「へぇー……。言うねぇ、じいさん」
壺のふたを閉じると、カラカラと紅茶をかき混ぜる。花の香りを胸一杯に吸い込むと、テッドは一口含む。
もう一口含むと、笑っていない目元をソーイチに向けた。
「なんで、そんなことボクに言うの?」
「これを知ったところで、アンタはあのじじぃを悪いようにはしねぇ」
「知らないよー。今から兄さんに言ったらどうするの?」
「それならこの前、内通者がいるなんて言わねぇよ」
噛み含めるように笑い、テッドはまた一口飲む。はぁ、と疲れを吐き出し、淡い灰色の目を凝らした。
「ただ、あの大国が何かしら動いているのは確かだろうな。あてずっぽうで鞍替えしようなんて考えは思いつかない。誰かが、そんな話を持ち込んできたんだろうなぁ」
ソーイチがしっぽをパタリと振る。
と、すぐに耳が窓の外を向いた。テッドもゆっくりとそちらに目をやる。ソーイチが立ち上がり、前足の爪をカリと立てたとき、扉が押された。
「なんだ、ロイか。どうした?」
ソーイチは首をかしげた。
休暇とは聞いていた。イシリアンテから今戻ってきたのだろう、私服のままである。リラックスしてきたはずが、まるで雨にでも打たれてきたかのようにうなだれている。前髪で顔を隠すようにうつむき、唇は固くむずばれていた。こっちにおいでよ、というテッドの言葉でやっと、重りにつながれたような足を動かし始めた。
「酒……、あります?」
席に座り、目も合わせずつぶやく。奥から出てきたミラは、それには答えず、鍋に火を入れた。
「悪ぃな。ウチは酒は出さねぇんだよ」
ソーイチが言うと、席を立とうとする。その両肩をテッドががっしりと押さえ込んだ。
「まぁまぁ。そんな状態で町をうろつかせちゃいけないな。ウチの大事な運行指揮官だ。八期の打ち上げも近い。……話、してくれないかな?」
ロイの目が揺れる。すると、そのそばに、ミラが小さなボウルに入れたスープを置いた。
「今日はロイさんの好きなクリームのスープです。一度にたくさんは入らないと思います。おかわりが必要になったら呼んでください」
ミラはそう言うと、軽くほほえみ、また奥へと引っ込んだ。
ロイはしばらくじっとスープを見つめていた。肘をつき、けだるそうにスプーンをつかむと、ちゃぷりとひとさじすくう。ゆっくり流し込むと、色の白い頬がわずかに上気する。何かが緩んだのか、はぁ、と息を吐ききると、ロイの目が再び揺れはじめた。
どうしても会いたくて、部屋を訪ねた。
出てきたスバルの見開かれた鳶色の目で、まず気づいた。Tシャツにジャージ、特段不思議ではない。が、取り繕ったような出で立ちと、少し乱れた髪。なにより、立ち上る肌のにおいで、わかった。――何度も腕の中で、かいだにおいだった。
「だって……、こわいんだもん! あんなに何もない所に飛ばされちゃうんだもん! こわくてこわくて……。だから……!」
しがみつきたかった、と。
視線を落とした足元に、見慣れない靴があった。
「――もっと、他を寄せ付けないくらい、集中しているものだとばかり思っていました」
スプーンを置いたロイの目はまだ、スバルの部屋の前だ。半ば口を開けながら話を聞いていた二人は、一度目を合わせると、それぞれにロイを見つめた。
「見ろ。言ったじゃねぇか」
ソーイチ、とテッドがたしなめる。くいっと紅茶を飲み干すと、テッドは真顔で言った。
「業務命令。別れるか仲直りするか、どっちでもいいから、打ち上げまでにきちんとしておくこと」
テッドの目が鋭く光る。
「飛行士の精神状態を安定させておくこと。キミのもね。替えはいないんだ。キミ達が崩れれば、他に迷惑がかかる。いいね」
言葉も声も穏やかだが、奥にある厳しさにロイは肩をすくめる。「……はい」とだけ、かぼそく返事をした。
そのままロイはスープを飲み進めた。
揺れる目の奥に、ひげの先が引っかかる。その日、ソーイチはロイの顔から目が離せなかった。
