片眉をわずかに動かし、こちらを見据えるイアンと、あっけにとられているマサルを舐めるように見ると、扉のノックが響く。側近の一人がやっと戻ってきた。

「ああ。待っていたよ」

 イアン達に会釈をし、そばに寄ってきた側近は、陶器でできた小さなボトルを持っていた。ザイルは受け取ると、コルクの栓を抜き、紅茶にミルクをたっぷりと注ぐ。渦を巻きつつじわりとなじんでゆくそれを、ザイルは一口含んだ。

「失礼。やはり、紅茶はこうでなくては」

 カップをソーサーに戻すと、ザイルはいびつな左手を見えるように机の上に出し、両手を組み合わせた。

「アグノゥサ支部局を買い取ります」

 マサルが身を乗り出し、声にならない怒声を浴びせるように、口を大きく開いた。

「……買い取るとは?」
「設備、局員、その他もろもろ全て、我が国のものとします。我々としても、これだけの設備をただ解体するのは非常に惜しいと思いましてね。せっかく独立するのですから、何か産業が欲しい。あの地は本当に、何もないですから」

 笑みを含みながらカップを手に取る。眉をひそめるイアンと、今にも聞こえてきそうな歯ぎしりを立てているマサルが、こちらをにらみつけている。ザイルは一口含むと続けた。

「そちらは解体費用を出さずに移転ができる。我々は今後の糧ができる。両者にとって悪い話ではないと思いますよ」
「そんな資金がどこにあると……!」

 絞り出すような声でマサルがザイルをにらみつけた。

「それなりに備蓄はしている。キミには言ってなかったが」

 イアンの顔色が変わった。

「我々は元々商人だ。商品の目利きをするのはもちろん、客の目利きも忘れてはいないよ」
「客……?」

 つぶやくイアンにザイルは答えてやった。

「あなたの側近から話を持ちかけられてましてね。例の大国に鞍替えしないか、と」

 イアンが後ろに鋭い目をやる。マサルは最初、驚いたように目を見開き、「私は……」とつぶやいたが、一足一足後ろへずり下がるたびに、だんだんと胸の悪くなるような笑みを浮かべ始めた。

「儲け話があれば飛びつくさ。どこに行っても金は必要だからさ」
「貴様! それでも軍人か!」
「ボクは開発局員だ。イシリアンテがどうなろうと関係ない」

 後ろ手にこっそり扉を開き、マサルは飛び出そうとした。が、すでに廊下には空軍の兵が待ち構えていた。

「捕らえろ」

 つかまれた肩を揺さぶるが、あっという間に手を後ろに回される。それでも逃れようとするマサルは、ドンと床に押しつけられた。押さえつけられた頭をよじるようにこちらに向ける。

「移転が成立したら、ボクから連絡がいくようになっている。それがなかったら、あの国はどうするか、知らないよ」

 床から伸び、まとわりつく影のように、マサルはザイルをじっくりとねめ上げた。

「……確かにあなたの言う通りだ。客の目利きは確かだ。その確かさを呪うがいい!」

 兵達に乱暴に引きずられマサルは部屋を出て行く。狂ったような笑い声が長く廊下に響きわたった。

「アグノゥサ駐在部隊に……」

 そばに来た兵にそう言うイアンを、ザイルはいびつな左手で押しとどめた。

「ご心配なく。少々支度に手間取りましたが、すでに調っておりますよ」

 ザイルは不敵な笑みを浮かべた。