「げ! なんだありゃ!?」
勢いよく晴れた空の元、ソーイチはいつものように屋根伝いに歩きながら、町を見下ろしていたのだが、思わぬ物が目に飛び込み、危うく足を滑らせそうになった。
三軒隣の青果店の店先に、不格好な猫の張りぼてが置かれており、首から「祝・第八期有人飛行」と書かれた垂れ幕がぶらさけられている。
張りぼては先日、町の子どもたちが作り、パレードをねり歩いた物だ。本来なら燃やし、空に還さなければならないところだが、子どもたちが泣いて嫌がったのである。子どもの涙に大人は弱い。仕方なく、有人飛行が終わるまでの〝執行猶予〟を与えられたのである。
「だからって、こんな使い方あるかよ……まるで、招き猫じゃねぇか」
おそらく、猫好きなタリムが管理を買って出たのだろう。無駄に丸っこい体。やたら長いしっぽ。そこに、よだれかけのように垂れ幕を着けられ……。モデルのソーイチは両耳を垂れた。
「言っとくぞ。御利益はねぇからな」
ムスッと言葉を吐き捨てると、ソーイチはまた、いつもの散歩コースを歩き始めた。
歩くと、さっきのくすぐったい感情は、もやのように消えていく。代わりに、鉛のような重い塊が、胸の内を占め始めた。
内通者がいる。――仰々しい言葉を口にしたもんだ、とソーイチは感じた。
だが、あのテッドがそう思うほど、事態は深刻なのかもしれない。
開発局が自国以外の人間に門戸を開いたのには理由がある。――優秀な人材の流入である。
資源に恵まれていないイシリアンテは、あらゆる分野の技術を開発することで、国を大きくしてきた。
だが、寒さという厳しい自然を相手に暮らしてきたせいか、規律にうるさい国でもある。そういった締めつけを嫌い、ライバル国に多数の人材が出て行った時代があった。それを取り戻す為に、開発局という緩い囲いをつくり、また、盛り返してきたのである。
「ま、確かにオレは、知っても得しないな」
自嘲気味につぶやいた。
ふと視線を動かす。目抜き通りを、誰かが足取りも軽く歩いて行く。
「えーっと、確かヴィクターだっけ?」
この間、ロイが連れてきていた。イシリアンテ人にもかかわらず、黒猫が店で動き回っていたことをかまいもしない。よく食べ、よく笑う、好青年には見えた。
******
「――以上です」
「わかった」
イアンは、机のすみに置かれているガラス壺を引き寄せ、ふたを開けた。
「相変わらずたっぷりですね。お体にさわりませんか?」
「それがな、わが家は不思議と皆健康なんだ」
花の香りを立ち上らせながら、イアンは一口喉を潤す。部下のマサルははぁ、と半ば呆れた返事をした。
カップを置くと、イアンは腹の上で手を組み合わせ、ぐっと椅子に背を預けた。
「よくやってくれるな。先日も、暴動を早いうちに見つけてくれた。今後も頼むぞ」
代わりのようにマサルが返事をすると、冷たい笑みを浮かべた。
「交換条件は満たしてやりました。今後も忠実な駒として働いてくれることでしょう」
「交換条件か。なんともギラギラとまぶしいな。若いとはいいものだ」
再び手を伸ばし、カップをつかむ。くすぐる花の香りに、同じ淡い灰色の目をした弟を思い出した。
「どうしたものかな。昔は後ろをついて回っていたのに、アグノゥサに行ってからは、やたらと盾突くようになった。……困ったもんだ」
できの悪い子をなだめるような口調に、マサルは笑いをかみ殺せない。
「まるで、父親のようですね」
「十も離れているとな、なんとなくそうなる」
部下の思わぬ一言に苦笑した後、イアンは顔を引き締めた。
「ここで緩んだ開発局に活を入れなければ、あの国が顔を出してくる。これ以上、遅れを取るわけにはいかない。世界最高峰の座を再び手に入れるのだ」
同じく顔を引き締め、マサルは頷いた。