壺のふたを閉じると、カラカラと紅茶をかき混ぜる。花の香りを胸一杯に吸い込むと、テッドは一口含む。
もう一口含むと、笑っていない目元をソーイチに向けた。
「なんで、そんなことボクに言うの?」
「これを知ったところで、アンタはあのじじぃを悪いようにはしねぇ」
「知らないよー。今から兄さんに言ったらどうするの?」
「それならこの前、内通者がいるなんて言わねぇよ」
噛み含めるように笑い、テッドはまた一口飲む。はぁ、と疲れを吐き出し、淡い灰色の目を凝らした。
「ただ、あの大国が何かしら動いているのは確かだろうな。あてずっぽうで鞍替えしようなんて考えは思いつかない。誰かが、そんな話を持ち込んできたんだろうなぁ」
ソーイチがしっぽをパタリと振る。
と、すぐに耳が窓の外を向いた。テッドもゆっくりとそちらに目をやる。ソーイチが立ち上がり、前足の爪をカリと立てたとき、扉が押された。
「なんだ、ロイか。どうした?」
ソーイチは首をかしげた。
休暇とは聞いていた。イシリアンテから今戻ってきたのだろう、私服のままである。リラックスしてきたはずが、まるで雨にでも打たれてきたかのようにうなだれている。前髪で顔を隠すようにうつむき、唇は固くむずばれていた。こっちにおいでよ、というテッドの言葉でやっと、重りにつながれたような足を動かし始めた。
「酒……、あります?」
席に座り、目も合わせずつぶやく。奥から出てきたミラは、それには答えず、鍋に火を入れた。
「悪ぃな。ウチは酒は出さねぇんだよ」
ソーイチが言うと、席を立とうとする。その両肩をテッドががっしりと押さえ込んだ。
「まぁまぁ。そんな状態で町をうろつかせちゃいけないな。ウチの大事な運行指揮官だ。八期の打ち上げも近い。……話、してくれないかな?」
ロイの目が揺れる。すると、そのそばに、ミラが小さなボウルに入れたスープを置いた。
「今日はロイさんの好きなクリームのスープです。一度にたくさんは入らないと思います。おかわりが必要になったら呼んでください」
ミラはそう言うと、軽くほほえみ、また奥へと引っ込んだ。
ロイはしばらくじっとスープを見つめていた。肘をつき、けだるそうにスプーンをつかむと、ちゃぷりとひとさじすくう。ゆっくり流し込むと、色の白い頬がわずかに上気する。何かが緩んだのか、はぁ、と息を吐ききると、ロイの目が再び揺れはじめた。
どうしても会いたくて、部屋を訪ねた。
出てきたスバルの見開かれた鳶色の目で、まず気づいた。Tシャツにジャージ、特段不思議ではない。が、取り繕ったような出で立ちと、少し乱れた髪。なにより、立ち上る肌のにおいで、わかった。――何度も腕の中で、かいだにおいだった。
「だって……、こわいんだもん! あんなに何もない所に飛ばされちゃうんだもん! こわくてこわくて……。だから……!」
しがみつきたかった、と。
視線を落とした足元に、見慣れない靴があった。
「――もっと、他を寄せ付けないくらい、集中しているものだとばかり思っていました」
スプーンを置いたロイの目はまだ、スバルの部屋の前だ。半ば口を開けながら話を聞いていた二人は、一度目を合わせると、それぞれにロイを見つめた。
「見ろ。言ったじゃねぇか」
ソーイチ、とテッドがたしなめる。くいっと紅茶を飲み干すと、テッドは真顔で言った。
「業務命令。別れるか仲直りするか、どっちでもいいから、打ち上げまでにきちんとしておくこと」
テッドの目が鋭く光る。
「飛行士の精神状態を安定させておくこと。キミのもね。替えはいないんだ。キミ達が崩れれば、他に迷惑がかかる。いいね」
言葉も声も穏やかだが、奥にある厳しさにロイは肩をすくめる。「……はい」とだけ、かぼそく返事をした。
そのままロイはスープを飲み進めた。
揺れる目の奥に、ひげの先が引っかかる。その日、ソーイチはロイの顔から目が離せなかった。