局内はぴりりとした空気に満ちていた。
 皆、歩く足は心持ち速く、キュッと口元が引き締まっている。誰もが平静さを保とうと努力しているのだが、沸き起こる興奮と、失敗の許されない緊張感、そして、心の奥深くににじむ不安感が、空気を引き締めている。
 そのただ中を、両手に抱えきれないほどの紙の束を持ったロイは、突き抜けていく。

 打ち上げが、ひと月後に迫っていた。

「ロイ、これはここにもっていこう。この順番だと手間がかかる」
「わかりました。じゃ、これは最後でいいですか?」

 しばらく腕組みをして、イーハンは言った。

「キミはどう思う?」
「最後でもいいとは思います。ただ、もし、うまくアームが出なかった場合、先にこれをした方が、時間のロスは出ないと思います」
「わかった。それ、任せていいか?」
「はい。じゃ、追加の手順書取ってきます」

 口調は淡々としているものの、目には信頼を浮かべてくれている。ロイは腹の奥に熱いものを感じながら、会議室を出た。

 先週、正式に当日のメンバーが発表された。主席運行指揮官はスズカである。その次席運行指揮官としてロイとイーハンが選ばれた。
 イーハンの名前が挙がると、会議室に一瞬緊張が走った。が、それをテッドが目で制圧していく。他の管制官はともかく、運行指揮官の中では、イーハンがその位置に着くのは当然だった。
 それ以来、イーハンはロイを連れ回していた。当日の相棒としてはもちろんのこと、自らの経験と知識を、おしげもなくロイに教えてくれていた。スズカが、「あら、私いらないじゃない」と珍しく笑ったくらいである。

「つまらないこと言ってないで、スズカさんもやってください。ロイには経験がない。なら、知識で穴埋めするしかないんですから」

 少々照れくさそうに言う。とっかかりがつかめなかった二人との間に何かが、できた。

 両手に書類を抱え込み、渡り廊下付近にさしかかる。すると、向こうから朗らかな笑い声を帯びた一群が、こちらに向かってきていた。ロイの姿を見つけ、いまだ険しく眉根を寄せる者もいる。しかし今は、八期のメンバーに選ばれ、その仕事に追われていることが、ロイのこわばりを多少なりともほぐしていた。

「ロイ、なんだ? それ?」

 一群から真っ先にヴィクターが声をかけてきた。

「お前達を打ち上げるときの手順書。まだまだ補正しなきゃいけないから、もっと増えるぞ」
「ひえー……。紙にするとこんな量になるんだな」

 ヴィクターが目を丸くしているのを朗らかに笑う。心穏やかに彼らを見ていられる自分が、うそのようだった。
 八期の打ち上げには、スバル、ヴィクター、ハーディの三人が選ばれた。
 今回の打ち上げによって、他の飛行士達の運命も決まる。
 自分は管制官とはいえ、計画に選ばれた。だが、昔の仲間の大半は、今回見守るだけである。成功しなければ、また長い訓練だけの日々。こちらに険しい表情を見せる面々を見つめながら、必ず打ち上げなければ、と今一度気を引き締めていた。

 そんな中、ひときわ小さな人物がこちらをじっと見ていた。唯一の女性で、仲間の真ん中にいながら、なぜかぽつん、としているように見えた。自分に対して快く思っていない人間が大勢いる中で、声をかけるのは気が引ける。うかがうように小首をかしげてみた。するとスバルは、鳶色の大きな目をぐっとしかめ、そのままうつむいてしまった。
 気にかかるも、場と時がそれを許してくれない。じゃあな、と昔の仲間に声をかけ、ロイはまた会議室に戻っていった。