春に嵐を巻き上げて
 祭りの後に君を思う
 伸ばした手につかんだものは
 苦味と少しの後悔
 膝小僧の砂を払い

 そしてぼくらは、空を見上げる


 澄んでいる。

 空を見上げると雲は一つもなく、青い。これが幾重にも積み重なって、あの深く濃く暗い宇宙ができあがっている。ソーイチは一つ、息を深く吸い込んだ。
 今朝の町はいつもどおりの光景が広がっているものの、どこかぴんと張りつめた感じがある。学校は休みのため、子どもたちが騒ぐ声も通りには聞こえてこない。
 店先に商品を出さなければいけない商店は、いつもより心持ち店の奥へ引っ込めるように商品を並べていた。いざという時は逃げなくてはならない。手早く片づけるためである。
 屋根を伝い、開発局の前に来る。下であの老人が吹かす煙は、今日も健在である。引き返し、賑やかな屋根の上をくまなく見て回る。色鮮やかなタイルは日の光をはね返す。異常はなさそうだ。
 振り返り、まっすぐ先を見る。鉄の指先に守られながら、白い船体が顔をもたげている。

 五時間後、女神は空へと飛び立つのだ。

 トン、と降り立ち窓からするりと入り込む。ミラはいつも通り、タマネギを刻んでいた。

「晴れたわね。よかった」

 なるべくいつもどおり、と、手を動かしている。結局あれから昨日まで、毎晩祈りを捧げていた。普段はつながりなど考えないのだが、後輩のために尽くしてくれたことに、ソーイチは気づかれないようそっと頭を下げた。

 その時、ガシャンと外で砕ける音がした。カウンターの端まで行き、窓から外を見ると、ソーイチは眉をしかめ、窓から抜け出し屋根に登る。屋根をあちこち見て回り、一所で足を止めた。店の扉の前で砕けているオレンジ色のタイルは、先日ロイが持ってきてくれたものである。

「そ……掃除、しなくっちゃ」

 かすかに震えるミラの声で我に返る。ほうきとちりとりを持ってきたミラにくっつくように沿いながら、呪文のようにソーイチはつぶやいた。

「大丈夫だ。これが割れたってことは、ロイには何もないんだからよ」

 うん、うん、と小さく頷く。声のか細さに、さらに焦りがつのる。オレンジ色の欠片とミラの横顔をかわるがわる見ながら、ソーイチはますます眉根を寄せていった。

「やあ。ミラ、チビ、おはよう」

 掃除をしているかたわらを、五軒隣の肉屋の隠居が歩いて行く。ミラは少し震えた声で、それでもいつも通りあいさつをする。その老人の姿にソーイチは首をかしげた。
 八十は優に超えている肩に長い袋を担いでいる。
 いや、引きずっているという方が正しいか。昔のように背筋がしゃんとしていた頃なら、そんなこともなかったのだろうが。
 すり足で進んでいく後に、袋で描いた軌跡が続いていく。のたうち回る蛇のような跡に、ソーイチはぽかんと口を開けた。

 だが、それは一人ではなかった。
 あちらの店先、こちらの家から、非常にゆっくりとではあるが、老人達が姿を現し始めていた。
 皆一様に肩から袋を引きずり、または肩からずり落とし、のたうつ蛇を描いている。時に立ち止まり、どっこいしょ、と一度腰を伸ばしては、また進む。大半がそんな様子である。
 歩く老人達には女性もおり、数人連れだって和やかに話ながら進む姿は、買い物にでも行くように見える。
 一番年若いのは、今あいさつを交わした、裏の薬屋の店主であるイーハンの父親やその友人達ぐらいではないだろうか。それでも六十は過ぎている。

「おい……。ミラ、今日、じじぃやばばぁは遠足か?」
「さぁ……」

 二人して呆然としていると、最後にあの煙草の老人が歩いてきた。
 老人は袋を持っておらず、相変わらず水煙草のパイプを手に、左足を引きずりながら歩いている。ぼんやりとした表情も相変わらずだが、心持ち顔のしわが伸びているように見えた。

「入れ歯、つけてるな」

 ニヤッと不敵な笑みを浮かべてみる。
 老人達は、同じところを目指しているように見えた。