冴えた三日月の光が執務室に差し込む頃、机のかたわらに置いてある電話が鳴った。
「テッド! どういうことだ! イーハン・ザキィの謹慎を解いたそうだな!」
「はい。そうですよ、兄さん」
歯ぎしりの聞こえてきそうな怒りが伝わってくる。テッドは灰色の目に三日月の鋭さを映した。
「アグノゥサ人を縛る手を緩めるな。ただでさえ恨みを持っている者が多いのに、いいようにさせていたら、暴動が起きるぞ!」
見上げていた目を一度伏せる。開くと淡い灰色の目をスッと細めた。
「お言葉ですが兄さん、開発局コースを修了し、国籍を改めればどの民族・国民であっても問わないと決めたのは、イシリアンテですよ」
「だがイーハンは、他の者を扇動し、暴動を起こそうとしていた」
「証拠は?」
受話器の向こうが言葉に詰まる。テッドはガラスの壺を引き寄せると、カップにバラの香りのジャムをたっぷり入れた。
「受け入れると決めたからには、多少のことは甘んじるのが筋です。いちいち目くじらを立てていては、まとまるものもまとまらない。それに……」
「それに、何だ」
香りを胸一杯吸い込むと、一口喉を潤し、テッドは前を見据えた。
「今度の有人飛行のメンバーは誰一人欠けても成り立たない。そういう人選をボクはした。――第八期有人飛行計画は国家の威信をかけた一大プロジェクトだ、そう言ったのはあなたですよ。イアン・フロックハート本部局長」
耳に届くカリリときしむ歯ぎしりの音。だが、しばらくすると、ぴちゃりという嫌な舌なめずりのような音が聞こえた。
「今回は折れよう。だがな、イーハンのことはそちらから聞こえてきたことだ。せいぜいがんばるんだな。テッド・フロックハート支部局長補佐」
受話器を置くと、机に肘をつき手を組み合わせる。拳に預けた視線からは、鋭い光が放たれていた。
******
屋根の下には黒の囲いと紺の囲いができている。
また、ザイル・マフディ公が老人の元を訪れていた。前回のこともある。ソーイチは大人しく顔を引っ込めて、様子だけをうかがっていた。
相変わらず、ポツリポツリとザイルだけがしゃべり、ときおり煙がもわりと浮かび上がる。今日は学校のため、子どもたちはいなかったが、二人ののどかな雰囲気が、辺りに帯びる緊張感を緩めてくれていた。
二倍の煙がもうもうと届く。ここにいても少々煙を吸ってしまい、やはりソーイチはむせてしまった。黒服の取り巻きが今回も身構えたが、黒猫だとわかり、ザイルが押しとどめた。
「この間の猫かな? 我々にとって黒猫は福を招く印だ。今回はどんな福を招いてくれるのかな」
手を伸ばすザイルに、冗談じゃねぇやと威嚇してみせると、朗らかに笑い飛ばし、老人に向き直った。
「じゃあまたな、マルコ」
ザイルがきびすを返したときだった。
ひょっひょっひょっ! と息がもれる。驚いて目をやると、老人が口を開けて笑っている。顔中をしわだらけにし、顔の半分になるのではないだろうかと思われるくらい、口を大きく開けている。上の前歯は全くない。
息を大きく吸い込み、またひょっひょっひょっ! と笑い始める。
声か。雰囲気か。その目の鋭さか。ソーイチは肌が粟立つのを感じた。
「テッド! どういうことだ! イーハン・ザキィの謹慎を解いたそうだな!」
「はい。そうですよ、兄さん」
歯ぎしりの聞こえてきそうな怒りが伝わってくる。テッドは灰色の目に三日月の鋭さを映した。
「アグノゥサ人を縛る手を緩めるな。ただでさえ恨みを持っている者が多いのに、いいようにさせていたら、暴動が起きるぞ!」
見上げていた目を一度伏せる。開くと淡い灰色の目をスッと細めた。
「お言葉ですが兄さん、開発局コースを修了し、国籍を改めればどの民族・国民であっても問わないと決めたのは、イシリアンテですよ」
「だがイーハンは、他の者を扇動し、暴動を起こそうとしていた」
「証拠は?」
受話器の向こうが言葉に詰まる。テッドはガラスの壺を引き寄せると、カップにバラの香りのジャムをたっぷり入れた。
「受け入れると決めたからには、多少のことは甘んじるのが筋です。いちいち目くじらを立てていては、まとまるものもまとまらない。それに……」
「それに、何だ」
香りを胸一杯吸い込むと、一口喉を潤し、テッドは前を見据えた。
「今度の有人飛行のメンバーは誰一人欠けても成り立たない。そういう人選をボクはした。――第八期有人飛行計画は国家の威信をかけた一大プロジェクトだ、そう言ったのはあなたですよ。イアン・フロックハート本部局長」
耳に届くカリリときしむ歯ぎしりの音。だが、しばらくすると、ぴちゃりという嫌な舌なめずりのような音が聞こえた。
「今回は折れよう。だがな、イーハンのことはそちらから聞こえてきたことだ。せいぜいがんばるんだな。テッド・フロックハート支部局長補佐」
受話器を置くと、机に肘をつき手を組み合わせる。拳に預けた視線からは、鋭い光が放たれていた。
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屋根の下には黒の囲いと紺の囲いができている。
また、ザイル・マフディ公が老人の元を訪れていた。前回のこともある。ソーイチは大人しく顔を引っ込めて、様子だけをうかがっていた。
相変わらず、ポツリポツリとザイルだけがしゃべり、ときおり煙がもわりと浮かび上がる。今日は学校のため、子どもたちはいなかったが、二人ののどかな雰囲気が、辺りに帯びる緊張感を緩めてくれていた。
二倍の煙がもうもうと届く。ここにいても少々煙を吸ってしまい、やはりソーイチはむせてしまった。黒服の取り巻きが今回も身構えたが、黒猫だとわかり、ザイルが押しとどめた。
「この間の猫かな? 我々にとって黒猫は福を招く印だ。今回はどんな福を招いてくれるのかな」
手を伸ばすザイルに、冗談じゃねぇやと威嚇してみせると、朗らかに笑い飛ばし、老人に向き直った。
「じゃあまたな、マルコ」
ザイルがきびすを返したときだった。
ひょっひょっひょっ! と息がもれる。驚いて目をやると、老人が口を開けて笑っている。顔中をしわだらけにし、顔の半分になるのではないだろうかと思われるくらい、口を大きく開けている。上の前歯は全くない。
息を大きく吸い込み、またひょっひょっひょっ! と笑い始める。
声か。雰囲気か。その目の鋭さか。ソーイチは肌が粟立つのを感じた。