦らせるには十分だ。

「ここは……、初めて来るな」

 三階。管制室。廊下左手にある大きな窓からは、町が一望できた。
 人の気配を感じ、ソーイチは窓に沿って置かれている、ベンチの足元に隠れた。目の前にある扉から局員が出てくる。閉じかけたその向こうに、世界地図と宇宙服が見えた。

「ここか」

 じっと息を潜める。さっき出て行った局員が戻ってきた。扉に手を掛けた瞬間、その扉が大きく放たれた。

「危ないなぁ! 気をつけろよ。」
「あ……ああ。スマン。いや、それどころじゃないんだ。早く来てくれ!」

 ピクリ、とひげを跳ね上げると、まさに閉じようとしている扉に、黒い体を滑り込ませた。