勢いよく晴れた空の元、ソーイチはいつものように屋根伝いに歩きながら、町を見下ろしていたのだが、思わぬ物が目に飛び込み、危うく足を滑らせそうになった。
三軒隣の青果店の店先に、不格好な猫の張りぼてが置かれており、首から「祝・第八期有人飛行」と書かれた垂れ幕がぶらさけられている。
張りぼては先日、町の子どもたちが作り、パレードをねり歩いた物だ。本来なら燃やし、空に還さなければならないところだが、子どもたちが泣いて嫌がったのである。子どもの涙に大人は弱い。仕方なく、有人飛行が終わるまでの〝執行猶予〟を与えられたのである。
「だからって、こんな使い方あるかよ……まるで、招き猫じゃねぇか」
おそらく、猫好きなタリムが管理を買って出たのだろう。無駄に丸っこい体。やたら長いしっぽ。そこに、よだれかけのように垂れ幕を着けられ……。モデルのソーイチは両耳を垂れた。
「言っとくぞ。御利益はねぇからな」
ムスッと言葉を吐き捨てると、ソーイチはまた、いつもの散歩コースを歩き始めた。
歩くと、さっきのくすぐったい感情は、もやのように消えていく。代わりに、鉛のような重い塊が、胸の内を占め始めた。
内通者がいる。――仰々しい言葉を口にしたもんだ、とソーイチは感じた。
だが、あのテッドがそう思うほど、事態は深刻なのかもしれない。
開発局が自国以外の人間に門戸を開いたのには理由がある。――優秀な人材の流入である。
資源に恵まれていないイシリアンテは、あらゆる分野の技術を開発することで、国を大きくしてきた。
だが、寒さという厳しい自然を相手に暮らしてきたせいか、規律にうるさい国でもある。そういった締めつけを嫌い、ライバル国に多数の人材が出て行った時代があった。それを取り戻す為に、開発局という緩い囲いをつくり、また、盛り返してきたのである。
「ま、確かにオレは、知っても得しないな」
自嘲気味につぶやいた。
ふと視線を動かす。目抜き通りを、誰かが足取りも軽く歩いて行く。
「えーっと、確かヴィクターだっけ?」
この間、ロイが連れてきていた。イシリアンテ人にもかかわらず、黒猫が店で動き回っていたことをかまいもしない。よく食べ、よく笑う、好青年には見えた。
******
「――以上です」
「わかった」
イアンは、机のすみに置かれているガラス壺を引き寄せ、ふたを開けた。
「相変わらずたっぷりですね。お体にさわりませんか?」
「それがな、わが家は不思議と皆健康なんだ」
花の香りを立ち上らせながら、イアンは一口喉を潤す。部下のマサルははぁ、と半ば呆れた返事をした。
カップを置くと、イアンは腹の上で手を組み合わせ、ぐっと椅子に背を預けた。
「よくやってくれるな。先日も、暴動を早いうちに見つけてくれた。今後も頼むぞ」
代わりのようにマサルが返事をすると、冷たい笑みを浮かべた。
「交換条件は満たしてやりました。今後も忠実な駒として働いてくれることでしょう」
「交換条件か。なんともギラギラとまぶしいな。若いとはいいものだ」
再び手を伸ばし、カップをつかむ。くすぐる花の香りに、同じ淡い灰色の目をした弟を思い出した。
「どうしたものかな。昔は後ろをついて回っていたのに、アグノゥサに行ってからは、やたらと盾突くようになった。……困ったもんだ」
できの悪い子をなだめるような口調に、マサルは笑いをかみ殺せない。
「まるで、父親のようですね」
「十も離れているとな、なんとなくそうなる」
部下の思わぬ一言に苦笑した後、イアンは顔を引き締めた。
「ここで緩んだ開発局に活を入れなければ、あの国が顔を出してくる。これ以上、遅れを取るわけにはいかない。世界最高峰の座を再び手に入れるのだ」
同じく顔を引き締め、マサルは頷いた。