「あー。開発局の向こうに行っちゃダメだよ。チラリとでも何かが見えたら、カウント止めなきゃならなくなるから」

 双眼鏡を片手に、助手席に置いたモニターと空をかわるがわる見ながら、テッドは言った。耳につけたイヤホンからは「了解」と返事が届く。空を自在に飛ぶ戦闘機を見ながら、子どものように歓声を上げているが、淡い灰色の目は鋭い。
 大国の車に気づかれないよう、はるか後方をつけてきていた。
 後部座席では、一人の将校が、シートにもたれかかりぐったりとしている。

「バーニー、地上の展開は済んだの?」
「済んだよ! あのな! オレは疲れてるんだ! ちょっと休ませろ!」
「ボクと同い年だったよね? もう、もうろくした?」

 バーニーは、そばにあったタオルをテッドに投げつけた。

「お前の兄さんの目を盗んで、中隊動かして、パイロット連れてきて……。空路じゃ目立つからって、オレが運転してきたんだぞ! 何時間も!」

 そこまで言い切るとぐたっ、と背もたれに崩れる。テッドは朗らかに笑いながら、兵の動向を見守っていた。

「だいたい……、戦闘機はお前が乗ればよかったじゃないか」

 テッドは首を振る。

「もう、自分の手が何をしでかしたかわからないようなものを、動かすのはご免だ」

 双眼鏡を下ろすと、テッドはじっと、自分の手のひらを見つめた。
 後部座席に横たわるとバーニーが口を開いた。

「これを見抜いたか。侮れないな、元反イシリアンテパルチザンは」
「最初話を聞かされたときは、ボクも悩んだんだけどね」

 一週間ほど前のことだ。
 開発局から出てきたところを、マルコに吐き出した煙で足止めされたのだ。
 さすがにムッとしてにらむと、家に入るよううながされる。中にはザイルがおり、自分たちが予見したことを伝えられたのだ。

「マサル補佐官と自分の関係、通信記録も何もかも全て見せてくれた。……うそはないだろう、と思った」
「相変わらずだな」

 耳から伸ばしたマイクにバーニーが指示を出す。連れてきた中隊の兵が、現場を囲んだのだろう。ズッ、ズッ、と無線を何度も交わしながら、しばらく、お互いの兵の動向を見守る。
 ぽつりとバーニーが言った。

「お前さ、もしアグノゥサが独立したら、あっちの人間になるの?」
「さぁ……」

 ぐっとシートに身を預けた。

 毎日、真剣に意見を戦わせるロイとイーハン。
 ほんのささいなことでも頭をひねり、解決に導こうとする管制官達。
 その全てをまとめ、今度こそはと決意を新たにするスズカ。
 打ち上げを盛り上げようと、町を飾る人々。
 手作りのロケットを片手に、通りを無邪気に走る子どもたち。
 子どもたちの目の輝きの為に、再び銃を構える老人達。
 ――そして、猫の姿となっても、打ち上げを我が事のように心配する、ソーイチ。

 思惑は、それぞれ違うだろう。ただ、見上げることしかできなくても、持てる全てをロケットに託そうとしている。
 ロケットや飛行士から見れば迷惑な話なのかもしれないが、今を生ききろうとしている姿は、何を打ち落としたかわからない生き方をしてきた自分にとって、まぶしかった。

「さぁて、そろそろ本番ですよ」

 テッドはまた、双眼鏡を構え直した。


 ******


 大国の車を紺の軍服を着た兵が取り囲む。駐在部隊だけの人数ではない。ソーイチはひげをピクリと上げた。

「テッドか……」

 すると、一緒に紅茶を飲んでいた兵が、老人達の前に立ちはだかった。くるりと背を向けしゃがみ、片膝を立てる。腰に手を回すと、携帯していた銃を車に向け構えた。

「ばあさん、後で話の続き、聞いてくれ」

 団子鼻の兵がそう言うと、「あいよ」と老婆は相づちを打った。
 左右と背後にイシリアンテ、前方に元パルチザンの老人達、頭上は戦闘機。言われるがままに侵攻してきた大国の兵達は、とまどいだけを顔に乗せ、ざわつき始めていた。

「さて、後はゆっくりと待とうか。なに、いい取引は黒猫が運んでくれる」

 ニヤリとしわを上げたマルコがこちらを見る。ソーイチは不敵な笑みを返すと、タッ、と詰め所から降り立った。