「ふむ。これはなかなか、難しいですね」

 思わぬ姿を見せ、心の中で舌打ちをした。電話の向こうの声は、低く抑えているものの、多少の焦りが見える。聞き終えると、諭すように口を開いた。

「以前にも申し上げましたが、その方の賛同がなくてはならないのですか? あなたが中心のはずですよ」

 相手は渋い声を出す。地位を与え、長年飼い慣らしていても、いざという時に使えないのでは話にならない。はぁ、とこれ見よがしにため息を吐いた。

「もうしばらく時間を差し上げます。なんとか説得をしてみてください。スムーズに運べば、誰も傷つかない方法ですから」

 そう言うと受話器を置く。夜勤の執務室はいまだ冷える。男は着ていた上着を抱え込むようにした。

「もう何十年とここにいるが、この時期の冷えには慣れないなぁ」

 故郷は温暖なところで、この時期にもなるともう半袖で過ごしていた。

 あの男は飼われることに慣れている。昔は武闘派だったらしいが、この五十年の間にすっかり骨抜きにされたようだ。ならば、あの地の実質的な支配者がどこであっても気にはしない。
 上司は移転を考えている。――バカだ。打ち上げを考えるのであれば、あの地の好条件がなぜ目につかない。それなら、それをそっくり丸ごと横流しし、金を手に入れ雲隠れする方がよほどいい。――イシリアンテがどうなろうと、自分には関係ない。
 
 その予定で進めてきたのだが。
 ここにきて思わぬ邪魔者が入った。
 
 まずは昼行灯の弟だ。イシリアンテ人であるにも関わらず、やけにアグノゥサ人の肩を持つ。こちらにいる頃は同盟国出身の自分も、アグノゥサ人も毛嫌いしていたくせに。
 そして、あの老人である。先日、支部局に行ったときに見かけたときは、ザイルがそれほど重要視するような立場に今もいるとは、到底思えなかった。
 気の抜けたような顔をして煙を吹かし、子どもの見張りをしている。支部局内の人間に探らせたが、それしか情報は得られなかった。
 パルチザンの元リーダーとは聞いているが、今ではただの楽隠居ではないか。何をそれほどまでにザイルが気を遣うのか、見当がつかなかった。

 するとまた、電話が鳴る。細い目を凝らすと、おもむろに受話器を取った。

「これはこれは……。ええ。少々手間取っております。でも、ここは大国としての器の見せ所ですよ。どっしりと構えましょう」

 月の光が雲間に隠れた。今日はやけに冷える。男はまた、上着を抱え込むように襟元を合わせた。